みなさん!知ってますCAR?

2021年4 月15日 (木曜日)

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半世紀前に自動車に追いやられた路面電車の謎!

横浜市電保存館1

横浜市電保存館2

  自動車という乗り物がいま大きな曲がり角にきている! 
  このフレーズ、耳にタコができるほど聞いてはいるが、そもそも現在のモータリゼーション、つまり“人間生活がクルマ無しではいられなくなった”のは、いつ頃のことなのか?
  これを探りに、“市電保存館(正式には横浜市電保存館)”にでかけてみた。なぜかクルマでいくより、ペダルをこいだ方がふさわしいと思いこみ、自転車で出かけた。住所でいうと、磯子区滝頭3-1-53は、美空ひばりさんが生まれたところでもあり、横浜の下町そのもものだ。
  「横浜市電」は、明治37年(1904年)から昭和47年(1972年)の70年間にわたり「ちんちん電車」として親しまれ、市民の足になって大活躍した。最盛期(昭和31年)には204両の車両が15系統の路線で走り回り、なんと総延長距離が204㎞もあった。(ちなみに東京の都電は40系統で約213㎞だった)
  現在、日本の都市、たとえば札幌、函館、高山、京都、広島、豊橋、高知、松山、熊本、鹿児島などでも路面電車は走り続けているが、それぞれ10km未満だったり、せいぜい20㎞オーバーの総延長距離。
  これから見ると、横浜市内はいかに路面電車が庶民の生活に結び付いていたかがわかるし、いまでも保存館に訪れる家族ずれや社会科見学の小学生の小さな胸に響くのが伝わる。路面電車という存在は、若い人には新鮮で、シニアにはノスタルジックな気分を抱かせる。しかも環境にやさしいことが大いに見直され、都電荒川線は1974年に、恒久的な存続が認められ、富山や宇都宮などの地方都市でも交通緩和策として、新路線建設が進んでいる。
  路面電車が少数派に追いやられた背景は、高度成長経済期にクルマの数が劇的に増えたこと、とされている。
  調べてみると、横浜市電が廃止された年1972年2年前日本のクルマ保有台数が1800万台に迫っていた。その10年前の1960年には135万台だったので、10年で10倍以上! 「道路面積を増やすより、もたもた走る路面電車をやめた方が手っ取り早い」とばかり、路面電車の良否を十分に吟味しないままに性急に目先の利益を追い求めてしまったのだ。
  じつは、こうしたことは、海の向こうのロサンゼルスでもあった。ロサンゼルス鉄道は、1901年から1963年までLAの中心部と周辺部を走っていた。最盛期には20以上の路線と1250両もの車両が市民の足として存在していた。ところが、GMとタイヤのファイアストン、シェブロンなどの石油元売り会社などの投資家が共謀して、路面電車を廃止に追い込んでいる。アメリカのこうした露骨なスキャンダラスな事件にはなっていないが、日本の場合は、いわば“共同幻想”で路面電車の線路を引っ剥がしたということのようだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

遅れてきたお雇い外国人 ウイリアム・ゴーハム伝(第8回)

ゴーハムとその社員  浜松での興行では、まだ少年だった本田宗一郎が三角乗りの自転車でおよそ15キロ離れた会場に駆け付け、会場の外の木にのぼり、かたずをのんで見守ったというエピソードが残っている。こうした日本でのアート・スミスの曲芸飛行のマネージメントをしたのが櫛引弓人だった。
  アメリカに帰国したアート・スミスと櫛引から、日本での曲芸飛行興業の大成功ぶりを聞いたゴーハムは、飛行機に対する熱い思いが日本人の間に広がっていることが伝わった。伝わると同時に冷静にいられなくなった。
  13歳のときに父親に連れられ日本の各地を旅した時の素晴らしい経験がよみがえってきたからだ。アメリカでの航空機事業に挫折したゴーハムは、航空機がいまだ未開地である日本でなら、自分のチカラを大いに試すことができる、としたら、それは日本においてない。そんなふうに30歳になったゴーハムは考えたに違いない。
このときゴーハムは、すでに2人の息子の父親でもあった。13歳のとき強く印象に残った日本という新しい地で、自分の力を思いっきり発揮することができる。新天地は日本をおいてほかにない。そう考えたゴーハムは、家族そろって日本にやってきたのである。かなりの強い決意である。
  航空ショーを想定して、パイロットを連れ、飛行機2機、ゴーハムが開発した航空機エンジン3基、それに工具や治具などをたずさえた、ということを知るとその決意のほどが理解できる。新天地を求め、日本に移住したのである。
  それにしても、1918年といえば大正7年、明治維新から半世紀たって、ようやく近代国家としての体裁が整い始めていたとはいえ、欧米から見れば因習社会のなかに日本人の大半は暮らしていた。逆の立場で、可能性を信じて新大陸アメリカに移住する日本人なら、理解できるかもしれないが。
  アメリカ人がいまだ未開発なところが残る東洋の小国に家族ともども移住するというのは、きわめて稀な事例だといえた。しかも、事業がうまくゆく保証などどこにもないし、頼るべき人物も望むべくもなかった。まさにゴーハムにとって、日本はフロンティア(新天地)そのものだったのだ。
  そう考えると、ゴーハムという男は(家族を含め)、あきれるほどのフロンティア精神豊かな、大の好奇心豊かな好男子だったに違いない。
  ≪写真は、ゴーハムエンジニアリング社の社員とゴーハム氏(右端)≫

カーライフ大助かり知恵袋2

書評:森功著『ならずもの/井上雅博伝―ヤフーを作った男』(講談社)

+ならずもの  5年ほど前に読んだスティーブ・ジョブズのことがわかるウォルター・アイザックソンによる伝記(講談社2011年刊)は、かなり読み応えのある本だった。でも、この本のおかげで、ある程度現在のITの流れが理解できた(つもり)。
  ところが、日本におけるIT世界となると、PCとスマホを使うだけの門外漢に過ぎない。
  そんなわけでYAHOO!ジャパンを作った人物についてはあまり興味がなく、名前すら知らなかった。
  その男が、実はクルマ大好きおじさんだった。一説によると1000億円という、一生かけても使いきれないほどの大金を手にして、60歳を前に全ての事業から手を引いた。“日本一成功したサラリーマン”との異名をとり、そして箱根にクラシックカー10数台を愛でる超豪華な別荘を数十億円投じて作り上げた。少年時代の夢を実現させた21世紀のヒーロー。
  ところが彼の人生は突然閉じられた。3年前、60歳を前にカルフォルニアのクラシックカーのイベントで直径3mもあるセコイヤの大木にぶつかり事故死した。乗っていた1939年製ジャガーSS100(直列6気筒OHV3.5リッター4速MT)も見る影もなく大破した。
  今回取り上げる単行本(2020年5月刊)は、この男の物語である。
  実はこの本を知ったのは、筆者の森功氏のおかげである。
  物語の主人公以上に、この本をまとめた1961年生まれの筆者に大いに関心をいだいたからだ。
  伊勢新聞記者を皮切りに、週刊新潮編集部で鍛え上げられたノンフィクションライター。いま一番脂がのり切っていることがうなづける。新潮社で週刊新潮や写真雑誌フォーカスを作り上げた伝説の大編集者“斎藤十一(じゅういち:1914~2000年)”の伝記を見事な筆遣いで手がけていた。この伝記の完成度に強く惹かれ、いわば芋づる式に“井上雅博伝”に行きついたのである。期待を裏切ることなく周到に取材して、手堅くまとめている。「週刊現代」で連載した記事に加筆・修正した単行本。
  ところで、この『ならずもの』には、コンパクトカーや4ドアセダンなど生活感のあるクルマの姿はこれっぽっちもない。いわば富裕層だけが所有できる特別のスーパーカーや博物館に収まってもおかしくない超弩級のクラシックカーばかりだ。普通のポルシェやフェラーリではなく、スターリンが隠していたベンツだとか、有名人が愛用していたレアなクラシックカーばかり。プレミアム感120%の高級車ばかり。
  このコラムを書いている筆者(広田)は、幸か不幸か、この本に出てくるクルマ好きの富裕層の類には一度もインタビューした経験がない。でも、彼らを顧客とする高級車専門にメンテやリストアをする整備士には数人だがインタビューしたことがある。そこから、富裕層といわれる人たちのクルマへの独特な愛をときたま聞き及ぶことがある。たぶんカーグラフィックあたりを丹念に読んでいる読者の方が、こうした世界を私より知っているに違いない。
  この本は、図らずも彼らの生態の一端を如実に教えてくれる。おぼろげながらも、なんだか全容をつかんだ気にもなる。そして(嫉妬心もにじませながら言えば!)「ああっ、やっぱりな」というか、「クルマへの愛はいろいろあるけど……けどね」とひとことでは言い表せない複雑な気分になる。クルマ文化の担い手はそうした富裕層、なのかもしれない……。
  この『ならずもの』の主人公は、東京世田谷の祖師谷団地でごく普通の子供時代を過ごし、都立高校をへて東京理科大の学生の頃、たまさかバイトしたのがIT企業だった。そこからあれよあれよと、孫正義の片腕になり、独立しヤフージャパンを育て上げ、一夜にして億万長者となった。まさに時代が生んだミリオネイアである。それは、常日頃、座右の1冊としている内橋克人著「破天荒企業列伝」に出てくる明治・大正・昭和を彩る強烈な個性を持った企業人。それに連なる人物像にも当てはまる。お金持ちは、さらにそれ以上の資産を生み出そうとする、ともいうが使いきれない大金を持った人間は必ずしも“金を使う達人”ではないようだ。
  数世代にわたったお屋敷の庭石をバールで、エイとばかり、ひっくり返したら、そこには見たことのない虫たちがうごめいていた。この本は、そのバールの役目をしているのである。ちなみに、『ならずもの』というタイトルに違和感があるが、調べてみるとYAHOOという英語の俗語は、スイフトの「ガリバー旅行記」に出てくる「ならず者」がルーツだという。

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ラチェット式メガネレンチに見る機能と価格!

超ロングダブルフレックスロックギアレンチ1

超ロングダブルフレックスギアレンチ2

  誤解を恐れず言えば、手工具(ハンドツール)の世界は、超ブランド・ワールドである。
  百均で手に入る、かなり怪しい感じのお手軽ドライバーやメガネレンチ、ペンチなどもある。でも、少し真面目に整備しようとすると名の通ったブランド品を手にすることになる。自動車やバイクと同じで、20年前や30年前のような、あまりの不出来でひどい目にあうということはまずありえない。
  押し並べて、品質が高くなり、信頼耐久性についても裏切られることはまずない。
  となると人間社会は、ブランドで差をつけるしかなくなる。成熟社会になると、学歴を重要視する人が増えるのと同じだ。人となりをじっくり観察して、判断するという手順をスルーして、いわば思考停止しがち。
  今回取り上げるSEK製の「超ロング・フレックスギアレンチ」(LDFL1012)をあれこれ使ったり、調べていくと、そんな疑問にぶち当たった。
  製品そのものは、既存の機構を存分に投入した意欲的な工具だ。290㎜という長めの全長の両端には、72ギアのラチェットを組み込み、しかも首振り式にしている。首振り機構にも、ワンタッチで角度を固定するメカを取り入れ、使い手のことを考えたデザイン。表面の仕上げも、鏡面加工だし、重量も153gと抑えたもので、いろんな機構を盛り込んだわりには、破綻していない好感の持てるツールだ。
  ただし、価格が、7500円(あくまでも売値だが)というのは驚く。14-17㎜の品番LDFL1417は、9000円。SEKといえば安い割にはよくできた工具、という印象だったが、機能を念頭においても少しお高い感じを受ける。
  そこで、スナップオンやKTCの類似品の価格を調べてみた。
  まったく同じ機構のものはないようだ。KTCには、両端同じサイズで、片側だけにラチェット機構を持たせ、もう片側は通常のソリッドタイプというのがあり、7000円ほどだ。スナップオンは、通常のロングタイプのメガネレンチ(品番がXDHFM1012)で価格がやはり7000円代(並行輸入品だが)だった。ちなみに、スナップオンの凄味は、6-7㎜から8-9,8-10,10-11,10-12,12-13、14-15,14-17,17-19,21-22,22-24㎜と実に他を圧するサイズの豊富さだ。
  ‥ということは、当たり前のことだが、このへんの価格を横目で見ながら、SEKでは、価格を決めていることが推測できる。
  「機能上は完全にこちらが優位! これなら、ほぼ同じ価格で勝負できる!」そう値付け担当者は読んだのかもしれない。むろん、SEKも高いブランド力を得るべく、高い性能の工具を積み重ねているが。
  一方ユーザーはどうとらえるのか?
  ブランド優先なのか? それとも機能重視なのか? つねに身に付ける衣服や手で直接握る工具(あるいは手の延長である工具!)は、取り立ててブランド重視になりがちの商品だ。なかには、ブランドに自分を同化する人もいるほど。見栄と自己満足の世界!
  ここは“このネジ、取り外せるかどうか!?”の瀬戸際。工具の本分を考えれば、機能重視の商品を選択するのが本筋だ。(余裕があれば、いろいろ買い揃え、こうした悩みに頭を抱えることはない!)

2021年4 月 1日 (木曜日)

TOP NEWS

いまどきの整備工場が抱える課題とは?

オートアフターマーケット  クルマの整備工場、といってもいろいろある。カーディーラー工場、いわゆる民間車検場ともいわれる指定工場、それに持ち込み車検をおこなう認証工場、最近は自動ブレーキのエーミング作業をおこなう特定指定工場などなど。その数、ざっくり全国で8万軒。うち数名の小規模などちらかというと家族経営的な認証工場が、圧倒的多数派。
  年に一度都内で行われる「国際オートアフターマーケット」(写真)は、「オートサービスショー」とともに、こうした自動車整備業者向けの見本市。これまで東京ビックサイドを舞台にしてきたが、今回のコロナ禍で、リモートでの開催となった。出品企業数も従来の半分以下。リアルイベントなら、ほっつき歩くうちに思わぬ取材ができるのだが、リモートで、しかも情報量が限られるとなると、見るべきものはあまりない、そんな印象だった。
  ところが、開催中の3日間セミナーを開いてみると、ふだんあまり聞くことのできないクルマのサービス楽屋裏の声を聞くことができた。登場するのは、現場のメカニックやフロントマンではなく、経営者が中心なので、やや面白みに欠けはするが、耳をそばだて、よく観察して眺めていると、最前線で戦うビジネスマンの苦労や悩み、そして野心がにじみ出てきて、想像以上に面白かった。
  ひるがえって・・・・クルマのサービスは、一言でいえば、ユーザーに“安心と安全を届けること”。
  このことには変わりはないが、クルマ自体がどんどん進化しているし、世の人々がクルマに求めるものが変化している。電子制御のクルマのトラブル・シューティングは、いまや専用の診断機を持ち、それなりのスキルを持たないと太刀打ちできない。むろん、そのクルマのマニュアルも必要となる。だから、カーディーラー工場は断然有利の状況。そうでない整備工場は、車検と点検で食べるしかない。これをどう打破すべきか? なかにはココロザシのある認証工場が特色を出すべく果敢に挑戦している。とにかく“車検制度がもしなければ日本の整備工場の大半は消えてなくなる”という説もあるほどだ。逆に言えば彼らのレゾンデートル(存在意義)を、確立しないといけない!
  くわえて、修理の決め手の一つ部品も、大きく地殻変動している。
  名車といわれるトヨタ2000GTやAE86カローラ&スプリンター,マツダロードスター、ホンダビートなど。ヘリテージカーのパーツと呼ばれる部品。これらが復刻され、高値で売られ、無視できない市場の広がりを見せているという。
  それにそもそも「若者のクルマ離れ」といわれる一方、“サブスク”と呼ばれる新手のリースによるクルマ所有の形態が生まれている。これはサブスクリプション・サービスの略で、雑誌の年間購読から始まったように、一定期間クルマやそれに伴うサービス(任意保険を含むことも)に対価を支払うビジネス形態。音楽配信や動画配信、それに飲食系やファッション系にも、手軽さが受けてこのビジネス形態が広がりつつある。
  こうして、自動車メーカーや部品メーカーが関係するクルマづくりの世界だけではなく、修理技術、部品、クルマの販売&リースなどクルマを取り巻くビジネスも地盤変動というか、パラダイム変化が起きているということのようだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

遅れてきたお雇い外国人 ウイリアム・ゴーハム伝(第7回)

アートスミス  イベント・プロジューサーの櫛引弓人(くしびき・ゆみと)は、裸一貫の決意で別天地アメリカにわたり、興行師として成功しつつあった。
  1893年にシカゴ万国博で日本庭園を造り、日本人女性によるお茶のサービスを展開し人気を博した。1896年にはニュージャージー州の浜辺の空き地を借りた。そこで、日本庭園を作り上げ、日本から運んできた丹頂鶴、京都の寺鐘、石灯篭、2万基におよぶ岐阜提灯などで彩りを添え、園内には日光の陽明門を模したつくりや銀閣寺を模した建物などで日本情緒豊かな空間を作り上げた。これが話題を集めた。
  翌年には、映写機と映写技師を連れて日本に戻り、東京で初の映画を上映するなど、機知と天才的な大言壮語というか、ハッタリで興行師としての名を高めた。♪オッペケペー、オッペケぺッポーぺッポーポーの“オッペケペー節”で一世を風靡した川上音二郎(1864~1911年)と貞奴(1871~1946年)一座を海外公演に招へいしたのも櫛引の手腕だとされる。
  興行師・櫛引弓人を引き合わせたのが、これまた一癖ある飛行機野郎だった。ゴーハムより6歳若い、当時20代のインディアナ州生まれの曲芸飛行士アート・スミス(1894~1926年:写真)である。夜間飛行を得意とするアクロバチックな飛行士。
  飛行機に発煙筒を取り付け、夜空に文字を書くという演目のパイオニアでもある。アメリカでの成功をもとに、1916年と翌1917年にかけてアジア各地を興行している。東京の青山練兵場、富山の富山練兵場、名古屋港、浜松の和知山練兵場、三重県津市の久居浜練兵場、それに仙台でも曲芸飛行を見せている。助手を翼のうえに乗せ飛行するとか、宙返り、逆転、木の葉落としなど曲芸飛行で、多いときには10数万人の観客からおおいに喝采を浴びた。
  ちなみに、青山練兵場での興行の入場料は、給与所得者の年収が333円の時代、特等5円、1等1円、2等20銭だった。

カーライフ大助かり知恵袋2

大下英治著『人間・本田宗一郎 夢を駆ける』(光文社文庫)

+ホンダ宗一郎伝  「ホンダという企業ほどに、ブランド力の重要性を認識している自動車企業はないんじゃない」。かつて雑誌の編集者時代、そんな言葉でホンダを説明した同僚がいた。たしかに、そうかもしれない。
  なにしろ、創業者の本田宗一郎氏にかかわる書籍は、正確に数えたことはないが、ゆうに30~40冊は超えるのではないだろうか? ホンダファンが増えることは、それだけクルマが売れることに結び付くからだ。(たとえば、マツダの創業者松田重次郎やその息子恒次のことを書いた本はほとんど見たことがない)
  「・・・・だからというわけじゃないけど、すでに本田宗一郎さんのことはある程度知っているので、この本は、パスしま~す」という声が聞こえてきそう。ところが、事実は小説よりも奇なり。
  この550ページほどの分厚い文庫本には、知らなかったエピソードが、これでもかこれでもかと出てくる。しかも、当事者としては、かなり恥ずかしい話が少なからず登場する。遊び大好きな宗一郎の芸者買いのエピソードだけでなく、仕事上の失敗もである。
  たとえば昭和40年代初頭N360を開発中、開発者の久米是志(のちの3代目社長)が、過大な吸気音をごまかすため、シビアな評価を下す本田さんをだますため、ウエスを吸気口にねじ込んだ話。あるいは、女性が大・大好きだった本田さんの挿話が、これでもかという具合に登場し、読者ににじり寄ってくる。
  空冷エンジン優位性を頑固に主張する本田さんに対し、水冷エンジン推進派を唱える入交昭一郎(のち副社長、退社後セガの社長を歴任)など当時の若手エンジニアとのぶつかり合いなど、生々しい企業内葛藤がリアルに描かれる。
  外野から見ると危なっかしい会社と見えなくもない。救われているのは、本田宗一郎の比類のない根っからの明るさが全編をおおっている。だからホンダファンならずとも、ハラハラしながらぐんぐん読み進んでいくに違いない。
  失敗をした部下についてスパナを投げつけるモラハラ男(当時そんな言葉がなかった!)だが、人情に厚く、裏表のない、いつまでの子供の心、好奇心を持ち続けた昭和のおっさんだ。ふつう日本人は大人になると「弁(わきま)える人間」になるものだが、そんな気持ちはハナからない、おやっさん。誰からも好かれ、天真爛漫さを失うことなく84歳の天寿を全うしたユーモアあふれるオヤジさん、なのだ。
  かつて元気なときの本田さんのスピーチを聞いたことがあるが、会場と丁々発止のスピーチはまるでコメディアンに近かった!? いやそうともいえないか、変なおじさんだった? 欠点もやがて、美点にシフトしていく……。ここに人間・本田宗一郎が人を引きつける魅力があるようだ。だからして、本田宗一郎さん関連の本が、読書界をにぎわしている理由が、理解できる。
  ところで、筆者の大下英治氏とは、どんな人物なのか? 
  1944年生まれの広島生まれ。広島大学仏文科を卒業後、電波新聞社に勤めるが、退職して、1968年大宅壮一マスコミ塾 第7期生となり、前々回取り上げた梶山季之のスタッフライターとして週刊文春の特派記者を経て、作家に転身。政治、ビジネス、歴史、社会、芸能、スポーツ、事件物など幅広いテーマで膨大な著作を持つ。なかでも時代を代表する人物にスポットをあてた作品群は異彩を放つ。本書もその一つ。
  通常、文科系のライターは、ややこしい専門用語が出てくるメカニズムの記事を避けたり、生半可な知識で馬脚をあらわすものだが、本書は、メカニズム好きの読者にもある程度満足できる。その秘密は、緻密で手堅い取材力を持つ複数のライターが力を発揮しているからだ。数限りないエピソードをかき集めているのも、ひとえに影武者であるライター達のたまものである。

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1本で8つのサイズのボルトを回せる工具とは?

8in1りバ-スラチェットレンチ

8in1リバースラチェットレンチ

  ハンドツールの嚆矢(こうし)は、スナップオンが発明したソケットツールのルーツ“エクスチェンジャブル・レンチ”というのがもっぱらの定説だ。
  たしかに、1本のラチェットハンドルがあれば、必要とするコマである「ソケット」と組み合わせれば、ありとあらゆるボルトやナットに対応できる。文字通り画期的発明品で、T型フォードの爆発的販売を後押しした“陰の功労者”といってさほど間違いではない。
  そこで今回取り上げるのは、「ソケットといった駒などいらない! それだけで8つのサイズのネジを回せるのだ」と主張する工具だ。アイディア工具目が離せない兵庫県三木市にあるSEK(スエカゲツール)の製品だ。製品名は「8in1 リバースラチェットレンチRWG-8A」。いうまでもなく“8in1”のなかに、1丁で8つのサイズに対応という意図が込められている。
  さっそく手に持ち、使ってみた。
  手にすると、重い感覚だ。メジャーと秤で身体検査すると、全長240mm、重量297g・・・・相当長く、相当重い。
  通常の差し込み角3/8インチのラチェットハンドルが200㎜、200gあたりなので、これにくらべ約1.4倍ほど。差し込み角1/2インチのラチェットとほぼ同じ長さと重さと思ってもらっていい。ボルトの対応サイズ、正確にはボルトの頭の2面幅は、下から8,10,12,13,14,15,17,19mmと8サイズ。13と15はあまり遭遇しないが、ほかはかなりポピュラーなサイズ。
  それにしても、レンチの両端のそれぞれ、4つのサイズの駆動部を持つレンチ。普通ではありえない。どこに秘密、あるいはマジックが隠されているのだろう?
  使ってみてしばらくは、頭のなかに疑問符が浮かぶだけで、判らなかった。が、あれこれ動かしてみると、なるほどね! とばかり発見した。
  駆動部が外周部(黒色)と内周部(シルバー)の2つで構成され、内周部の駆動リングが、スラスト方向にスライドできるようになっているのだ(写真)。もちろん左右の切り替えレバーも付いている。ギア数は90ギアなので送り角はなんと4度。動きもとてもスムーズだ。込み入った構造にもかかわらず、価格は5,600円とリーズナブル。
  結論は如何?
  頭部がでかくため、クルマやバイクの整備にはあまり向かないように思える。実際エンジンルームや車体回りのネジをあたると、目に見えるネジの約8割は、使えそうなサイズばかり。やはり、ソケットツールのようにエクステンションバー的役割ができないので、奥まったところにあるボルトやナットは回せない。まさに痒いところに手が届かない、もどかしい思いを強いられる・・・・まさに隔靴掻痒(かっかそうよう)なのである。
  でも、この〈スライド式機構〉を取り出し応用すれば、さらなる夢のある工具ができそうな予感がする!?


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