「ヤリスクロス」というクルマが、いま気になる。
このクルマの名前、3回続けて声に出すと、妄想が膨らむ。なぜか「やりくりが大変」「やるだけ無駄かも…」といった言葉にかぶるのだ。
ついこの前までヴィッツ(ドイツ語で機知と如才、という意味)だった。世界統一車名の「ヤリス」(ギリシャ神話の美の女神CHARISに由来)になり、SUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)を意味する「クロス」という言葉と合体! 言い訳に聞こえそうだが、いわば遠い国から来た外来語ギラギラの車名だからなのか、よからぬ、妄想を引き起こす!?
軽口はともかく、まじめな話、このクルマの新鮮度は、価格のわりには(179万円台から)いまどきのクルマ好きの心をとらえる。カッコ良さと好燃費(ハイブリッドの4WDでJC08モード29.0㎞/l)。
最近の軽自動車オーナーの中には、Kカーのアイデンティである黄色のナンバーをヘイトして(憎んで!?)、わざわざ登録車(白ナンバー)に替えている向きがあるからだ。まさに維持費の安さと見た目の両立を狙い、白ナンバー変身術! となると、このヤリスクロス、軽自動車ユーザーにも気になる存在だ。このへんの複雑なユーザー心理を説明するのはややこしい。
そこでさらに調べてみると、このクルマ、ヤリスという名称だが、しかもエンジンこそ1590㏄直列3気筒と共通であるが、ホイールベースが2560㎜で、10㎜長い。車幅(全幅)は、ヤリスが5ナンバー枠の1695㎜だったのが、ヤリスクロスは1765㎜。ということはどうやら、プラットフォーム自体が異なる。だから、ブレーキも、フロントこそ冷却性の高いベンチレーティド・ディスクで同じだが、リアが、ヤリスがリーディング&トレーディング(L&T)式のドラム、ヤリスクロスがディスクブレーキで、差をつけているのである。車両重量も、車体寸法拡大などで100㎏近く重くなっている。
いまどきのクルマの素晴らしいところは、日進月歩の安全性だ。このクルマにも、アクセルの踏み間違いによる衝突防止システムが標準で付いている。それと非常時における電気製品の活用である。このクルマにも、「パワーサプライ機構」なるものがあり、AC100のコンセントがリアのラゲッジルームにあり、最大1500Wの電気製品を使える。スマホの充電だけでなく、湯沸かし器などの電気製品をガソリン満タンで約5日間使えるというから、なんとも頼もしい。
「クルマはいま100年に一度の大変革期だ」とはよく語られるが、たかだか一台の新型大衆車(昭和の言い方でゴメン!)を観察するだけでも、その片鱗はうかがえるのである。
東京銀座にショールームをつくったり、柳瀬商会の敏腕営業マンをヘッドハンティングしたり、鮎川社長の日産コンツェルンの人脈や組織を使い、徐々に販売網を広げていった。
宣伝戦略もユニークだった。銀座のショールームのあるビルからはアドバルーンが上がり、松竹歌劇の看板女優だった水ノ江滝子を宣伝ガールに起用し、「ダットサン・デモンストレーター」と称して、数百人の応募の中から女性4名を選び出し、各種のデモンストレーションを展開した。いわゆる一般家庭の婦人層を狙ったキャンペーンだ。
“明治の人力車、大正の自転車、昭和のダットサン”あるいは“旗は日の丸、車はダットサン”という、子供でもわかりやすいキャッチコピーもつくられた。
ダットサンは、車両価格が安い、日本の道路事情に適してコンパクトサイズ、それに燃費も悪くない、しかも無免許で運転ができる(当時は排気量750cc以下のクルマは無免許でよかった)、そんなメリットが広く知れ渡り、急速に需要が伸びた。昭和10年には3000台弱だったのが、翌年11年には6000台を超え、次の年12年には8000台を超えている。
小型車ダットサンは、とりあえず成功したものの、当時の一番の顧客である日本陸軍が求めているのは、中型のトラックである。時代は、満州事変から太平洋戦争へと戦場が拡大していたころだ。国産車を優遇し、外国車を排斥する「自動車製造事業法」が成立したのは昭和11年、1936年だ。戦時色体制の統制経済の一つである。鮎川は、すべてゼロから作り出すのではなく、海外の技術をそのまま移植し、優秀な日本人のエンジニアの手で短期間に中型トラックなり、中型乗用車を完成させる。そんな構想を頭に描いていた。
横須賀市夏島にある日産追浜工場。最盛期にはブルーバードの組み立て、いまもEVのリーフの組み立て工場でもある日産の輝かしい歴史を語るうえで欠かせない、マザー工場である。由緒あるテストコースは、近くの野島公園から一望のもとに眺められる。
カルロス・ゴーン氏が、日産に乗り込んできて1年たつかたたない時期だったか、その追浜工場に取材に行ったところ、玄関の車寄せのところにどす黒い色をした胸像がたっていたのを鮮明に覚えている。1960年代から70年代にかけて日産を支配していた川又克二会長(1905~1986年)の銅像である。いくら功績のあった人物でも、銅像は通常死後功績を懐かしんで建造されるものだが、その造像は本人が権勢をふるっていた時期に建てられたとして、話題にのぼったものだ。
さすがに、その銅像もゴーン氏が赴任してしばらくのちには撤去された。余計なお世話だが、撤去する日産マンたちのその時の気持ちはいかがだったのか!
今回紹介する2冊は、井上久男著「日産vsゴーン」(文春新書)と高杉良の「落日の轍(わだち)―小説日産自動車」である。前者は、朝日新聞の自動車担当記者である筆者が、永年日産を取材しての迫真のドキュメント250ページ。後者は、ゴーンの前の日産、いわゆる労働貴族と呼ばれた労働組合のドン・塩路一郎氏(1927~2013年)といち銀行マンから昇り詰めた川又克二氏、“天皇”と呼ばれた石原俊氏(1912~2003年)と過剰な個性をみなぎらせる人物が登場する波乱万丈の企業戦国物語。文庫本で265ページ。
この2冊に目を通せば、日産がどんな企業かがたちどころに理解できる。あの時インタビューした日産マンのやるせなさもなんとなく伝わる。日産のこれまでの歴史やエピソード、人間同士のドキュメントを知れば知るほど、日本人の宿痾ともいうべき、さまざまな課題と二重写しになり、息苦しさを覚えるかもしれない。
たかが工具ではあるが、時として時代とともに名称が大変化することがあるから、油断がならない。
たとえば「アンギラス」がそうである。アンギラスといえば、怪獣映画の「ゴジラ」に出てくる、もう一つの(一人?)怪獣名。ゴジラのライバル怪獣。と思っていたら、いつの間にやら、水道工事や自動車の整備で欠かせないウォーターポンププライヤーの別名に化けていた。そもそも発売元のロブテックスが命名した商品名だが、しばらく眺めているとだんだん「アンギラス」に思えてくるから不思議だ。
ウォーターポンププライヤーといえば、大きなパイプをつかんだり、モノをつかんだり、ときには普通の工具では間に合わないときにネジを緩めたりする、いわばマルチの工具である。モンキーレンチほどではないが、アバウトツールの仲間ともいえる。
今回取り上げる「ハイブリッドアンギラスUWP240DNA」は、板厚3㎜の板金製(つまり平たく言えば鉄の板からつくった)のウォーターポンププライヤーである。しかも、3枚合わせではなく、2枚合わせ。となると、鍛造製や板金でも3枚合わせにくらべ、ぐぅっと相手を力いっぱいつかんだ時にぐにゅと逃げてしまうのでは? とそんな心配をしがちだ。
ところが、それはまったくの杞憂だった。いい意味での裏切りである。
ジョイント部(上あごと下あごの)に遊びを極力少なくすることで、剛性感を高めているからだ。形状を煮詰めたり、組み立て工程での見直し、あるいはピボット部のカシメ時の緻密さに苦労している…‥と推理する。“モノづくり日本だからできた逸品“というと褒めすぎだけど。
サイズはポピュラーな全長240㎜だが、かなり軽い。
メーカーによると、従来品より37%軽量化したという。実測215gで手持ちのラインバルより、150gも軽かった。
肝心の加え部分は、非対称の歯型で、3点支持で咥えるデザイン。パイプならφ55㎜までOKだ。根元のところで、φ2.6㎜の針金をカットできるカッター付き。くわえ部をよく見ると、先端部には、例の小ねじ脱着ペンチ同様の横溝を設け、小ねじを緩め取る仕掛けがある。しかも下あごのグリップエンドには、マイナスネジを緩めることができるドライバー付きである。
もし新規に買うなら、おすすめだ。価格はホームセンターで2948円だった。
動いている物体を止める働きをするのがブレーキ、制動装置である。
自動車のブレーキ装置を振り返ると、機械式のバンドブレーキから始まって、油圧式のドラムブレーキ、ディスクブレーキと進化を遂げている。でも、一貫しているのは、摩擦による制動装置である。電動式ブレーキと呼ばれるものも、制御が電気だが、根本のところは動いている車輪を摩擦のチカラで停める「摩擦式の制動装置」に過ぎない。
数年前から曙ブレーキが研究開発しているのは、これとはまったく異なる「MR流体ブレーキ」という仕掛け。
MRというのは、マグネトー・リュウロジカル(magneto rheological)で、無理やり訳すと「磁場流体式」。
原理をいうとこうなる。車軸側と車輪側を液体で満たしシールドする。この液体のなかには数ミクロンの細かい鉄粉が分散している。そこに磁場を加えると、その鉄粉が磁場方向に“ならい! 右!”みたいなカタチで整列して、鎖状の粒子クラスターを形成し、かなり強固に半固体化する。これが抵抗力となってブレーキ力となるわけだ。油圧や摩擦力をまったく使わずに制動力を生み出す、画期的なシステムの印象だ。
つまりホイールを汚す厄介な摩擦粉を出さないし、騒音や振動もない。摩擦するところがないので、パッド交換が不要のメンテ不要。
汚れをまき散らさないので、医療や食料、あるいは農業の面で大歓迎されるポテンシャルを持つともいえる。
もちろん電気制御できるので、従来のブレーキ装置に合った大掛かりな付属装置を必要としない。いわゆるヨ―コントロール(トルクベクタリング)の設定もしやすいので、コーナリング性能の高いチューニングも容易だという。
このバラ色に見える新機軸のブレーキシステムを実現するには時間が必要だという。「制動力のパワーを出すのが難しい段階。富士山でいうと、そうですね6合目あたりでしょうか」と開発者。ゴールはまだ先のようだ。でも、自動制御の自動運転車両のブレーキとして大いに注目される仕掛けになる、そんな予感がする。
ダットサンのエンジンは、水冷直列4気筒、排気量が495㏄ サイドバルブ方式。4サイクルエンジンは、サイドバルブ→OHV(オーバーヘッドバルブ)→OHC(オーバーヘッドカムシャフト)→DOHC(ダブルカムシャフト)と進化を遂げたことを考えると、サイドバルブ方式は一番古い4サイクルエンジンのバルブレイアウトといえる。バルブとは、もちろん吸入空気をエンジン内に導入したり排気をエンジンの外に排出する吸排気バルブのことである。たくさんの空気をエンジンに入れて、ガソリンと空気の混合気を爆発させ、排気を素早く外に出す、ということ工程をより効率よくおこなう歴史が、このバルブレイアウトの歴史と重なるのである。
ところが、ダットサンの4気筒エンジンは、いまのエンジンのような排気対策も電子制御技術も何も持たないシンプルなエンジン。ピストンはアルミ合金、コンロッドはジュラルミン製でメタルを持たないユニークなものだった。そしてモノの本によると、各部品の工作精度がとても要求されるキャブレター(気化器)の生産にとても苦労したという。最高出力10馬力/3700rpmと現在から見るとひどく非力なスペックだが、当時としてはそれなりの性能レベルといわれた。ちなみに、アクセルペダルは中央にあり、ブレーキペダルがその右隣り、というレイアウトだった。ペダルの位置はまだ統一されていなかったのだ。
ダットサンは、当初は屋根が付かないロードスタータイプが発売された。1930年秋に、試作車を大阪から東京まで途中回り道をしながら1万マイル走行させている。このとき、とくに大きなトラブルには陥らず無事目標距離を走破できたという。ダットサンは、よく知られるように快進社の橋本増治郎のダット号の流れを汲む小型車だが、そのダット号のユニバーサル・ジョイントやリアのアクスル、各種ギアの機能部品の一部は、ダットサンになっても同じ部品に引き継がれている。
「スターティングマシンが倒れた。20台のモトクロッサーが、一斉にコースに飛び出す。冬の乾いた大気が爆発し、爆風が快晴の空へ突き上げた。広い河川敷は激しく震えて悲鳴を上げた。……‥」
作家・佐々木譲さんの初期の短編「鉄騎兵、跳んだ」の書き出しである。言葉が、読む人の身体に粒となって突き刺さってくる、そんな勢いのある文章だ。ハードボイルド調のごく短い文章で、世界を構築している。
他人に本をお勧めするのは、なんだかしたり顔の自分が見えるようで、嫌なのだが、そんな思いを打ち砕くほど一読をお勧めする一冊がこれである。
当時バイクに熱をあげていたこともある(小説の舞台埼玉・桶川のモトクロス場はよく走ったものです)が、かなり影響を受けた小説のひとつだ。有名作家も含め、幾人もの作家がこれまでバイクやクルマを素材に小説世界の中に溶かし込もうと挑戦してきたが、これほど自然体で、しかもリアリティ溢れる小説はないと言い切れる。言葉を換えれば若い主人公とバイクが一体になって物語が進んでいくのである。逡巡する青春の終わりの日々を瑞々しく描いている。とくにバイクの知識なしでも楽しめるところがミソだ。バイクが特別なものだが、特別ではなくなる! そんな小説。
佐々木さんは、よく知られるように夕張生まれで、現在70歳。若いころいろいろな仕事に就き、なかでも本田技研では広告関係の仕事をされたのち、29歳のとき作家に転身されている。「エトロフ発緊急電」といった歴史小説や「笑う警官」といったサスペンス物まで幅広い。作品の多くは映画化、TVドラマ化されている。その原点に、この「鉄騎兵、飛んだ」がある。そう思うと、感慨深く、今夜もう一度読んでみることにする。現在は文春文庫に入っている。
前回に引き続きSEK(スエカゲツール)の工具である。
「スタビ―ダブルフレックス・ギアレンチ」(品番DFGS)である。
やけに長いネーミングを持つレンチだが、成りは短い。
要するに柄に2つの関節を持つコンビネーションレンチで、メガネ部がラチェット式になっている。カレーライスのご飯の見えるところに牛丼の具を盛りつけたような……工具、というとわかりやすい? 逆に分かりにくいかもしれないが、とにかく、いくつもの合わせ技を持つ便利工具なのである。
使ってみると、なるほど関節が2つあるということは、立ち上がり角度をしっかり持ったメガネレンチにもなるし、薄型メガネレンチとしてタイトな場所にあるネジを回すときに便利だ。スタビ―(stubby)というだけに、全体の長さが短め。たとえば、使用頻度の高いサイズ12㎜なら全長が通常の2/3の125㎜しかない。でも重量は100gで重い感じだ(通常は70~80g)。メガネ部の肉厚は8㎜で平均的だ。
それにしても、よくこんなコンパクトな寸法の制限のなかで細やかに作り込んだものだ。しかも、関節の動きが使い手の意のままに近いことが要求される。この点も、よくできていて、節度ある重さで操作できる。何度も使ううちに関節がくたくたになったら、関節部のボルト(ヘックス)を締めこめばいい。ちなみにメガネ部のギア数は90山で、作業性はとても高い。価格は12mmで3900円とSEKにしては、ややお高い。8,10,12,13,14mmの5本組みがケース付きで1万8800円である。