「自動車というのは、つまり自動で動くクルマって書くだろ、だから自動車はもともと自動という機能を備えている。それをなんだい? 自動運転にレベル1からレベル5まであるつうのが矛盾じゃないの?」
つい無邪気な突っ込みをいれたくなるが、ここはひとつワキマエテ・・・・「とりあえず段階的自動運転を進化させようではないか? だから便宜上レベル1からレベル5まで設けています」という立場を尊重する。
先日デビューしたホンダのレジェンドだ。価格が1000万円オーバーで、“100台限定”といういわくつきの高級車。
“量産車世界初! レベル3の自動運転機能”を備えた量産車という触れ込みだ。
具体的にどこまでの自動運転かというと、高速道路や自動車専用道路で渋滞時の時速50キロ以下という条件で、手放し運転がOKということだそうだ。ハンドルから手を離し、横を向いて、ボケっと流れる景色を楽しんでもよし、スマホの画面をみいっても大丈夫。違反にはならない! という。2つのカメラと5つのレーダーだけでなくレーザー光で障害物形状を正確にとらえるライダーというセンサーを装備。もちろん高精度の3D地図と準天長衛星「みちびき」などがバックアップして、レベル3の自動運転を実現しているのだという。
しつこいようだが、これで車両価格1000万円プラス!
一方、スバルのレヴォーグ(写真)は、レベル2で価格がその半値以下だ。値段だけとらえるとバーゲンセール(スバルによいしょするわけじゃないけど)。装置としては、レーダーがひとつ少なく2個、ライダーセンサーも付かない。でも3D地図と「みちびき」を活用しているのは同じ。
しかも≪高速道路あるいは専用道路上で時速50キロ以下での手放し運転OK≫というのも変わりないのだ。なら、同じじゃない? でも、よくよく調べると、「ドライバーの監視のもと!」という断りがある。つまり、ハンドフリーでもドライバーは常に前方を見ていないと、おまわりさんに捕まる可能性がある! ということらしいのだ(もちろん現行犯だけど)。だから、ノー天気にスマホを見ていちゃまずいということ! これってとても分かりづらい差異だ。
いまどきのクルマに乗るときは、こういう微妙な性能の違い(というか決まり事)を逐一把握していないとまずいということだ。余計なお世話かもしれないが、たとえばレンタカーを借りるときどうするんだろう?
となると‥‥『便利は不便』という皮肉な言い回しが、がぜん真実味を帯びてくる!
ちなみに、うんと安いほう(といってもなんだかだで450万円はするが)のレヴォーグを試乗してみた。近くのスバル店で10分間ほどの試乗。
運転免許証を見せながら、セールスマンにハンズフリー運転を試させてくれませんか? と伝えたら、「高速道路での試乗になり高速代をお支払いいただき……むにゃむにゃむにゃ」と言葉を濁す。ハンドフリーでの運転試乗はしてもらいたくない、そんなオーラを出しはじめた。一番のセールスポイントを顧客に体験させないの? ムムム、たしかに立場を変えれば、そうなるのかな。ほぼ買ってくれる人でない限り、スバルファンをひとり失くしたとしても、不特定多数の客にサービスする必要はないんだろうね。
しかたなく10数分の一般道路の試乗で我慢した。その結果、ドライバーズカーとして、とてもいいクルマだということは理解できたが、肝心の機能が確認できないもどかしさは、やがて喉に引っ掛かった小骨のようになった。
アメリカにおける航空エンジンの流れはほぼ定まったのである。ゴーハムの航空機エンジンへのアメリカでの夢は、ここで絶たれてしまった。
彼にとって生まれて初めての大きな挫折だったにちがいない。
この時すでにゴーハムは、幼馴染のヘーゼル・ホックと結婚し、経済的にも何自由ない生活を送っていた。小型エンジンを生産する数百名の従業員を抱える経営者だった。だが、エネルギー溢れるゴーハムには、そうした現状に満足していなかった。平穏無事な日常よりも、新しい目標に向かって自分なりの挑戦をしたかった。新しい地平を開きたかった。
そんなとき出くわしたのが、櫛引弓人(くしびき・ゆみと1859~1924年)という日本人だ。櫛引という姓は珍しい。調べてみると、太平洋側にある陸奥国の三戸郡櫛引村がルーツのようだ。
櫛引弓人は、青森五戸の名家生まれ。「もともと武家の家柄で、父清吉の祖先は「五戸の乱」で南部信道と戦い、敗れた五戸政美の副将・櫛引河内の守清長の弟、八郎平政信だという。母は立五一銀行を創設した野村家の出で、共に地元の名望家」(橋爪信也著「人生は博覧会・日本ライカイ屋列伝」)
幼少期はとにかくほら吹きという評判で、成人となり、興行師となった。興行師とは、いまでいうところのイベント業者である。別名「博覧会キング」と呼ばれた。いわば人々の好奇心をかき集め、いっきに燃え上がらせるビッグビジネス。儲かるときは莫大な富を得、逆に一つ失敗すれば逆に窮地に陥るゆえに、かなり怪しげなにおいのする生業だ。でも、好意的に言えば「国際的イベントプロジューサー」である。
裕福な家庭に育った櫛引は、若いころ慶應義塾の福沢諭吉の門下生となるが、放蕩で身を持ち崩し、相場の世界に足を踏み入れる。親から受け継いだ財産をみな注ぎ込み大失敗。
そんな日本人と、どちらかというと実直な性格のゴーハムさんは出会い、化学変化を起こしたのである!?
仕事がら本を読むのはさほど苦にならないたちだ。でも、こんなに息苦しい気分で、ページをめくるのにおっくうになりながら活字を追いかけるのは、めったにない。何度も、読むのをやめて途中でほっぽり投げ、他の本に手を伸ばしかけた。
でも、ふと考えて「なぜこんな気分になるのか?」その正体を探るうえでも、最後まで読まなくちゃ! ときに自分を鼓舞することも読書には必要なのか!?
あとがきを入れて220ページほどの新書なのだが、とにもかくにも読了するのに延べ3日もかかってしまった。
読了まで前向きに、明るい気分で読み進めなかった理由は、トラック業界、物流社会のことをある程度知っていたことがあるかもしれない。これまでトラックに関する単行本を何冊か書いてきた。中高校生向けの職業ガイド『物流で働く』(ぺりかん社)では働く現場をこの目で見てきたつもりだし、数人のトラックドライバーにもインタビューさせてもらった。『ツウになる! トラックの教本』(秀和システム)では、トラックドライバーの直撃取材はしなかったが、トラックのモノづくりから修理の現場など知られざる周辺世界の人たちを、好奇心に身をまかせてインタビューしている。
トラックドライバーの実態もある程度は知っているつもりいる。「そりゃ、半世紀前の体験であまりにも古いぜっ!」をいわれそうだが、学生時代のまるまる1年間ほど、2トントラックのハンドルを握り、物流の世界で仕事をしていた。当時運転のバイトは割りのいい部類だった。(都内の運送会社で日清製粉の粉もん、つまりウドンやてんぷら粉などを運んでいました。ちなみに当時はパスタはほとんどなかった気がします)
トラックドライバーの立場に立った、この本を読んでみると、その時代と少しも変わらないところもある。でも一方で、この50年で日本国内の物流の主役がトラックに大きく依存し、にもかかわらずトラックドライバーがどんどん世間からの風当たりが厳しくなったという現状。ざっくり言えば・・・・高度成長経済の世界では、トラックの運転手は気楽な稼業という印象だったのが、現在はシビアで割に合わない感じの商売になっている。
重量車両をあやつるので「交通強者」として扱われるトラックドライバーだが、大事故が起きるたびに社会的には、白い目で見られる。立場はオセロゲームのようにクルっと裏返り、実は「交通弱者」だったということがこの本を読むと理解できる。
これじゃ慢性のドライバー不足になるのも当たり前である。日本の物流の90%以上をになう割には、待遇もよくない。いまや工場でもコンビニ、スーパーでもこれが正義の一台柱となっている“ジャストインタイム”の弊害から、荷主第1主義で、遅配はむろん大目玉を食らう。早く目的地に着いた場合も、長い間待たされたり、ときに待つ場所を与えられず、惨めな立場に追いやられる。しかも、過酷な荷下ろし作業をただでさせられるケースもあるという。
筆者・橋本愛喜(はしもと・あいき)さんは、現在フリーライター。父親はもともと金型製作の会社の社長さん。そこで彼女は、金型を運ぶ仕事でトラックに乗るようになったという。自分の目で見て、体験して、取材してトラックドライバーの置かれている現状をつぶさにリポートしている。
長時間の運転で、一番難儀するのは、生理現象だ。
おしっこをするタイミング。コンビニ、高速のPA,SA…でも大型トラックを止める場所などそうそうあるわけではない。仕方なく、空になったペットボトルにしてしまう。それをついポイ捨てする‥‥。交差点の空き地に、お茶の色をした液体が入ったペットボトルが捨てられているのをときどき見かけるのは、そうしたわけだったのだ。クルマの運転が大好きだとしても、日本のトラックドライバーの置かれた現状は、けっして明るい未来が見渡せない。自動運転システムを備えたトラックが完成したとしても、積み残した課題の重さは変わらない!?(本書は2020年3月刊)
今回取り上げるのは、三木市の藤原産業が販売している差し込み角1/4インチの「T型スライドソケットハンドル」(品番STS-220S)である。ホームセンターでの購入価格は、消費税込みで、940円ほどでした。
台湾製ではあるが、ズバリ言えば、お買い得感たっぷりだった。
通常、T型レンチはよく知られるようにバイクの整備に都合がよくできている。バイクは縦長なので、横からTレンチで、相手のネジに対峙するのがとても具合がいいからだ。だから、バイク屋さんをのぞくと、Tレンチがしょっちゅう活躍している光景がみられるはず。
逆に、クルマの場合、たとえばエンジンルームにあるネジを脱着することを考えると、Tレンチは伸びをする感じになるので不利になる。でも、斜め横からなら十分活躍できる。シルバーのカラーが軸についているので、指ひとつでクルクル回せられ、実に軽やかに、スピーディにネジを緩めたり、締めたりできる。もちろんT型で締めることもできるし、ハンドルをどちらかに寄せてL字型レンチでより強い締め付けをすることもできる。
この製品は、Tレンチだけで終わらない。ここがユニークなところだ。
ハンドル部と軸部分を取り外すと、軸部が全長200㎜のエクステンションバーになるのだ。ジャジャジャ~ンとばかり、もう一つの顔が姿を現した感じ!?
ハンドル部を取り外すし、頭部を見ると1/4インチの差し込み角部があるのだ(写真)。そこへ1/4のラチェットハンドルを取り付けることができる。手が入りづらい奥にあるネジを、楽に緩めたり締めたりすることができる。
そして、先端部のソケットを付ける部分をズームインしてもらいたい(写真)。KO-KENなどのエクステンションバーでずいぶん前から採用されている2段階差し込み方式だ。つまりストレート(固定)でも首振り、どちらでも選択できる、便利な機能が付いている。製造の立場に立つと、通常のモノづくり工程に比べ2工程ほど多くなり、その分コストが上がる。でも、実際使うとストレート(固定)」にした場合、ソケットとの間にガタがあるのが気になった。
いつも思うのだが、T型レンチは、ガレージで管理している工具たちととらえれば、問題ない(たとえばツールボードにぶら下げるとか、レールに差し込むとか)が、限られた大きさの工具箱に収納すると少し厄介。
というのは、その形ゆえに、ほかの工具と絡んで、必要工具を探すときに邪魔になるのだ。でも、この製品は、軸とハンドルバーが分離できるので、繰り返し使えるリピートタイプの結束バンド(タイラップ)、あるいは百円ショップで手に入るマジックテープで、縛り付ければ、片方を紛失することなく、整頓も楽になるハズ。ところが相手は表面がメッキされているため滑りやすい。そこで、ホームセンターで手に入れた手持ちのチューブ状のゴム保護素材を活用してみたら偶然にもうまくいった。百均で手に入る幅広のパンツのゴム(?)あたりでも大丈夫だと思う。ちなみに、重量は133g、全長は200㎜。
トヨタの実験未来都市プロジェクトウーブン・シティ(WOVEN CITY)が、2月23日工事スタートした。“富士山”=233にゴロ合わせしたのだ。
70万ヘクタール、東京ドーム15個分という富士山の裾野に広がる用地。ここは、もともと関東自動車工業を前身とした高級車センチュリーなどをつくってきた東富士工場(従業員数約1100名)の跡地。
静岡県の裾野市と御殿場市にかかる広大な土地で、数10年後のクルマが走るとされてきた東富士研究所ともごく近いロケーション。ここに、自動運転車だけが走る道路、歩行者だけの道路、混流の道路、地下を走る物流用の道路など計4つの道路が、まさに人工知能や自動運転テクノロジーを組み込んだウーブン(編み込む)な未来都市。インフラと一緒にクルマの開発も進むので、加速度的に知見が蓄積できるというのが、大きな狙いだ。
シニア世代、子育て世代、それに各国からのエンジニア合計約2000名が生活をおこない、これからのクルマ社会に必要なCASE(コネクティッド、オートノマス、シェアリング、エレクトロニック)をとことん実証し、研究するというものだ。
このウーブン・シティ、今後20年かけて完成させていくというのだ。完成させながら、これからの未来社会のヒントにしていくというのが、大筋なハナシらしい。むろん、トヨタがコア企業ではあるが、内外からの企業を呼び込んでのプロジェクトで、NTTなど計2000社ほどが参加する見通し。
このプロジェクトを地元はどう見ているか? ちなみに日本の地方都市が抱える課題は、少子高齢化や人口減少による税収入の減少などによる疲弊化だ。東海道メガロポリスの範疇にある裾野市や御殿場市は恵まれている地方だと思いがち。ところが、ほかと同じような課題を抱えているという。両市および静岡県は、こうした難題を一気に解決できる切り札としてこのトヨタのウーブン・シティをとらえているようだ。いわば、もろ手を挙げての賛成。まるで、アメリカの西海岸のシリコンバレーのように、海外から大注目され、インバウンド需要があふれかえる、という無邪気な夢を描いている向きもあるようだ。
ところが、このプロジェクトは、そう簡単には成就できない面が透けて見える。
このプロジェクトをスムーズに効率よく押し進めるには、街の住民の個人情報を緻密に管理される可能性がある。ということは、開かれた街づくりとバッティングすることになる(昨年中ごろ、カナダのトロントにグーグルがスマートシティを創設しようとして、個人情報の扱いが争点になり住民の反対をうけ、けっきょく撤退したという事例もある)。それにほかの地域からのクルマや人が入り込み、万が一事故が起きた場合を想定して、ちくいち地元警察の許可を取る必要も出てくる。これをクリアするには、特区制度で規制緩和という手もあるが、果たしてできるのか? となると豊田章男社長の言う「開かれた街にしたい!」という未来像も揺らぎがち。
ともあれ、まだ工事が始まったばかりで、トヨタは、その青写真の全貌をほとんど公開していない。未知数の部分が多すぎるだけに、期待だけが肥大化し、今後必ず起こりうる不安に霞がかかるばかり。
カルフォルニア州の地方都市に過ぎないオークランドでの数百名規模の工場経営の成功。いわば小さなアメリカンドリーム。
でも、この成功は、若いゴーハムのこころの充足感を、埋めることができなかった。これだけでは満足していなかったのだ。
次に取り組んだのが、航空機のエンジンである。飛行機の歴史は、よく知られるように1903年のライト兄弟の初飛行から始まる。ゴーハムは、とにかく持てる力を発揮して、最新の技術を投入して高性能な航空機エンジンを作り出すべく励んだ。そして出来上がったのが、V型6気筒150馬力のエンジン。このエンジンを搭載した飛行機に同乗して、彼はサンフランシスコのゴールデンブリッジのうえを試験飛行したという。1916年のことだ。
このエンジンは、アメリカ政府によっておこなわれた厳しいテストを通過し、高い評価を得た。だが、ゴーハムのエンジンを凌駕する航空機エンジン「リバティエンジン」がその後しばらくして完成したからだ。
結論を先走れば、アメリカにおけるゴーハムの航空機への野心は、この先絶たれることになる。その背景を駆け足で探ると‥‥。
時代はちょうど第1次世界大戦のさなかである。1903年のライト兄弟の飛行からわずか10年少ししかたっていないながらも、航空機が戦争の新しい道具として欠かせないものとして捉えられ始めた、そんな時代。
アメリカ政府は、対ドイツ戦線を決断した1か月後の1917年5月、航空機生産委員会の名のもとに、えりすぐりのエンジニア2人(パッカードのエンジニア/ジェシー・ヴィンセントとホールスコット・モーターカー所属のエルバート・ホール)をワシントンDCに招き、英国、フランス、ドイツなどの航空機を凌駕する航空機エンジンの設計を命じたのだ。高性能で量産化できるエンジン。そしてわずか2か月後に図面ができ、デトロイトにあるパッカードの自動車工場でV型8気筒の試作エンジンが組み上がり、さらに8月には、V型水冷12気筒エンジン(写真)が完成し試験され始めたのである。その秋には2万2500機が発注され、ビュイック、フォード、キャデラック、リンカーン、パッカードなどの自動車メーカーやエンジンメーカーに生産が割り振りされた。だが各工場の生産設備などの問題があり、一部はモジュールといってシリンダーならシリンダーだけの生産という具合に部品別生産がおこなわれ、2年間の間に2万基以上のエンジンが生み出されている。
私が小学生のころ、昭和30年代に“トップ屋“と呼ばれる商売があった。
高度成長経済が始まりかけていたころだと思う。週刊誌ブームが沸き起こり、出版社の依頼で週刊誌の記事を書くライターやジャーナリストが登場した。スクープ記事を追い求めるライター達。彼らのことを「世の中のトップの話題、美談も醜聞も先んじて追い求める男たち」という意味で、どうやら“トップ屋”と揶揄されたようだ。
その代表格の作家が、梶山季之(1930~1975年)だ。今回取り上げる本は、その梶山がトップ屋から流行作家となった第1作と思われる作品「黒の試走車」である。文庫本で410ページばかりで、かなりの長編だ。読むのに4日かかった。
日本に急速に訪れたマイカーブーム(モータリゼーション)で、憧れの存在だった自動車が高額商品には変わりないが、庶民の手の届く存在になりつつある、そんな時代。高度成長経済の陰で熾烈な戦いを演じる「産業スパイ」の世界を小説のカタチで展開した企業小説の走りともいえる。
この本の初デビューは、カッパ・ノベルスである。1962年。光文社のカッパ・ブックスの姉妹版として、カッパ・ノベルスは、当時の出版界に旋風を巻き起こした。松本清張の「ゼロの焦点」「砂の器」、小松左京の「日本沈没」などミリオンセラーが少なくない。森村誠二や赤川次郎、西村京太郎などの小説も並ぶ。
それにしても、いまから半世紀以上前(正確には60年前!)の本をホコリを払い、なぜわざわざ取り上げるのか? 不思議に思う読者も少なくないと思う。かくゆう私もこの本のタイトルは承知していたが、手に取ったことがなかった。この本がブームになったころ、日産の村山工場で少し仕事をしていた。1962年プリンス自動車の村山工場としてスタートし、1966年に日産に改組。2004年カルロスゴーンの改革で閉鎖したいわく付き工場だ。ここのプレス工程で工員として夏休みのアルバイトをした経験があり、その時の片腕のない高飛車な態度のガイダンスのおじさんがこの本を引き合いに出して説明してくれたことを覚えている。仕事は見上げるほどのプレス機の4隅に工員を配し、指を挟まないように同時に両手で大きなボタンを押すと上から金型が降りてきて、平板をあっという間にフェンダーなどのカタチにしてしまうというものだ。
当時荻窪のアパートに住んでいたのだが、この工場には電車とバスを乗り継ぐため予想外に時間がかかり、3回ほど遅刻をして、その場で即刻首になった。けっきょく10日ほどしかプレス工としての経験はない。(ちなみに、数年まえホンダの狭山工場でプレス工程を取材したら、ほとんど無人ですべて自動でプレスされていた。マジシャンがトランプ・カードを右から左にシュシュッと移動させるように、すさまじい速度で成形されていた!)
今回この本のタイトルを見て、そんな苦い経験が思い出された。
この小説の主人公は、プリンス自動車とおぼしき自動車メーカーの企画PR課のサラリーマン。実は、この課の実態は産業スパイそのもので、業界誌に中傷記事を書かせてライバル企業を窮地に陥れようとしたり、ライバル企業の経営者会議を向かいのビルから覗き見て、読唇術を駆使して、ライバル社の新車価格をいち早く知ることで事業を有利に展開しようとする。でも、こうしたスパイ活動に身を染めるうちに、信頼していた同僚を失い、頼りにしていた仲間に裏切られる。そして、結婚を約束していた女性を使ってまでライバル企業の機密を盗もうとまでしていくことで、自分を失いかける。昭和時代における企業戦士のむなしさを読み取ることもできる。
…‥そもそも行き過ぎた忠誠心はいまの若者の目にはギャグもしくは喜劇としか映らないか!?
この本カッパ・ノベルスでデビューしたのち、43年後の2005年に京都にある人文関係のどちらかというとおかたい出版社(松籟社)から再版され、その2年後にはもっとお堅い版元岩波書店の岩波現代文庫に収まったのである(写真)。半世紀前の企業小説のどこが、必要とされているのか? それを探った。
とにかく60年前の情報なので、駄目だしする箇所は少なくない。でも、当時30歳そこそこの梶山が短期間で、これだけの内容の本(とにかくクルマづくり、クルマの販売の世界などが詳細を究める)をよくまとめたことを思えば、素直にリスペクトせざるを得ない。情報自体が古さを否めない。でも、よく読み込んでみると昭和の貴重な記録と位置付けられるし、この本を読めば、だいたいクルマをめぐる産業の流れの大筋が掴める。存在価値があるのだ。
登場人物は、業界紙の社長、銀座のマダム、それに美人ディーラー社長などいずれも濃い人物ばかり。サスペンスあり、えぐいラブシーンありの昭和の香り120%の企業エンタテイメント小説。ところが、よく眺めてみると、ところどころに東京の風景や、風俗(たとえば飲酒しての運転シーンが何の躊躇なく登場する!)が描かれている。移ろいやすいもの、たとえば人気の芸人などを登場させるのは、作品が早く古びるとして、こうした物語にはご法度なのだが、あえてそうしなかった。昭和39年の東京オリンピック以前の東京の風景や風俗が、作者が多分意図して入れ込んだのではないのだろうか? そう思わせるところがある。
企業への行き過ぎた忠誠心と言えば、この本がデビューする数年前、実の姉貴がトヨタに勤める男に嫁いだ折、その披露宴での出来事が秀逸(皮肉だが)だった。披露宴で興にのった新郎側の上司や同僚が、奇妙な歌を歌い出したのだ。当時ライバル会社だった日産への露骨な悪態を並べた(第3者の耳には)聞くに堪えない歌詞を並び立てた歌だった。なりふり構わないライバル心剥き出しのサラリーマンの無邪気すぎる従順さに辟易した覚えがある。
こう考えると、この企業小説は、働くとはどういうことなのか? 企業とはどういう役割なのか? 企業に所属するとはどういうことなのか、そんな基本を教えてくれる一冊なのかもしれない。梶山は早書きだと後ろ指を指されながら、60年後の時代でも読まれる小説を書いたことに深い敬意を表したい。
長いあいだクルマやバイクの標準工具として“付録で付いてくるコンビネーションプライヤー”は、「この程度のものじゃない!?」という、いわば自嘲とあきらめがにじむ黄昏のツールだった。なにしろ、ガタが大きく、握ったときのココロがいまひとつ定まらない感じだし、表面処理もざらざらして、少しも愛着を感じない。・・・・それでも仕方なく使っていたのは、付録でタダで付いてきている(本当は車両価格に含まれるのだが)から。
だからして逆説的に・・・・ドイツのクニペックスが輝いて見えるのかもしれない!?
ここをなんとかせんと・・・・いけない! 今回取り上げるプライヤーはそんなモノづくり側のココロザシが、ほのかに見える製品である。新潟の五十嵐プライヤーIPSの製品である。品番がLPH-165である。
このコンビプライヤーは、クニペックスとは正面対決を避けている。グイグイ使い込み、プロのメカニックの相棒として、いい仕事を支えるプライヤーがクニペックスだとすると、こちらは、ソフトタッチなのである。アゴ部分に樹脂のカバーを付け、つかむ相手にとてもやさしいのである。これなら、メッキ品をつかんでも、化粧ナットをつかんだ時も、相手がプラスチックで弱っちいものでも、とにかくキズが付きずらい。だから、あらかじめ、保護目的にウエスを軽く巻き付け、用心深くつかみかかる…‥なんて忖度(心遣い)をしなくても大丈夫。
そしてこのコンビレンチのいいところは、ガタがまるでない。従来のコンビプライヤーの悪評を吹き払う。
それに軽量だということ。実測128gである。数値的には従来品の約3割軽い。実際手に持つとフィーリングとしては約半分の重さだ。ということは、バイクのツーリングのお供工具の仲間入りを許してもいいかもしれない。
あえて、不満なところをあげると、グリップがやや貧相なところ。それと全体のデザインももう一工夫してもらうと、購入価格1738円がお買い得プライスと認識できるのだが。それと商品のパッケージは、魅力があるが、商品名が意味不明に近い。「ワンタッチソフトコンビ」なのだから。