あれほどエンジン技術にこだわってきたホンダが、100%電動化に大きく舵を切り替える! 天変地異を引き起こす気候変動への危機感がさし迫っているからだ。
とはいえ、この一大決心は、ハイウエイをご機嫌で走行していたクルマが、いきなり前人未到の獣道に乗り入れる感じだ。
決断に、息をのみ、あぜんとしたものだ。でも、冷静に考えれば、この衝撃的決断はいかにもホンダという企業らしい。
そもそも100年前クルマが生まれた時のことを思い起こせば、アメリカでは蒸気自動車、電気自動車、ガソリン自動車の三つ巴で、わずかとはいえ電気自動車が優位に立っていたのだ。それが、たまさかテキサスで大油田が発見されたことで、化石燃料エンジン車が、主流になっただけの話。
成功体験にしがみつかず、常に挑戦者でありたいというホンダの企業人は、そう考えると日ハムの監督に就任したBIG BOSS新庄以上にワクワクさせられる。
そんな時、ホンダの電動化の道筋がチラッと見えるニュースが舞い込んだ。
新しい電池の開発をめぐるニュースだ。汎用性と持ち運びができる「バッテリーパック」の戦略だ。EVの宿痾である充電時間の長さと短い航続距離への解決手段だ。一抱えほどの長方形(重量約10kg)をしたバッテリーは、4年ほど前に、もともとバイクやコミューター向けに開発されたという。この電池のパフォーマンスを試すべく、フィリピンやインドネシアで、実証実験、さらに今年2月から4か月間にわたりインドで電動3輪車タクシー「リキシャ」30台を搭載し、のべ20万キロ以上を営業走行し、課題を洗い出し、来年2022年の前半から本格営業を始めるという。
コトバを変えれば、これって“EVに欠かせないリチウムイオン電池の在り方(スタイル)の新しいアプローチ”。
間違ってはいけないのは、ホンダは、このバッテリーパックを集中管理する「バッテリーパック・ステーション」の事業をスタートさせるということだ。車両自体の運行はインド地元の企業がおこなう。
ちなみに、このリチウムイオンのバッテリーパック、定格容量が26.1Ah、定格電圧50.26V、充電時間約5時間というスペックで、インド国内で生産し、価格は税込み8万8000円だという。いまのところ、法人向けのリースだ。今後、知見をふまえ、国内と海外で、電池事業やEV生産事業が展開される。まさに手のうちの一つを見せ始めたところだ。
筆者は、長いあいだこう考えていた。敗戦からまるまる10年を迎える昭和30年の1月にデビューさせたRSクラウン(初代クラウン)は、戦後トヨタが造り上げた初めての純国産車。エンジンもボディも、オリジナルで、誇るべき工業製品である。興味深いことに、私が3年間通った四日市にある工業高校の卒業アルバムの冒頭(写真)に、玄関前に誇らしく鎮座する初代クラウンが写っている。月日を物語るくすんだ写真ではあるが、純国産車の誕生は、当時の日本のモノづくり関係者には、それほどの誇りだったのだ。初代クラウンはその後のトヨタの躍進のシンボルとなった。
ところがそのRSクラウンからさかのぼること19年前、昭和11年に誕生したトヨダAA型は、どうだろう。
ストレートな言葉を使えば、エンジンはシボレーの焼き写しだし、ボディは当時最先端をいっていた流線型デザインのクライスラーのデソート・エアフローである。第3者の印象としては、とても自慢すべき作品とはいいがたい。オリジナルの車両を作る前のスタディ・カーと言えなくもない。とてもじゃないが、大きく胸を張って誇りに思うクルマではないのではなかろうか? 筆者がトヨタの役員なら、大げさかもしれないが恥ずべき車としてバックヤードの奥にしまっておくだろう。
ところが、トヨタ博物館に足を踏み入れた読者は、すでにしてエントランスホールで、まず最初にご対面するのが、このトヨダAA型なのである。黒塗りのいかにもモッタイぶった感じのセダンである。せっかく足を運んだ明るい気持ちに水を差しかねない(ともいえなくもない)。
この思考、ゲスの勘繰りというものだった。真摯にモノづくりに向き合う当時の人々の気持ちを考えると、短兵急で杜撰な考え方だ。
当時の日本人の気持ちを手繰り寄せてみよう。長考するうちに、暗闇のなかで手探りをしながら高い技術力と大きな資本を投じる自動車メーカーを作り上げる、何とか世界に認められる工業製品を作り上げたい、当時のモノづくりに携わる人たちの息遣いが伝わってくる。モノ真似をした恥ずかしさなど、内向きの感覚はさっさと消し去る。むしろ高貴で愚直なモノづくり世界がむくむくと立ち上がってくる。
ここまで考えが及ぶと、はじめてトヨダAA型が大きな意味を持っていることが理解できる。
日ごろあまり表舞台に登場しないテストドライバー。その知られざるお仕事の内容と内面を克明にまとめた一冊である。
ひとつの項目を見開き計4ページ。それが38個、トータル152ページでまとめている。いわば読み切りコラムを38個集めたページの構成である。編集者(横田晃さん)が悩んだすえの紙面構成であることがうかがえる。文章もよく手が入った感じで読みやすい。通常の本は、4つ5つの章を立てての構成だが、あえてパラレルにぶつ切りにすることで、この特殊な仕事の隅々まで光をあてたい、そんな意気込みが感じられる。だから読後感は悪くなかった。
自動車メーカーのテストドライバーは、新車の試乗会でもあまり見かけない。と思いきや、実は、我々ジャーナリストが無茶をして壊したクルマの修理(というか主にブレーキパッドの交換が多いが)。これをバックヤードで担っているのもテストドライバーであることを、この本で知った。
試乗会でジャーナリストに説明する役目は、ほぼ主査やエンジニアたちだ。
ところが、わずかだが例外もある。スバルの試乗会では、実験屋と呼ばれるテストドライバーに話をよく伺ったものだ。エンジニアよりはるかにハンドルを握る時間が長い彼ら。クルマの挙動を説明するコトバは、常に目から、うろこがボロボロ落ちる感じ。理論だけでなく、日ごろ仕事で身に付けたリアルな世界がにじみ出る。
テストドライバーの仕事を一言でいえば「クルマの味付け」をおこなう仕事人である。つまり、意のままに扱える気持ちのいいクルマに近づけるかが、おもな仕事。高性能なだけでは、いいクルマにはならない。最高速や加速性能、ハンドリングなどなど数値的には目標を達成しているクルマでも、必ずしも「気持ちのいいクルマ」とはならない。
数値はOKでも、官能評価ではNGというケース。乗っていて気持ちのいいクルマとは、“過渡特性の優れたクルマ”だというのだ。過渡特性とは、ピークにいくまでのプロセスでのスムーズさ。
分かりやすい例でいえば、一昔前の過給機、アクセル踏んで一呼吸おいてターボの強い加速が始まる“ドッカンターボ”を思い出してもらえばいい。いきなりパワーが出るようでは、気持ちよさとは逆行だ。リニアにパワーが出るほうがずっと気持ちがいいよね。過渡特性のスムーズさの重要性はエンジンだけでなく、ステアリングやサスペンションにも同じこと。ベテランのテストドライバーは、高い経験値と積み重ねてきたデータをもとに、こうした「気持ちよさへの味付け」をしていくのが仕事なのである。まさに職人のスキル!
筆者の三好俊英さんは、1949年生まれで、1971年に日産に入社。スカイラインやローレル、それにFF車の開発の黎明期からテストドライバーの仕事に携わってきた超ベテラン。日産が欧州車を越える操安性を目標にしていた黄金期を知る人物だ。この本は、2006年のデビューだから、カルロス・ゴーンが“セブンイレブン”という異名を冠されるほど猛烈に仕事をしていたころでもある。
≪監視カメラ≫というと、刑務所の高い壁の上に設けられた自由を束縛する冷酷な黒塗りのマシンをイメージ。あるいは、中国の都市の信号機に設置された市民監視システムを思い浮かべる。
でも、かつて日本のあちこちにあった家の扉に鍵をかけずに外出したのどかな光景は、神話となった。
個人的経験で恐縮だが、人通りの多い市街地に引っ越したせいか、先日数年まえ一度空き巣に入られたことが突然フラッシュバックした。不覚にも警戒感が高まり、ふと防犯カメラを自宅ガレージに据えてみようと思いついた。調べてみると、ネットで、わずか1万円そこそこで防犯カメラが手に入る時代。好奇心に駆られ、玄関兼車庫まわりのセキュリティに備え、1台購入した。その顛末を記します。
いまどきの通販はすごい。注文したら翌日に到着した。カメラ自体は、手のひらに収まるほどの大きさ。内蔵のリチウムイオンバッテリーで駆動するので、充電するタイプだ(電池タイプもあるようだ)。Wi-Fiを介して手持ちのスマホと連動させ、動体が画面に入った場合、すぐさま知らせ、動画をマイクロSDカードに記録するシステムのようだ。新しもの好き筆者としては俄然面白い!
40ページほどのマニュアルがあるので、それをよく読み込みセットアップと本体取り付けができるはず。
だが、こうした製品そもそもが中国製なので、日本製品に比べトリセツと本体の“同一性の確認”があいまい。中国語、あるいは英語の翻訳文なので、あいまいな日本語となっているだけでなく、機種変更ほどの設計変更がおこなわれているので、トリセツに齟齬があるわけだ。このへんをふまえ、トリセツを書いた人の気持ちを汲み取りリテラシー能力をフル活用しなければいけない。(余計なお世話だが、中国製の自動車もたぶん同じ難題を抱えているのではと推理できる!)
とにかくそんなこんなで、セットアップにたどり着くにはずいぶん足踏みしてしまった。その間、発売元に電話を数回かけたり、メールで問い合わせたが、まったく返答がない。このあたりで、投げ出すのが普通かも知れないが、そこからがドラマが始まると信じて、我慢強くトリセツを読み直し、ゴールにたどり着こうとする。
道が開けたのは10日ほどたったころだ。うまくゆかなかった原因は、ユーザー側の当方にあった。Wi-Fiのパスワードを失念していたというごくごく単純なことだった(バカですね!)。このパスワードを書いた資料を見つけようやくセットアップできたのだ。セットアップできれば、あとは本体を具合いい場所に取り付けるだけ。カメラは330度の超広角だし、スマホ上での操作で上下左右に120度チルトするので、取り付け位置そのものはシビアに考えなくてもいい。
使い勝手はどうか?
セキュリティの一手段としては悪くないと思う。
セキュリティだけではなく、家人の出入りや友人の訪問、宅配便の到着など、リモートで把握できるのは、新鮮で面白い。なにしろ1万円ちょっとで、こうした機器が手に入る時代であることが、エキサイティングだ。
これって、ひょっとして、いま流行のコトバ“DX”なのではと思った。DXとは「マツコ・デラックス」のデラックスではなく、「デジタル・トランスフォーメーション」。≪デジタル化することでより効率が高まり、生産性が上がる≫、つまりITを導入することで、企業の業務や仕事が飛躍的に効率化する、そのカギを握る手段のひとつ。家庭内でも、こじ付けに聞こえるかもしれないが、いくらかでも労力を軽減するわけだから、当たらずとも遠からず!?
日々新聞を眺めていて、ハッとさせられる記事にときどきぶつかる。
10月19日付の「朝日新聞」朝刊のオピニオンのページ。パブリックエディターから「新聞と読者のあいだ」というコラム。社会派のミステリー作家高村薫さん(68歳)の著す「EV時代 数字の先の醍醐味」というタイトルの1000字ほどのコラムだ。
高村さんの経歴を調べると、大阪住吉区に生まれ同志社高校を卒業後、国際基督教大学教養学科卒(つまりリベラルアーツ科)ということは、話題の眞子さまの先輩にあたる。
経歴を見た限りにおいては、なにかと注目のリ系女子でもなさそうだ。なのに、物理や化学の世界にやたら詳しい。親戚に東大阪あたりの工場のおっちゃんがいて、好奇心旺盛な少女時代の夏休みにでも機械がわんわんうなっている世界に馴染んできたのだろうか? とにかくモノづくりの領域にも詳しく、小説のなかでも残忍な殺人事件の凶器に工業高校機械科レベルでないと口にできない専門単語が登場するのだ。成長過程で旋盤やフライス盤が身近で活躍していたに違いない。
このコラムでも、2030年代半ばには新車市場からガソリンエンジン車が排除されるという、いわゆるEVシフトについてのアウトラインを手短に説明。いまだ1%にも満たないEVシェアがわずか10数年で、本当にガソリンエンジン車が買えなくなる現実が到来するのか? という素朴な疑問から始まる。日本は優位に立っていたはずのテレビやPCで海外勢力に負け、半導体でも敗れたパナソニックや東芝。トヨタもホンダも、敗北の道をたどるのか?
高村さんは、トヨタ、ホンダ、日産など日本の乗用車主要メーカーの微妙なEVシフトへの取り組みの旗幟(きし)を鮮明にしたうえで、トヨタの名古屋本社を緻密に取材している経済担当記者の言説に注目し、鋭く近未来を俯瞰しようとしている・・・・。
この記者、海東(かいとう)さんというそうだが、その海東さんが言うには「日本人はクルマへの独特の好みがあるため、コロッとEVに乗り換えるということはない」という。明治維新で侍のヘアスタイルがちょんまげからザンギリ頭に1日で変わった、そんな劇的なことはないだろう、という。
結局のところ、「問題は世界での生き残り方だ」という。「仮に世界市場がEV一色になっても、日本が培ってきた内燃機関の技術は水素エンジンというカタチで復活するかもしれない。それに、トヨタがEV用の電池の開発に1.5兆円の巨額の開発費を投じたことに注目すべきだ」。「このことは(本流ではないが)EVの普及に欠かせない、将来性のある投資そのもの」という。
こうした動きは、日本企業が形を変えて生き残りを模索している一例だというのだ。生産も消費も縮んでいく日本で、製造業の正しいサバイバルは、カタチを変えながらすでに始まっているというのだ。
数年前のこと、突然ロシアのウラジオストックの農家の納屋で発見された1台のボロボロになったクルマが、大きな話題を呼んだ。塗装がはがれ、ドアがゆがみ、雑な修理のあとも見られ、室内もいわば目をそむけたくなるほど傷んでいる。
そんな、ほとんど価値のないように思われるオンボロ状態のクルマ。でも、そのクルマは、ボロボロの状態でなぜかオランダのハーグにあるローマン・ミュージアムという博物館に収まっている。ちなみにハーグといえば、アムステルダム、ロッテルダムに次いでオランダの第3の都市である。人口約50万人弱の八王子ほどの地方都市だ。
この無残にくたびれたクルマ(写真)。よく見ると、フロントグリルは付いておらず、バンパーも消えている。ヘッドライトやホイールはオリジナル部品ではない。ハンドル位置も右ハンドルから左ハンドルに改造を受けている。塗膜が剥がれ落ち、室内もいかにも厳しい風月にさらされた感じ。まるで水害で長らく水に漬かり、数か月後に水のなかから姿を見せた、そんな無残なクルマだが、実は大きな価値があるのだ。
このクルマ、トヨタが長いあいだ、探し求めていた「トヨダAA型(濁音に注意!)」だったのだ。日本が泥沼の戦争に突き進んでいった分岐点ともいわれる若手将校らによるクーデータ未遂事件・二二六事件。まさにその大事件が起きた同じ年の1936年(昭和11年)に発売し、太平洋戦争が始まる1941年の末頃生産中止を余儀なくされたクルマなのだ。
延べ15年間のあいだに累計1404台を世に送り出したトヨタ初の純国産乗用車である。
じつはこのクルマ、トヨタ博物館の1階のエレベーターの乗り口に収まり、博物館を訪れる人の目には否応なくイの一番に飛び込んでくる同型のクルマである。実はトヨタ博物館にある黒塗りの高級セダン「トヨダAA型」は、まったくの復元車なのである。1989年(平成元年)トヨタ博物館のオープンにあわせ、数億円をかけて丸一年を費やし2台復元したものだ(あとの一台は、名古屋市西区にある「産業技術記念館」に展示してある)。
だから、トヨタの関係者にとって「トヨダAA型」というのは、レゾンデートル(存在理由)を語るうえで欠かせないクルマなのである。その意味で、無残な姿だったとしても、オリジナルとトヨダAAがこの世に存在していたという事実は、僥倖だったのである。あれほど探し回ってなかったクルマだけに、原形をとどめないながらも、ロシアで現車が見つかったことは“奇跡”だといえる。
これから、このトヨダAAをめぐる物語を見ていくことにする。
『自動車を愛しなさい』と聞くとなんだか、言外に「わたしを愛しなさい!」と恫喝されているような年上女房を持った男の悲哀を思い描いてしまう。
そもそもタイトルからして、なんだか押しつけがましく、変な匂いのする本だ。しかも1960年にアメリカで出版されている。邦訳された単行本(写真)が日本の本屋に並んだのは、12年後の1972年のことだ。半世紀前! はっきり言って相当古く、それこそトウの昔に忘れ去られていた感じの本である。ひょっとするとエルビス・プレスリーの「LOVE ME TENDER」(やさしく愛して:1952年リリース)に影響を受けたのか?
ところが、読書家ならわかると思いますが、本の世界は芋ずる式というか、互いに細い糸でつながっている世界。古本屋でふと手にしたリンドバーグの創業者が著した書籍「私のとっておきの本棚」(CGブックス:2007年刊)のなかで、この本を見出したのだ。原題は、『WONDERFULL WORLD OF THE AUTOMOBILE』。そのままの邦訳「自動車の素晴らしき世界」より「自動車を愛しなさい」の方が、本屋の店先で手に取ったときのインパクトは大きい。本のタイトル(映画もそうだが)を付けるのは、結果論でしかないが、本当に難しい。あまり知られてはいないが、タイトルは実は筆者ではなく、チカラ関係から編集者が独断に近いかたちで決められることが多い。だから、ときどき内容とは裏腹な頓珍漢なタイトルが世に晒されることになる。
いささかこの毒を含むタイトルのおかげで、営業的にはあまりよくなかったと推理する。
しかも、この本の序で、筆者(KEN PURDY:1913~1972年)みずからが「毛色の変わった本だ」と告白。「私の興味をそそったものだけを書き連ねた、いままでの本の書き方とは異なったものだ」。エッセイだと思いきや短編小説が登場したり、自動車メーカーの辛辣な寸評だったり……。いわば予定調和なしの著者好み120%の構成!?
世は、カタチでつくられているとなれば、破綻に限りなく近づく。そんな絶望的な本!?
ところが、数ページ読み進めてみると、そんじょそこらのクルマの雑学本とはまるで違うことがわかる。余人をもって替えがたい独自性というものか。一筋ならではいかない、複雑なクルマをめぐる歴史や社会、人間とのかかわりを分かりやすく腑分けしていく。なかでも、伝説的な公道を使ったカーレース「ミレ・ミリア」(1927~1957年:イタリア語で1000マイルの意味)の常に死と背中合わせな世界がよく描かれている。この本で、当時のレースの実態があらためて理解できた。
この本の底に流れるものには、凡人にはとてもうかがい知れない教養と知性、それに人生の深い悲しみがまじっている。筆者パーディのモノを見る視座が、たんに独自性だけでなく、緻密な取材で構築された強固な背骨を持つのだ。自動車が現在とは比べ物にならないほど“危険な乗り物”だったがゆえに生まれた、触れると血が出そうな、そんな引き締まったシャープな文体も魅力だ。
彼のプロフィールを眺めると、6歳で父親を失い、地方の大学でまなび、そしてニューヨークに出て3流雑誌(低俗マガジンPulp MAGAZINEの類)への寄稿から始まり、「プレイボーイ」誌など一流雑誌の執筆陣の仲間入りをし、1972年、59歳で銃による自殺を遂げている。一語一語かみしめる価値がある、すぐれた自動車ジャーナリストの仕事ぶりを味わえる一冊だ。自動車関連書籍の≪古典≫と位置付けていいと思う。
パームサイズ(PALM SIZE)、「手のひらサイズ」という言葉があるが、今回取り上げる工具は、文字通り「手のひらに収まる超小型ラチェットハンドル」である。正式な製品名は『ビット差替え式スリムラチェットドライバーセットSRD-224』。台湾製で、発売元は、兵庫県三木市の藤原産業(株)だ。SK11シリーズのなかの一つだ。ちなみにSK11という奇妙なブランド名の由来は、炭素工具鋼の品質レベルを示すSK(硬度と靭性などを1~10まで示したもの)の基準を一つ越えた11という意味だそうだ。ココロザシはすごい。
ところで、この製品、10個のビットが収まる1/4インチ(6.35mm)の樹脂製のホルダーとハンドルを含め、重量わずか71gしかない。非貫通のドライバーよりも軽い。ハンドルの全長もわずか95mmで100mmを切る短さ。左右の切り替えレバー付きで、早回しリングも付いている。ギアのフィールも悪くない感じだ。
こんなに短いハンドルで、しっかりねじを締めこむことができるのだろうか? 心配が募りそうだが、対する相手のネジ径がせいぜい8mm程度なので、杞憂だ。
付属のビットは、プラスが1番から3番、マイナスが6mmそしてヘキサゴンレンチが2.5,3,4,5,6mmの5サイズ。それに1/4インチのオス側が付いているので、手持ちの1/4インチのソケットを取り付け、活躍することができる。だから、対するネジの守備範囲はググ~ンと広い。いわばオールマイティなイメージだ。
実際使ってみると、たしかに振り角が小さい。なにしろ52ギアなので、通常の板ラチェットに比べ使い勝手が高い。ヘッド部の厚みが16mmとごくごく薄いので、従来あきらめていたタイトなところにあるネジでも対応できるのが大アドバンテージ。
ところが、この極薄ヘッドが、一面使いづらさを露呈するシーンがある。キャブレターなど、手前でカチャカチャとハンドルを回したいとき(つまり相手のネジとの距離感がある時!)に、エクステンションバーが必要となる。
このエクステンションバーが付いていない。そこで、手持ちの1/4インチのエクステンションバーの出動となる。
手持ちのエクステンションバーを付けてみると、またまた別の問題が現れた。受け部分がマグネット式だったため、短いビットが奥にしっかり収まり、抜けづらくなったのだ。ラジオペンチでつまみだすしかなかった。このように、便利は一面不便を生み出すのが世の常。そこのところをしっかりと把握するとなかなか便利なツールである。
もう一つの不満は、収納である。ホームセンターでの購入価格1518円と格安なので、ケースを付けるのは無理かもしれない。とにかく小さいので紛失しやすいので、100円ショップで、適当なケースを見つけてこようと思う。使いうえの注意点としてはハンドルが極端に短いので、ついついパイプをかましたりして使いたがる恐れがある点だ。これをやると、かならずやギアが壊れるに違いない。