思えば三菱自動車という企業は、日本の“名門企業”が抱える制度疲労を象徴的に、読み解けるお手本のように思える。
1970年に三菱重工業から独立し90年代までは比較的順調に推移。ところが、2003年には半沢直樹シリーズで有名な小説家・池井戸潤作で、映画にもなった“空飛びタイヤ”事件。これがキッカケに大規模なリコール隠しが露見したことから、トラック・バス部門を分社化に発展。ブランド名が深くキズ付いた。ここから長い販売不振が続き、いまでは日本市場のシェアは1%前後に落ち込んでいる。この超低空飛行を打破すべく2016年には、野心家カルロス・ゴーンの主導で日産・ルノーファミリーになるも、肝心のゴーンがいなくなり、そのアライアンスも不透明。
そして時代は、100年に一度の自動車の大変革期!
このままでは、スリーダイヤモンドが自動車業界から消滅する、そんな危機感120%。相撲でいう「徳俵(とくだわら)」に足がかかった状態! このほど発売された「エクリプス・クロスPHEV」の登場は、その徳俵にかかった大ピンチから再び力を盛り返し、逆転への足掛かりになるかもしれない。三菱ファンならずとも、そんな車として位置付けたくなる。
徳俵に足がかかった三菱のエリートエンジニアは、たぶんこう考えた。「生き残るためのアイテムは歴史の中にあるハズ!」そして見つけ出したのが、世界ラリー選手権やパリダカなどで大暴れした4WD技術、それと11年前に世界初の量産EV「アイミーブ」を発売したプライドだ。
ラリーは、お金がないので表立って活躍していないし、アイミーブも世界50か国に展開したけどトータル販売台数2万3700台どまりで終わった。熱い思いでこうした事業を推進した当時のDNAが蘇る。ラリーと電動化技術、この2つがクロスして誕生したのが、「エクリプス・クロスPHEV」なのかもしれない。前後2つのモーターを付け、EVとして60㎞以上走れ、雪道であろうと、荒れたオフロードであろうが、舗装路もライバル車にくらべ、走る喜びを与える走行性は負けない。培ったヨーコントロ-ル技術とABSと横滑り防止装置などの合わせ技はライバルメーカーにはまねできない。スタイルだって、よくみると今風のSUVでイカしている。
価格も384万円台(しかもエコカー減税などの優遇あり)で、魅力的。とにかくハイテク満載、だからか車両重量は1800㎏もある。それにしてもトヨタなら500万円の値札が付きそうなクルマが400万円以下で手に入る。今後どのくらい売れる(訴求する)のかが気になる。
振り返ってみれば、幕末から明治初期にかけての「お雇い外国人」の活躍は、自動車が地球上に登場する以前の19世紀の出来事である。
「自動車の世紀」ともいわれた20世紀にはいると、「お雇い外国人」はすでに遠い昔の物語となっていた。
ところが、日本の自動車産業の黎明期。いまや長い時間の経過でカスミがかかり見えづらくなっている。
でも、よくよく調べてみると、まぎれもなく「お雇い外国人」がいるのである。初期の「お雇い外国人」から見ると「遅れてきたお雇い外国人」? 「20世紀のお雇い外国人」、そんなタイトルが付きそうな高い技術を持った外国人。その人こそが、この物語の主役ウイリアム・ゴーハム(写真)である。
ゴーハムは、日産の前身・戸畑鋳物時代に鮎川義介(日産の創業者)と出会い、日産の生産技術と品質管理など自動車メーカーとしての土台作りの司令塔になった。のちの日産の飛躍に大いに貢献するのだが、13歳で父に連れられて日本にやってきたころ(1901年)のゴーハムは、自分の運命を大きく揺さぶる未来の出来事など予想できなかった。このときはわずか3か月ほどの滞在だったが、日本の自然、神社仏閣、そして日本人の礼節に接して、すっかり日本びいきになったようだ。日産をつくった外国人の一人の物語は、ここから始まるのである。
「小林さんですか? すいません上野にある自動車雑誌編集者のヒロタですが、小林さんが昔乗っていたオースチンA40のメンテナンスで、お使いになった工具について教えてください」
いまから、30年ほど前の話である。当時すでに“伝説の自動車ジャーナリスト”となっていた小林彰太郎氏(1929~2013年)は、編集の第1線から退き、カーグラフィックの編集顧問だったかと思う。象徴的なのが彼のクルマ記事の文体は、雑誌社の枠を超え、かなりの広がりで伝播していた。つまり、不思議なことに「なんちゃって小林彰太郎文体」が横行していたのである。
で、当方はソケットツールについて調べていた時だ。英国のネジは、インチネジだが、アメリカのインチとは異なる表記をしていることが分かったので、それを整理して教えてもらいたかった。そして英国のネジ規格は、むかしのカーグラフィックをたまに読んでいたので、彼の古いオースチンをめぐる整備エピソード記事を思い出し、思い切って電話したのだ。同業者に塩をねだるのは、ご法度だという気分もあったが、同じ旧いクルマを整備する仲間として教えを乞う、そんな甘い気分で電話した。
ところが、電話口の小林さん、突然マニアックな質問で戸惑ったのか、英国のインチネジと工具についてきちんと頭のなかで整理していなかったらしく、即答ができず、うやむやな返事しかもらえなかった。そればかりか、「これからは、(質問に対しては)有料で頼むよ、キミ!」そんな言葉が返ってきた。驚いたのと同時に、そんなにお金に困っているのかなぁ? と素直に思ってしまったが、なんだか後味の悪い、それでいていつまでも記憶に残った電話の声だった。でも、お礼のつもりで、その後フリーになったときの処女作の単行本を献本した。
それから、翌年にでたのがこの本である。徳大寺有恒氏との対話あり、むかしの牧歌的な自動車の記事あり、いまはなく谷田部のテストコースをめぐる話やら、とにかく昔のクルマとクルマ雑誌のエピソードがうじゃうじゃ載っている。
それから、数年後たまたま本牧にある神奈川近代文学館で谷崎潤一郎展に出かけた折、入り口のラウンジで古いモノクロ映像が流れていた。大手生活用品企業のライオンの創業者・小林富次郎氏(1852~1910年)の葬儀の模様を撮影した日本最古の7分20秒のセピアがかったフィルム。明治末期の東京の市街地や当時の風俗、別けても女性の服装や数年後関東大震災でフォードのシャシーを使った9人乗りの円太郎バスとなる前の貴重な市電が走る姿などが展開。
そのときすでに鬼籍に入っていた面長で品のある小林さんの顔が、頭に浮かんだ。じつはライオンの創業者の一族だったのだ。…‥恵まれた身分で、自分の好きなことを強いココロで目指すことができた。とはいえ、エリート一族から当時海のものとも山のものともわからなかった、断じてカタギとは見られなかった「自動車のジャーナリズム」。その世界を悪戦苦闘して構築した彼の心情は、彼が造り上げた雑誌文化では言いあらわせない葛藤に満ちたものだったに違いない。
タイヤ交換のときに活躍するクロスレンチである。
通常のクロスレンチは、クロスしている部分が、溶接してあるので、早回しの際は工具全体を回転させることになる。このKOKENのクロスレンチは、フルターンタイプ。つまり早回しするときは、片手で黒いグリップ部を押え、もう一方の手で横のバーをクルクルと回転させる。つまりブレることなく、素早く確実に回転させることができるというわけだ。
横のバーが長いと梃子の原理で、より小さなチカラで脱着ができる。通常の固定タイプのクロスレンチは横のバーは400㎜が定番だ。
ところが、このKOKEN Z-EAL(品番4711XZ)は、横のバーが350㎜しかない。通常のものより50㎜も短い。
これでは非力な女子がタイヤ交換するには難しいのでは? と考えがち。ところが、上手くできているもので、横のバーはスライド式で、定位置以外でもT字型に近いかたちで回せるのだ。これなら、梃子の原理をさらに生かして小さなチカラで大丈夫そうだ(もちろん、ソケットにしっかりホイールナットを装着するのがポイントだ)。
横のバーの断面は、KOKENお得意の楕円形。これは、アセアンの各国でコピーされるのを防ぐという目的で10数年前から採用されていたKOKENのオリジナルデザイン。ここでは、この楕円断面形状のおかげで、スライド部の遊びがなくなり、信頼感を高める福音となっている。2ピースになるので収納に苦労することはない。
ところが、このクロスレンチの気になる点は、全体的に重い感じがすることだ。
試しに秤で測定すると、クロスレンチそのものは、915gとライバルとさほどの差はない。でも、これにソケット(差し込み角1/2インチ)を付けると150gほど重くなり、トータルで1㎏を越える。つまり、通常のものより大よそ1割ほど重い勘定だ。できれば、バーの一部を中空にするなどの工夫があると鬼に金棒だ。ライバルのなかにはパイプを使った製品もあるからだ。・・・・でも鍛造品をくり抜くとなると、価格が一気に高くなる。現在、この製品、通販で7700円ほど、これにソケット約2000円で計1万円になる。メイド・イン・ジャパンの工具に付加価値を付けると、このようなジレンマが付いて回る典型的製品なのかもしれない。
深刻化する格差社会、いつ果てることなく続くパンデミックの蔓延、これまで経験したことのない異常気象の来襲・・・・ノー天気に構えてきた庶民ですら、なんだかジョージ・オーウェルの『1984』以上のディストピアの悪夢をつい想像してしまう。ユートピアの白だと思っていたのが、オセロゲームのように、ディストピアの黒に変わる、疑心暗鬼の空気も蔓延している。
クルマ社会のユートピアといえば、究極のエコカーの代名詞であるトヨタの燃料電池車(FCV)「MIRAI」である。
このMIRAIが、4年ぶりにフル・モデルチェンジされた。初代がグローバルで1万1000台販売したというから、「まずまずの成功だった」とトヨタ関係者は総括。
新型は、いちから見直しエクステリアを俄然カッコよくし、不評だった航続距離も650㎞から3割増しの850㎞まで伸ばした。これなら大阪まで走れる。この背景には、水素タンクを2個から3個にしたからだ。だから、トランクの容積とリアシートの居住性がやや阻害されている。エアクリーナーの性能を格段に上げたため、吸った空気よりも吐いた空気のほうがきれいにできたという自画自賛は、いいとして、調べてみると課題が見え隠れする。
肝心の水素ステーションが、4年前からあまり増えていないのだ。現在135カ所で、しかも大都市ばかりで16の県ではゼロなのだ。しかも夜間は休業だし、休日はまったく営業していないところばかり。ユーザーから見るとやる気がない感じだ。
その背景には、1軒あたりの建設費が3億円以上かかり、年間の運営費が約3100万円もかかり、ほとんどが赤字だという。この打開策として、トラック、バス、鉄道、建設機械などのモビリティにも水素を使ってもらおうという取り組みを始めている。とりあえずコンビニの配送小型トラックにFCVを導入しようというのだ。つまり、ほかの産業との連携、協調を展開しようというわけだが、たやすくはない。
ちなみに、新型MIRAIは、税込み価格710万円台からで、各種補助金を使うと、570万円台で手に入る。それでも高いのは、肝のFCVが高価だということだ。こう考えると、なかなかクルマの未来は、安閑としておれない!?
あまり知られていないが、日本は19世紀の中ごろから末、幕末から明治期にかけ優秀な人材を海外から導入した。
「お雇い外国人」と呼ばれた人たちである。短期間で欧米の技術や学問制度を導入したかったからだ。ときのリーダーたちは「殖産興業」「富国強兵」この2つの4文字熟語をスローガンに、欧米と肩を並べる国造りにまい進した。当時の日本人が持ち合わせていない知識・経験・技術を豊富に備えた外国人を、高い報酬で雇ったのである。
鉄道技術をもたらしたイギリスのエドモンド・モレル、灯台建設の英国人リチャード・ブラントン、「少年よ! 大志を抱け」のフレーズで名高い札幌農学校で教鞭をとったウイリアム・クラーク(写真)、岡倉天心とともに日本の美を世界に広めたアーネスト・フェロノサ、横須賀造兵廠や城ケ崎灯台を作ったフランスのレオンズ・ベェルニー、大森貝塚を発見したアメリカ人のエドワード・モース、それに怪談物語で日本を再発見した語学教育者ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)など、有名無名を含め2000名以上の「お雇い外国人」が日本にやってきて、それぞれの分野で活躍したのである。日本の近代化の推進力として名バイプレーヤーとして働いたのである。
こうした「お雇い外国人」は、破格の待遇で雇われたため、佐賀の乱や西南戦争などの内乱鎮圧で財政がひっ迫すると急速にしぼんでいった。配電盤としての彼らの役割は明治の中頃を過ぎると一応終わりを告げたということだ。
技術ドラマを丹念に追いかけ、みずみずしいタッチで描くことで多数の読者を獲得してきた元IHIジェットエンジン設計者・前間孝則の真骨頂ともいうべき世界である。本田宗一郎の子供時代からの夢であった航空機の製造は、宗一郎が鬼籍に入ってから10数年の年月が経っていた。
ホンダジェットは実はアメリカでホンダが設立した会社でつくられた。むろんエンジンの開発は埼玉の和光だった。
実は、このブログの筆者は和光研究所でのジェットエンジンを取材しており、羽田に初めて飛来した2015年4月のホンダジェットの雄姿を写真にとらえている。このとき、はじめてプロジェクトリーダーの藤野道挌(ふじの・みちまさ)氏を知った。意外と若いことに驚き、先端部のデザインが「欧州旅行中に見かけたフェラガモのヒールからヒントを得た」というと挿話を聞くに及んで、ずいぶん軽い感じを受けた。
ところが、今回改めて新潮社の文庫でホンダジェットの秘密を知るに及んで、自分の知識不足があらわになった。
クルマの部品数が2万点で、航空機がその100倍の200万点ということは知っていたが、自動車開発と航空機開発では、まったく次元が異なるのである。アメリカの航空局などにお百度参り以上の安全の担保を取るための資料提出やデータづくり、その内容を知るに及び、GE,P&W(プラット&ホイットニー)、ロールスロイス社の3社が約7割を占めている世界のジェットエンジン市場がいかに岩盤で、その岩盤をいち東洋の自動車メーカーが食い込むことの凄味をこの本で味わった。三菱重工のMRJ(リージョナル・ジェット)が足踏みしている背景がなんとなく理解できた。
この本は、藤野さんを核に、開発秘話がいくつも知ることができる。なかでも、航空機ビジネスは、航空機自体を販売することよりもその後のメンテナンス(航空機エンジンは、高温、高回転、高負荷で痛めつけられるので、定期的なオーバーホールが必要となる!)での収入がクルマとは比べ物にならない。笑えたのは、航空機開発がかなりめどが立った時期、宗一郎がまだ元気だったころ、そのことを秘密にしていた点だ。宗一郎に知られると、彼の性格上、拡声器のごとく世間にしゃべってしまう恐れがあることを知っていたからだ、というのだ。だから、このことはごく一部のホンダマンしか知らなかった! 社内極秘研究プロジェクトであったのだ。
今回取り上げるのは、プラスドライバー、それも“2番(使用頻度が一番高い!)のドライバー”の軸に差し込んで使う「補助道具」である。あくまでも補助道具で、単独では使えません。
高いところや低いところなど、身体から離れた状態でねじを締める場合、うっかりするとネジがドライバーの先端からこぼれ落ちる・・・・そんなトラブルが起きる。そんな心配のある場合、これを使うと100%安心して作業がおこなえるという補助道具なのである。
使い方はカンタンだ。
あらかじめこの補助道具「ネジキャッチ(品番406)」を2番のプラスドライバーに差し込んでおく。丸軸6~6.3㎜とあるが、ややきつきつの感じでねじ込むのだ。で、先端部が、少し顔を出すくらいにしておく。写真を見てほしい。すると、ネジを先端のクロス部に付けると、かなり強力な磁力で離れない。上向きでも下向きでも、多少振っても(スッポンほどではないが)離れない。
あとは、何の心配もなくねじを締めることができるというわけだ。
説明をよく読むと、全体がアルミ製でわずか5gしかないが、ローレットを回すと中のゴムリングのへしゃげ具合をある程度調整でき(写真)、丸断面のドライバー軸6~6.3㎜の径に合わせることができるということだ。
以上、これだけのことなのだが、製造販売は、新潟三条のドライバーづくりの老舗ANEX(兼古製作所)である。製品そのものは、親指サイズ。価格は、ホームセンターで525円だった。他のドライバー、たとえば精密ドライバーとかに使えないのがつらい!