みなさん!知ってますCAR?

2021年12 月15日 (水曜日)

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テスラモーターズを追従! 第2の米国EVメーカーとは?

RIVIAN

  アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスが7億ドルを出資した! その2か月後にフォード・モーターが5億ドルを出資した! まだクルマ自体が市場に出回っていないにもかかわらず、またたく間に110億ドル(日本円で約1兆2500億円)のお金が集まり、全米の自動車業界の注目を集めている企業がある。
  2009年に創業のRIVIAN(リビアン)という名のスタートアップ企業がそれ。創業者は、1983年生まれだから今年38歳になるロバートRJスカレンジ。マサチューセッツ工科大学(MIT)卒業の若き野心家だ。
  彼の戦略は、面白い。先行のEVメーカーのテスラがスポーツカーにターゲットを絞ったのに対して、リビアンは、ピックアップトラックとSUVの2本立て。もちろんEVだ。たとえばピックアップトラック「R1T」(写真)は、前後輪に2つのモーターを持つ4WDで、105kWh、135kWh,180kWhの3本建て。航続距離は3つのバッテリーサイズから選択でき、230マイル、314マイル、400マイル。予備バッテリーを載せて、航続距離を稼ぐことも可能だという。パフォーマンスはゼロ→時速60マイルをわずか3秒だというからスーパーカー並みだ。つい今年の9月に生産を始めたばかり。
  この2台のほかに、アマゾンの商品デリバリー専用のEVバンの生産も始まっているという。こちらは、来年の2022年までに1万台、2030年までには10万台の生産を予定している。このほか、リビアンでは、EV用のインフラの充電設備をホテル、小売店、レストランなどの飲食店、それに公園など計1万ヵ所に随時設置していくという。
 リビアンの本社は、ロサンゼルスからほど近いカリフォルニア州のアーバイン。アーバインは、マツダのデザイン事務所があるところで、治安のいいロケーションだ。R&Dの設備が置かれているようだ。工場は、イリノイ州のノーマルという場所で、これはかつて三菱自動車の工場があったところ。
  現時点での時価総額は、GMやフォードを抜きテスラモーターズに次ぐ価値だという。
  MaaS(マース:モビリティ・アズ・ア・サービス)という言葉が息づいている時代、モビリティ時代が大きく変化するだけに、新興自動車メーカーの勃興は序曲が始まったばかりかもしれない。中国ではすでに2桁のEVメーカーがしのぎを削るなか、日本だけは、その動きはぎこちない。元気のいいベンチャーやスタートアップ企業が立ち上がる気配は見えない。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第4回)

タクリー号

  1920年代、大正末期の日本のクルマ事情は、とても話にならないほどのプアな世界だった。東京や大阪の人々が集まる都会ですら、ほとんどクルマの姿を見ることがなかった。
  だから、ファミリーカーの普及など、夢のまた夢、普通の庶民は夢にも、そうしたファミリリーカーで余暇を過ごすなど想像すらできなかった、そんな時代。1923年に起きた関東大震災後にフォードのシャシーを使ったわずか9人乗りの小型バス(円太郎バス)が東京市内(当時は市だった)を走ることで、生まれて初めて自動車と接する経験を持った程度。自家用車を乗り回すなどごくごく当時の指折り数える富裕層だけの特権でしかなかった。
  だが、アメリカ資本(フォードとGM)はまったく異なる見方をした。「日本は、近い将来クルマ社会にできる市場だ。背後にあるそれ以上大きな市場の中国市場への足掛かりにもなるので、ビッグなビジネスチャンスだ」ストレートにそう考えたかどうかは知らないが、当たらずとも遠からずだと思う。
  1925年には、フォードは横浜でノックダウン工場を作り、GMは2年後の1927年大阪の大正区に同じくノックダウン工場を設立、フォード、GMの2社合わせると、年間2万台近い輸入車が日本の市場にどっと登場し、たちまち日本の道路(といっても京浜と阪神の都市部だが)は、フォードとシボレーで染め上がった感じ。
  この堰を切ったようなアメリカ車の活躍で、いまだ試作の域を出ていなかった日本国内の自動車メーカーは、価格的にも性能的にもとても太刀打ちできなかった。そこに第1次世界大戦後の大不況がかぶさり、あえなく倒産に追い込まれていった。ダット号の快進社もしかり、オートモ号の白楊社もしかり。昭和元年、つまり西暦1925年の時点で、命脈をたもっていたのは、3社だけだった。
  のちのいすゞや日野自動車の前身となる東京石川島造船、東京瓦斯電気工業、それにクボタの流れをくむ大阪のダット自動車製造、この3社が、軍用自動車補助法という非常時には軍用車とするという軍との約束事で補助を受けることでかろうじて生き延びたのだ。ちなみに、トヨダAAが登場する7年前にあたる昭和4年(1929年)のデータを調べると、全国の自動車の総数は約8万台だった。この年登録された新車3万4793台で、うち3万台近くが日本で組み立てられたアメリカ車だった。残りの5000台が輸入完成車(アメリカ車が中心)。国産のジャパニーズカーはわずか437台だったのだ。つまり1.2%に過ぎなかった。無視されても可笑しくない存在。愛国主義者ならずとも、これを聞いて、少なからず内なるナショナリズムが刺激される!?
  (写真は、日本初のガソリン自動車「タクリー号」の模型。有栖宮親王殿下の命で、A型フォードをお手本に東京の実業家吉田眞太郎と技師の内山駒之助が明治40年につくった。エンジンは排気量1837㏄水冷水平対向2気筒SV式)

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:アーサー・ヘイリー著『自動車』(永井淳訳/新潮文庫)

[自動車」

  前回は「自動車小説」を取り上げたが、ズバリ『自動車』(原題「WEELS」)である。アメリカの流行作家アーサー・ヘイリー(1929~2004年)の手によるGMを舞台にした自動車をとりまく人間模様を描いた小説。
  1971年発表で、2年後の1973年に邦訳されている。そして1978年に新潮文庫に収まっている。物語舞台は、ちょうど大気汚染防止のマスキー法による高いハードルが自動車メーカーに課される少し前、GM,フォード、クライスラーのビッグ3がピークをまさに迎えていた時代。
  ……さすが名うてのストーリーテラーだと感心させられたのは、冒頭で、GMの社長の朝の度肝を抜く光景だ。夜中に電気毛布(たぶんGE製)が不具合になり、地下にある作業室まで工具を取りに行き、高いびきを掻いている妻のベッドの横でブツクサ言いながら分解し修理を始める。これってクルマをふくむMADE IN USAアメリカ工業製品の信頼性の不確かさを暗示しているともいえる。それにしても・・・・身の回りの機械ものをDIY精神で修理する日本のモノづくり上場企業経営者は何人いる?
  この小説、50年前だからといって、すでに風化した事実の羅列に過ぎないのではと思うのは早とちり。瑞々しさを失ってはいない。記憶形状金属を使ってニューモデルを試作する場面が出てきたり、組み立てラインの非人間的な単純作業を強いられる世界を克明に描く。筆者もかつて日産の村山工場でプレスライン臨時工として仕事をしたことがあるので、この抜き差しならぬ精神的苦痛はよく理解できる。GMの開発陣が、競合会社のクルマを手に入れ、部品一つ一つをとことん分解し、研究し尽くす場面も出てくる。銘柄こそ明らかでないが、ある日本車も分解され「4輪のモーターバイクみたいで、こんなクルマを万に一つも知人に乗り回してもらいたくはない!」と酷評。当時アメリカでは歯牙にもかけられなかったジャパニーズカーの立ち位置が分かる。でも数年後にはがぜん頭角を現し、ビッグ3を脅かすのだが。
  この当時のアメリカの小説は、事実を紛れ込ませている。具体的には、GMが1960年代発売したシボレーコルベアというスポーティカーがある。空冷の水平対向6気筒を搭載したRR方式。これがコーナリングで転覆事故が起きる危険なクルマとして、消費者運動家のラルフ・ネーダー(1934年~)の『どんなスピードでも自動車は危険』(1965年刊;邦訳未完)という著書のなかで、大々的に標的にされ、発売中止に追い込まれた事件を描いている。
  小説『自動車』は、文庫で600ページの長編。系統だった教育を受けてこなかったヘイリーは、いぶし銀的職人気質物語作家の印象が濃い。松本清張を思わせる好奇心を燃え滾らせ1年かけて綿密で愚直な取材を敢行し、そこに独自の想像力をまぶし、比類なき表現力でマス目を埋めていく。アルファベットだから、タイプライターのキーを打ちまくる、そんな迫力が紙面からビシバシと伝わる。“調査・取材に1年、構想に半年、書き始め、加筆訂正し入稿まで1年半、合計3年を要する”と制作のプロセスを吐露している。取材対象にどっぷりつかっての手抜きなしの大作だけに、古典とまではいかないまでも長い風雪に耐える作品となっている。
  ちなみに、筆者のアーサー・ヘイリーは、1920年に工場労働者の息子として英国で生まれ、小学校を終えると給仕や事務員として働く。英国空軍のパイロットとして第二次世界大戦を経験、その後カナダに移住し、トロントにある出版社の編集者などを経験、TVの脚本書きをしたのち1956年から作家活動に入っている。総合病院を舞台にした医療小説『最後の診断』、カナダの政界を舞台にした政治小説『高き所にて』、ホテルを舞台に人間模様を描いた『ホテル』、国際空港を舞台にして保険金目当ての犯罪を活写した『大空港』、銀行内部の実態をえぐり出した『マネーチェンジャー』、それに今回取り上げたデトロイトを舞台に自動車業界のあらゆる側面を描いた『自動車』とヒット作を次々に世に送り出した流行作家である。『自動車』を書いたのち、電力会社を題材にした『エネルギー』、大手製薬会社をテーマにした『ストロングメディソン』、事件と報道を主題にした『ニュースキャスター』などを上梓。ちなみに妻のシーラ・ヘイリーも『私はベストセラーと結婚した』(1978年刊/加藤タキによる翻訳は1981年)という著作を残している。

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1070円で手に入る! ソケット用マグネットキャッチは有効か? 

マグネットキャッチャー

  奥まったところにあるボルトにナットを取り付ける、あるいはその逆にナットを取り外す! そんな時に、うっかりすると、ソケットに収まっていたナットが落下して、面倒な事態におちいる!!
  あるよね、そんなことが。よそ事を考えて作業しているときとか。なにも考えずにノー天気に作業したときとか! 人間はロボットではないので、そうした失敗はあってあたりまえ!(と居直るか、この場合)
  そこでだ。意外と見落としがちだったこうしたミス。“この、つまらないミスを犯してなるものか!” というのがこの小さなパーツに込められている。
  6角をした樹脂製ピースの2カ所(16mm以上は3カ所)に小さなマグネットが取り付けられている。侮るなかれ、意外と強力な磁石だ。この磁気力で、ソケット内のナットをがっちりとらえ、間違っても下に落とさない! という神業をやってのけようというのだ。
  さっそく、手持ちの18mmソケットに取り付けてみた。プラモデルでおなじみのゲートと呼ばれるつなぎ目をきれいに切り離すことからスタートだ。これをソケットのドリブン側(ナットが収まる側)に挿入する。マグネットが付いている方を外にしてだ。
  ところが、当たり前だが、この樹脂のピースが少し大きめにできている(小さいと落下して使い物にならないから!)ので、挿入するのに少しコツがいる。小さめサイズのソケットをあてて、ハンマーでトントンと奥まで送り込んでいく。俗にいうところの“当て金(がね)”つまりカラー。
  つまり小さめのソケットは、この場合、“カラーの役目”だ。よりスムーズに入れるには、ピースの角をサンドペーパーで少し削るといいかもしれない。ちなみに、撮影のため、カラーを使い挿入後、撮影が終わり、元通りにしようとして、樹脂ピースを逆から押し戻すべく、マイナスドライバーを使ったが、うまくいかず困った。まっ、このままでもいいか? いい方法が見つかればその時外せばOKだ、なんと呑気にかまえている。
  結論としては、愛用のソケットに装着するのがいいと思う。サイズ10mmから、11,12,13,14,15,16,17,18,19と全部で10サイズ。6角タイプだけでなく、12角タイプにも挿入可能だ。価格は1070円。悪くない選択だと思う。台湾製で、発売は三木市の藤原産業(株)だ。

2021年12 月 1日 (水曜日)

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クルマづくりの新手の助っ人はシリコンバレーから!

シリコンバレーから

  カルフォルニアのシリコンバレーを拠点にしたIT企業が都内で記者会見を行う、というので恐るおそる駆け付けた。なにしろテーマが、半導体LSI(大規模集積回路)を使った電子部品のテストをおこなう企業の戦略説明会だ。
  自嘲気味に聞こえるかもしれないが・・・・筆者は、真空管ラジオ時代で育ち、オームの法則(I=E/Rという空念仏!?)とサーキットテスターの世界の知識しか持ち合わせていない。いわば枯れた知識で、最新のハイテクが理解できるか? 
  STAY FOOLISHを説いたスティーブジョブズを頭に描きながら、しつこく食い下がってインタビューした。するとどうだろう、おぼろげながらも全体像が見えてきた。できるだけわかりやすくリポートしよう。
  つながる世界のコネクティビティや自動運転などクルマが大きな技術的な“曲がり角”に来ている! というのは耳タコの話だよね。これって要するに電気仕掛け装置がクルマにどんどん投入されつつあるということだ。「クルマはすでに半分は電化製品だ!」と主張する人もいるほど。
  このクルマの電気や電子の世界を支えてきたのは、ボッシュやデンソー、コンチネンタルといったメガサプライヤー(巨大部品メーカー)。高度な電子化により電子部品間の通信速度がよりスピードアップし、複雑化していくため、より専門の力を借りる必要が出てきたのだ。高度なテスターも必要となるし、高い専門知識を備えたマンパワーを要求される。
  そもそも、イマドキのクルマは、数10個もある各ECU(コンピューター)間のデータのやり取りをCAN通信でおこなっている。CANとはコントローラー・エリア・ネットワークの略なのだが、実はこれボッシュが1985年に開発し、5年後の1990年から量産車に採用され、4年後の1994年に国際基準となり、あっという間に広まった。つまりクルマの電気関係の技術は燎原の火のように瞬く間に進化し、それが常識になる世界。このへんはゲームの世界と似ている。(ちなみに、こうしたECU間の通信の規格のことをイーサーネットというそうで、CANはシリアル通信プロトコル。シリアルは直列で、プロトコルは規格。CANを引き継ぐ立場の次世代通信プロトコルにFrexRayはCANの10倍の伝送速度だそうだ)
   とにかく、これじゃとてもじゃないが自動車メーカーの電子部門エンジニアとサプライヤーのエンジニアだけでは、追いつかないという。そこで、半導体とその周辺知識に特化した組織が必要とされる。それが今回取材したシリコンバレーの企業GRL(グラナイト・リバー・ラボ)。2010年創業で、台湾、上海、横浜、シンガポール、ドイツなどにグローバルにラボを持ち、スマホやPC,医療、生産工場、データセンターなど各分野で実績を積んできた。自動車分野にも本格進出しつつあるという。スタッフエンジニアは、NECで長年ICを研究してきたベテランやドイツのTUVで評価に携わってきた人たちだ。
  電子部品のテスティングやトラブルシューティングばかりでなく、設計、評価といったクルマの電子部品システムを構築するうえで必要な各セクションを横断的にアシストする企業が業界内で高く手を挙げたというわけだ。いわば、新たなクルマづくりの新しい担い手なのだ。まさに、エンジンの時代やシャシーの時代の次は、高度な電子パーツシステム構築の時代なのである。
  目の前で見せてくれたのが、スマートフォンのワイヤレスタイプの予備バッテリーのテスト。コンプライアンス(認証)を受けている製品と海賊版の予備バッテリーの性能比較を瞬時におこなってみせた。なんと200項目のテストを短時間でおこなうオリジナルのテスター機まで造り上げ、商品化しているのである。
  「当初の予備バッテリーのなかには、満足にいかない製品もあったが、いまは探すのが大変。つまり、市場に出ているのはほぼ大丈夫と考えていいと思います」とのこと。それと「意外と知られていませんが、導通テスターでOKの製品も、たとえば半田のノリが悪いとか接点が酸化被膜気味で、微妙に電気特性に変化が出て不具合を引き起こすということもある」これもハイスピード化が遠因のトラブルで、こうした不具合を見つけ出すテスター機は数千万円、なかには1億円を超えるものもあるという。
  (写真は、GRLジャパンのホルガ―・クンツ社長(右)と高橋幹副社長。手にするのはボタンひとつでコンプライアンス試験ができるワイアレス充電機器テスター)

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第3回)

T型フォード

  オンボロとはいえ、いまのところ唯一無二の生き残った「トヨダAA型」が発見され、オランダの博物館に収まった。
  豊田章男社長は、ハーグの博物館にいち早く出向き、草創期のトヨタが苦労の末作り上げたクルマと対面した。
  章男氏は、トヨダ自動車創業者・豊田喜一郎(1894~1952年)の孫にあたる。このときの章男氏のコメントは入手してはいないが、85年の時空を超えて伝わる何かがあったのは間違いない。トヨタのアイデンティティ、つまりトヨタが自らの存在を指し示すにふさわしい「トヨダAA型」とは、なんだったのか? このクルマを作るプロセスに何があったのか? 当時の人々はどんな気持ちでこのクルマに向き合っていたのか? わずか1404台しか発売されなかったこのセダンとこのクルマの中心にいた豊田喜一郎の周辺を追いかける。

 「トヨダAA型」が世に送り出された1930年代の世界とはどんなだったのかをまず眺めてみよう。
  欧米ではひとことでいうとかなりモータリゼーションが深まっていった時代だった。アメリカでは、フォードのT型が1500万台売り切ったのが1927年。一時はアメリカの道路には黒塗りのフォードT型(写真)があふれかえった。その後アルフレッド・スローンの手腕でGMが巻き返す。フルラインアップ戦略と買い替え需要を掘り起こす数年で手持ちのクルマが古く感じさせる陳腐化政策で、1927年にはフォードを生産台数で抜き去った。1925年に発足したばかりのクライスラー社も、斬新なデソートなどの中型車を武器にフォードT型からの買い替え需要ユーザーに食い込んでいった。
  つまりこのころのアメリカ自動車市場は、80数社の乱立時代からビッグ3に絞り込まれつつある時代。モータリゼーションの成熟期を迎えつつあった。ファミリーカーの普及と一家に2台のクルマ所有、それに女性のドライバーの増加が後押しした。
  ヨーロッパでも、クルマ市場は活況を呈し始めていた。イギリスのモーリスやオースチン、フランスのシトロエン、プジョー、ルノーそれにアメリカ資本のイギリスフォード、ドイツフォードが設立され、小型車の普及が進んでいる。GMは、英国のボクスホールを買収し、ドイツのオペルも買収している。インフラとしては、1933年ドイツの首相となったヒトラーの命に沿って最盛期12万人を動員してアウトバーンの建設も始めている。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:沢村慎太朗著『自動車小説』(文踊社)

自動車小説

  『自動車小説』というのがタイトルである。筆者は1962年生まれの気鋭の自動車ジャーナリストである。経歴を見ると、早稲田で美術史を専攻し、自動車雑誌の編集を経験したのち現在自動車の評論に携わっているという。
  それにしても、タイトルが奇妙というか面白い。私の理解だと、そもそも小説という形態は、明治期に強烈な西洋のイブキに触れた文人がある意味自我に目覚め(覚醒?)、自分の体験や見聞を軸に読者のココロに刺さる物語を書き連ねた。それが、読者を獲得し市場を形成して、雑誌文化や映画文化、演劇の世界にまで広がった。ざっくり言えばだ。
  いまやその小説のジャンルは、幅広い。思いつくままに書き連ねると‥‥推理小説、恋愛小説、青春小説、経済小説、政治小説、歴史小説、ホラー小説、冒険小説、SF小説、官能小説などなど、人間が人として動きまわるフィールドだけ小説の種類はあるともいえる。
  だから、自動車をテーマにした小説も、さほど数は多くはないがなかったわけではない。たいていは産業スパイ小説やSF小説にカテゴライズされていたケースである。
  ところが、この本は、『自動車小説』とわざわざ謳っているぐらいだから、自動車のことがざっくり8割がたを占めている。木でできたピノキオ人形が命を吹き込まれ、活躍するように自動車そのものが主体性を維持して主人公となるわけではない。あくまでも元気のいい青年がもっぱらスポーツカーやスーパーカーをあやつる世界。
  これを11個の短編集で描いている。たとえば、『辻褄(つじつま)』という作品では…‥「電装系を確認する。後輪デファレンシャルの作動制限装置は電制。おそらくXKRのそれと同じGKN社製の電制LSDだろう。4輪に適宜ブレーキをかけてクルマの姿勢を整える挙動安定システムは、アクセルを踏みすぎて駆動輪が空転したときにエンジンを絞ることでトラクションコントロールと協調して制御されていて、これはコンソール上のチェッカーフラッグ印スイッチを押せば、通常モードよりも割込みが遅れ、わざわざ姿勢を崩すような運転を許容する辛口モードに切り替えることができる。ここも以前と同じだ。ディメンジョンも1810キロの車重もXKRと同じ。その一方で機械過給されるV8は、排気量も圧縮比もXKRと同じままで馬力が一割ほど盛られている」
  難しい! よほどのマニアでないと理解できないと思う。しかも、息の長い文章だ。野坂昭如もたまげるほど。短文を肝としている新聞社のデスクなら、複数の文章に分解され、赤入れされるに違いない。
  なかには男女の微妙な心のやり取りを織り込んではいるが、こうして切り取られてしまうと、オートメカニックやかつてのカーグラフィックの記事のような特定のマニアにしか通じない世界観。しかも登場するクルマは、ジャガーXKR-S(上記の例文)、ランボルギーニ、フェラーリ、ロータスエラン、ベントレーコンチネンタルGTCなど、生活感のない、とてもじゃないが庶民には手が届かないクルマ。その意味では「トップエンド・ブランド小説」ともいえる。だからか登場人物の造形は、クルマの陰に隠れている。
  たしかに、こうした文章が色濃く表現した小説はこれまでなかった。その意味ではチャレンジングで、筆者の野心が伺える。小説は、人間を描かなければだめという強迫観念が支配的な読者には受けないが、いまや、ケータイでの「ライトノベル」というカテゴリーもあることだし、な~んでもOKなのかもしれない。ともあれこの書物、40~50歳台のクルマ好きには受けるんだろうな。
  ……たとえば、阿部公房の代表作「砂の女」のような一種の幻想小説という器に自動車を投げ込んだ、そんな小説はありうるか? あるいは、70年代にキャブレター(気化器)のパイロットジェットの調整を通して哲学を論じたロバート・パーシングの小説『禅とオートバイ修理技術』のようないっけん親和性のないハイテク機械と哲学の融合など……。大きく飛躍することで新しい物語の地平が開ける。『自動車の小説』のページを閉じて、ふとそんなことを考えた。

愛車メンテのプラスアルファ情報

660円のバッテリードライバーは使えるか? 

バッテリードライバー

バッテリードライバー2

  1年以上前に近所のホームセンターの工具売り場で手に入れたものの、使いもせず工具箱の隅に追いやっていたのがこの「バッテリードライバー」。台湾製で兵庫県三木市にある藤原産業が販売元になっている製品。購入価格660円だった。
  「バッテリードライバー」といわれてもピンとこない。
  バッテリー本体の上部にある6個の樹脂キャップを脱着するとき、半月形の溝を利用して通常は10円硬貨を使う。でも、それじゃオシャレじゃない! と、このツールを使いなさいとばかり誕生した工具のようだ。さっそく使ってみると、なるほど10円コインとくらべると格段に使いやすい(写真)。コインだと手が滑ってどこかに消えてしまう恐れがあるが、長さ143mmのこのドライバーは存在感がありそうした心配はいらない。
  いい忘れたが、この樹脂キャップを外すときは、あまりないが、単独で充電する際内部から水素ガスが出るので、緩めて置いたり、あるいは内部の電解液の水位を確認するとき、とくに横から眺められない状況で、このキャップを取り外すというケースもある。
  この製品のもう一つの役割は、バッテリーのプラス・マイナスのターミナルに取り付いている2面幅10mmのナットを緩めたり締めたりする。カタカナのコの字というか、先端部がスパナになっていて、ここでナットをとらえ回そうというわけだ。いざ使ってみると、たちどころにOUTであることが判明した(写真)。
  そもそもスパナは、相手のナットの角2カ所でしか当たらないため、少し締め込みすぎたナットを緩めようとすると“オッと!”と思わず声が出かかり、ナットの角が舐めそうになったのだ。やはりここは、メガネレンチが断然有利だし、無難だ。
  ソケットツールでもやれなくはないが、工具が横になるので、使いづらいと思う。メガネに限る!
  さてこの製品、狙いどころはさほど悪くはないが、やや詰めが甘かった。そこで提案だが、ターミナルナットの脱着作業はメガネレンチに譲り、キャップの脱着だけに特化したらどうだろうか。スタビドライバーのように全長をごく短くし、同時にグリップ自体を二回りほど小さくして、さらに貫通穴を再考してキーホルダーとしても使えるようにする。これならいま以上に売れると思うだが?


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