みなさん!知ってますCAR?

2022年1 月15日 (土曜日)

TOP NEWS

こういうことなのか? ソニーがクルマを作る意味とは?

ソニーのEV

  「なぜソニーがいまさらクルマ業界に割って入ろうとするか、理由がわからん!」「家電で行き詰った日の丸電気業界のあがきか?」などなど、外野席の不躾な声が聞こえる。ほかでもない、ソニーのEVコンセプトカーをめぐる話題だ。
  でも、一方では・・・・自動車が大きな曲がり角に立っているタイミングで、ココロザシのある企業家が、次世代モビリティに触手を動かそうというのは十分理解できる・・・・。
  そんな折、ラスベガスで開かれたエレクトロニクス展示会「CES2022」(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)に、ソニーのEVコンセプトカーVISION-Sが登場した。昨年はセダンだったが、今年はSUVも登場(写真)。2020年1月が初お披露目だったので、これで3度の露出ということになる。すでに発表されているように、試作車が世界の主要地域で走行実験をされているとの情報もあり、徐々に完成度を高めているようだ。そして、注目なのが、今年2022年春に「ソニーモビリティ株式会社」を設立することだ。量産を視野に入れて本格検討に入ったことを意味する。
  シャシーやボディは、オーストリアの自動車生産委託会社マグナ・シュタイヤ―(ベンツのEクラスやBMWのX3、トヨタのGRスープラなどの開発・製造を担っているスタッフ約1万人の企業)と2018年ごろから取り組みを始めてはいるものの、わずか3年で、試作し、実走実験に入った。一昔前までは考えられないスピード。背景にはITによる技術革新と、グローバルなサプライヤーのネットワークがあるようだ。
  じっさいVISION-Sにはボッシュ、ヴァレオ、コンチネンタル、ZFといったメガサプライヤーのほかに、ボーダフォン、ブレンボ、レカロなどの多くの企業が参画している。
  すでに仮ナンバーをとって走行している試作車には、計40個のライダーやレーダーなどのセンサーが付いていて、車両周囲360度センシングやドライバーモニタリングを実現。レベル4の自動運転を見据えて開発中だという。
  ソニーが目指す次世代クルマの魅力は、安全性の高さだけではなく、適応性(アダプタビリティ)とソフトウエアの充実度にあるという。具体的には、車内にこれまでのクルマにはない、エンタテイメントを持ち込むことだ。プレイステーションなどで築いてきた高い技術を注入する。
  かつてソニーが、ウォークマンで音楽を外に持ち出して若者のライフスタイルを変えたように、モビリティであるクルマに新たなバリューを盛り込み、人々の生活を変革するというのだ。携帯電話が、スマートフォンに変わることで無限の情報やエンタメが外にいながらゲットできる。通話機能は、いわば付録となった。
  それと同じように、ソニーの狙いは、テツガク的に言えば、“クルマを再定義する”ということ。クルマは、これまで期待されていた快適にA地点からB地点に移動するだけではない、新たな価値を付加する、という意味だ。この大変化を担うのは、旧来の勢力ではなく、いつの時代も新勢力だということは、奇しくも歴史が証明している!?

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第6回)

スミスモーター―

  父・佐吉が織機研究に向き合い子供の頃から現場を見て育った喜一郎。大正6年東京帝大の工学部を卒業し、機械工学を専攻している。内燃機関に関心が強く、大学時代から将来は自動車づくりに取り組みたい意思があった。そして、大正10年(1922年)、佐吉の長女愛子の連れ合いである義兄の豊田利三郎(1884~1952年)夫婦の海外紡織事業視察旅行に同行する。約10か月という長期にわたる欧米旅行で、海外の工業力を目の当たりにする。
  そこから約10年後の昭和4年(1929年)から翌年3月まで、喜一郎はふたたび横浜港からアメリカにわたり、自動車工場を見て回り、おおいに刺激を受けている。といっても、表向きは、自動織機に関する仕事での洋行だったが、ひとり喜一郎は、部下に仕事を任せ、自分はフォード社をはじめとする自動車工場や、部品工場を回っていたのである。このころのアメリカの自動車産業は、巨大な市場を背景に数多くのメーカーはビッグ3に集約されつつあり、全体的には日の出の勢いの時期だった。まさに喜一郎の思い描く先進的な自動車工場が目の前で展開されていたのである。
  喜一郎は、1930年(昭和5年)2月、2回目の欧米視察から戻ると、自動車に取り組む覚悟を固めたかのように織機工場の片隅に研究所を設け、技術者を集めて小型エンジンの研究をスタートさせた。手始めに自転車の補助エンジンであるスミス・モーター(写真)と呼ばれる小さなガソリンエンジンを少人数で試作・研究を始めたのである。このころ、喜一郎は大学の同窓であった内燃機関の研究家であり、東大教授となる隈部一雄(1897~1971年)をはじめ、友人のもとに通い、国産自動車の確立をめぐる政府や業界の動向を的確に把握し、同時に多くの事柄を学んでいる。
  一方、新しい工作機械や設備を購入し、工場に据え付けていった。導入された機械設備は、従来の紡織機械の世界のものではなく、より精密で高価なものだったが、喜一郎は将来を見据えて投資は惜しまなかったという。
  ところが、自動車についてはまったくの未経験集団同然である。トライ&エラーの繰り返し。当初は特殊鋼という材料の存在すら知らなかった。分解した外国製エンジンをそのまま模倣することさえ容易ではなかった。作っては壊し、作っては壊しの繰り返しの悪戦苦闘の日々だった。文字通り暗中模索のなかでのモノづくりへの挑戦である。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:三本和彦著『「いいクルマ」の条件』(NHK出版)

いいクルマの条件

  1976年(昭和51年)は、雑誌編集記者1年生の駆け出しで、右も左も分からなかった頃だった。「間違いだらけのクルマ選び」が本屋に並び、業界に一大センセーションをもたらしたのは、その年だった。
  これまで予定調和というか、癒着状態というか、自動車業界と自動車メディアが仲良し関係であったのが、筆者徳大寺有恒(1939~2014年)の登場で大きな波紋を広げたのだ。
「本当の筆者は誰だ!?」ということで、犯人探しがはじまり、その時いち早く名前が挙がったのがミツモトさんだった。三本和彦氏(1931年~)。歯に衣を着せずズバズバと発言をしていたからだ。強く記憶しているのは、新車発表会で「(今度の新車は、従来車にくらべ)変わった変わったとおっしゃいますが、一体どこが変わったんですか?」とストレートで毒のある質問がいまでも耳に残っている。評論家としての存在感を示していたようだ。たしかに、当時のフルチェンジにしろマイナーチェンジにしろ、フロントデザインを少し変えたぐらいの変更でお茶を濁していた(そのことで販売攻勢をかける!?)ことが少なくなかった。
  あれから半世紀近くたったいま、同じ日本を代表する大先輩の自動車評論家だが、ソーカツすると三本さんと徳大寺さんはまったく違う。まず文体が異なる。それにもましてクルマを見る視座が違う。
  “間違ったクルマを手に入れ、失敗するのも面白い! それもその人のクルマへの思い、人生観を広げる!”という余裕が三本さんには、ほとんど見当たらない。クルマは人間の自由さと結びつき、日常生活の冒険を意味するゆえに価値がある。このことに気付いていないのか、あえて無視しているかに思える。
  人はやはり時代の子供である。若いころ「クルマなど持てる時代が来るとは思えなかった」そんな世代に属するので仕方がない面はあるが。
  今回取り上げる本は、三本和彦さんのバイアーズガイドである。クルマを購入するときの、手引書だ。
  だから家を買う場合に次いで人生最大の買い物としてとらえてのクルマ購入ガイドである。ものすごく慎重だし、けっきょく≪自分のアタマで考え、自分の責任でクルマを選ぶことの大切さ≫を説いている。そのためにはとにかく、試乗してみて実感として捉えることの大切さをひたすら説いている。
  200ページの新書なので、なぜ、トヨタのクルマがよく売れ、日産があえいでいるか? とか、若者のクルマ離れは、むしろ日本のクルマ社会の正常な進化だ、ということも縷々説いている。そして、なるほどと合点するのは、「建設省(現国土交通省)のデータによれば、日本の全道路の84%が市町村道で平均の車道の幅が3.5mに過ぎなく、国道や都道府県道を含めても、4.0mだ」というのだ。これは1998年のデータだが、いまもさほど変化ないハズ。つまり、全幅1480mmの軽自動車が一番理にかなっており、1700mm未満のコンパクトカー(5ナンバー)がぎりぎりセーフ。全幅1800mmの3ナンバーなどこれから見ると国賊モノと言えなくもない。
  とにかく三本さんは、良き市民という目線から一歩も出ない自動車評論家なのである。休日にはゴルフに興じる市民のひとり。普遍的な自動車への愛があまり伝わってこない。失礼ながら、三本さんの文章に退屈さがにじむのは、読者にも良き市民であるべしという教訓めいた制約が透けて見えるからなのかもしれない。(2004年11月刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

2800円で手に入る上等の日本製ラチェットハンドル

FLAGラチェットハンドル

  ストレートのハンドツールというと、台湾製で使えるけどソコソコ。あまり愛着のある工具は多くない、と思える。
  といった印象を抱いている読者が多いかもしれないが、製品ラインナップをよく眺めると、FLAG(旗の意味)というブランドがあるのを発見する。これじつはストレートのなかでも珍しく、MADE IN JAPANを意味するロゴである。
調べてみると、FLAGとは東大阪市にある秦製作所という従業員20名の老舗の工具メーカーである。秦→旗→FLAGということらしい。
今回は、このFLAGブランドの3/8インチラチェットハンドル(品番10-2000)を取り上げてみよう。
  まず手にしてラチェットをカチカチ言わせてみる。なかなか、細やかでいい音色である。ソケットを取り付け、さらにフィーリングを見る。悪くない。グリップが太く手に密着する。プッシュボタン式だから、ガタはやはりあるものの、まぁ許容範囲といえそうだ。ギア数は、数えてみると、80ギアだ。珍しい数である。これまで50本以上の3/8インチラチェットハンドルを試してみたので、そのデータを調べてみると、ギア数80は、スナップオンのFHR80と同じだ。だが、これは全長が244mmと長い。
  全長を測定すると、180mmでごく平均的。ネプロスNBR390が180mmなので、これに合わせたかもしれない。重量も262gと、これは同じネプロスのNBR3UNと全く同じだ。ついでにヘッド部の外寸を測定してみると、幅が27mm、高さ26mmで、これもネプロスと限りなく近い。
  左右の切り替えレバーの操作時の重さ(軽さ?)も適度なもので、作業着の袖にかかる心配もないデザイン。
  このラチェットハンドル、総合点は相当高い。高評価を与えた一因は、なんといっても価格だ。税込み2800円。3000円を切るプライスで、この品質。日本のモノづくりもけっして台湾や中国に負けていない!?

2022年1 月 1日 (土曜日)

TOP NEWS

手放しで喜べない! トヨタ9年後に年350万台のEV生産。

トヨタ新EV戦略

  トヨタの豊田章男社長は、昨年12月14日いきなり記者会見を開き、今年5月の計画を白紙に戻し9年後の2030年にはEV生産を全体の35%にあたる350万台とすると宣言した。EVの開発や生産設備に4兆円、“電動車”全体で8兆円の巨費を投じるとした。
  会場は閉館間際になったお台場のメガウェブ。未発表のSUVのEVやスポーツカーのEVなどなど10数台を背にしての記者会見は、いやがうえにも世界一の自動車メーカーの一大決意を示すものだった。
  この迫力ある記者会見のおかげで、数週前「全固体電池の5年後導入に向けて2兆円の投資をする!」という日産の宣言はすっかり霞んでしまった。まさに企業規模の違いを印象付けた。
  それにしてもだ。今回トヨタが、半年にも満たないで、軌道修正した理由は何か? 環境保護団体グリーンピースによる気候変動対策の最下位評価やニューヨークタイムズ紙の「クリーンカーを遅らせているメーカー・トヨタ」という悪評をかわす狙いが背景にある。加えてEV専門メーカーのテスラの株式の時価総額がトヨタの3倍以上となったこともある。
  ホンダが2040年までに新車販売をEVかFCVにする、ドイツのVWが2030年にEV販売比率を50%にする、フォードも2030年までにEVを4~5割にするなど華々しくEVシフトを宣言している。トヨタの首脳陣にとって、こうした動きは外堀を埋められつつある気分だった! というのは言い過ぎだろうか。
  それにしてもだ。全体の生産比率から言えば35%はそう多くはない。「テスラモーターは年間のEV生産が50万台に過ぎない。うちは350万台を目標としている。ここを評価してもらいたい」「たとえばノルウエイは水力発電が背景にあり、EV比率が7割と高いが、バイオエタノールを燃料としたエンジンが主役となっているブラジルでは、ガソリンより安いバイオ燃料が背景にあり、そこにEVを売ろうとしても無理がある。トヨタはグローバルにクルマを販売している」世界を相手にしている自動車メーカーであることを章男社長は、強い言葉でにじませた。「急速な脱炭素、つまりエンジン不要となれば100万人の雇用が失われる」という章男社長に次の手はあるのか? そして、安易なEVシフトで、走行時のCO2発生は抑えても、肝心の電気をつくるのに化石燃料を用いてCO2を大量に発生させる! という愚行に陥る心配はないのか? だからと言って原発の活用には踏み切れないし。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第5回)

豊田喜一郎

  生まれ落ちた国のために仕事をして、自国を外国に誇示するべし! という国威掲揚を教育のど真ん中に置いていた。ココロザシのある人物は、“このままでは日本がだめになる!” そんな危機意識が募ったのは当たり前ともいえた。
  ちなみに、喜一郎は、父親の豊田佐吉からこんな薫陶を受けていたという。「わしは織機を作ってお国に尽くした。お前は自動車をやれ」。このまま手をこまねいていると、アメ車が日本の市場を埋め尽くしてしまう、という危機感は、当時の日本の起業家や資本家の気持ちとしては共通していた。
  だが、本格的な量産を目指す自動車産業に挑戦するとなると、リスクが大きすぎる。広大な工場施設や大量の優秀な労働力、機械設備、高い技術力、量産力、サービス体制、部品の購買力など数え上げたらきりがないほどの総合力が要求される。これらをすでに世界的企業となりつつあるフォード、GM相手にするわけだから、いわゆるクレバーな既存の資本家や起業家(具体的には三井、住友、三菱、渋沢、安田、大倉などの財閥)の大部分はやりがいのある事業だとは理解してはいるが、リスクの高いビジネスとして自動車産業にそっぽを向くか、二の足を踏んでいた状態だった。
  こうしたリスキーな事業に果敢に飛び込んでいったのが、トヨタと日産だったというわけだ。2社ともに新興勢力ともいえた。いまの言葉でいえばスタートアップ企業、あるいはベンチャー企業。
  ただ、このころの流れを注意深く調べると、トヨタも、正面切っての自動車製造に着手したというわけではない。むしろ日産の鮎川義介の方は、ワンマン企業だったこともあり、果敢に挑戦したといえる。
  この物語の主人公の豊田喜一郎は、豊田佐吉の息子とはいえ、その当時豊田自動織機製作所の常務に過ぎなかったからだ。喜一郎の独断で、「はいこれからうちの会社でクルマを作ろうと思います!」なんて宣言までには時間が必要だった。社長は、佐吉の長女の婿養子である豊田利三郎(1884~1952年)。喜一郎から見ると、10歳上の義兄である。喜一郎は、自分の夢を実現するには、外堀と内堀を少しずつ埋めていくしかなかった。
  (写真は1920年ごろの豊田喜一郎)

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:中部博著『和風クルマ定食の疾走-日本的自動車づくりの発想』(JICC出版局)

和風うクルマ定食

  『自動車伝来物語』でユニークなノンフィクション作家の地歩を固めている中部博(1953年生まれ)の国産自動車メーカー訪問記である。メカには詳しくはないが、めっぽうクルマが大好きな筆者の中部氏は、ふと「クルマはどんな考えでつくっているのか?」という好奇心がむくむくとわいてきて、地道にカーメーカーを訪ねまくり、その答えを求めようとする。
  そもそもクルマのことを詳しく語ろうとすればするほど、他者に伝わりづらいものだ。頭を冷やして考えれば、ただの個人的な移動手段に過ぎない乗り物。でも、ふだん足として使うクルマを“愛車”(すでに死語!?)と称したり、なかには愛玩動物のごとくニックネームを付けたり(私の友人はゴンタという名前を付けていた!)、あるいはかつての電車のように○○号と名付ける御仁までいる。そこまでいかなくても、クルマというカタマリのなかに人格が宿っている、と心の隅で思いがちである。たぶんそれは“自分の手足の延長”ということ。だから、クルマは人に語りかけたり、ときには支配までしてしまう。
  この本は、日本のクルマづくりにかかわってきたエンジニアや商品企画担当者、営業マンに素朴な疑問をぶつけ、ときには筆者が子供の頃から積み上げてきた自動車へのあこがれや価値観のなかで自問自答を繰り返す。
  ともあれ、この本のインタビュー時期は1980年代中頃。いまから35年前ほど。登場するクルマは、かなり古い。マークⅡGX81,ソアラ、ホンダ・インテグラ、7thスカイライン、デボネア、マツダ・カペラ、スバル・エルシオーネVX,ダイハツ・リーザ。どんなクルマだったのかにわかには思い出せないクルマが大半。
  当時のクルマはようやくキャブレターから電子燃料噴射にシフトしていった時代。現在のクルマのように、自動ブレーキも付いていない。1台のクルマのなかに10個も20個ものコンピューターを搭載して、エンジンだけでなく、ブレーキ、シャシーの緻密な制御をおこなってはいない。安全性という切り口で比べてみても、隔世の感がある。でも、それは逆に言えば失っているものもある。
  失くしたものの最大級のものは、モノづくりの現場とユーザーの距離感かもしれない。80年代までのクルマは、ちょっとしたメカ知識があれば、手持ちのハンドツールで、自分のクルマの修理が楽しんでやれた。もっとも、イマドキのクルマもメンテナンスだけは、DIYでやれちゃうのだが、手が入る余地の見えないエンジンルームをのぞいただけで、いまどきの若者は門前払いを食らった思いをするのではないだろうか?
  本のタイトル自体が、なんだかゲテモノ風に思えるが、ごくごく普通の感覚のインタビュー記事だ(単行本のタイトルは筆者の手を離れ編集サイドが決めるから)。
  そして読了してみての感想は、けっきょく個々のクルマをあれこれ考えることは、ハンドルを握る自分を見つめることだと気づくことに。「自分は何をクルマに求めているのか?」という問いに始まり、「自分とは何なのか?」「何を人生の目標としていくべきなのか?」そんな哲学めいた問いかけをし始める。(1988年12月発売)

愛車メンテのプラスアルファ情報

見掛け倒しの軽量タイプ? ストレートのラチェットコンビレンチ。

ストレートの新型コンビレンチ

  コロナ禍のせいもあり横浜の都筑(つづき)にある工具屋さんのストレートに久しぶりに足を運んだ。
  お店のPCで顧客履歴を閲覧してもらうとなんと、4年ぶりの来店だというから驚く。いかにパンデミックが取材活動を阻害していたかがわかる。それはともかく、この店は門外漢の人には異常なほど、相変わらずぎゅうぎゅうの感じで工具があふれかえっている。
  今回見つけたのは、ストレートのオリジナルの『ラチェットコンビネーション軽量タイプ12mm』(品番11-7712)だ。写真(手前)で見るように柄の部分に2カ所肉抜きをすることで、軽量化を図ったというコンビレンチだ。メガネ部には、ギア数72のラチェットが組み込まれている。価格は960円とリーズナブル。
  この製品を一目見ただけで「ハハ~ン!」である。なにがハハ~ンかというと、肉抜きコンビはすでに新潟にあるASAHIが、「ライトツール」(写真の奥)という名称で7年ほど前から市場に出している。全長140mmで、今回のストレートの約30%短いし、重量は33gでストレート78gなので半分以下の超軽量だ。ちなみにASAHIは、メガネ部はラチェット式ではないが、ラチェット式のメガネブを持つタイプのコンビレンチは、大阪のTONEからやはり7年ほど前に登場しているのだ。TONE・RMシリーズ(写真中央)で、グリップ(軸)がエンタシスの断面のようなふっくらしたタイプ。
  つまり、若干いやらしい言い方に聞こえるかもしれないが、このASAHIとTONEの2つのコンビレンチのいいところを合わせた感じの製品だといえなくもない。
  そこで、一番気になる軽量かどうかだ。じっさい秤で計量してみた。意外や意外、肉抜きしていないTONEのRM(もちろん同じサイズの12mmだ)より12gも重い。割合にして16%も重い。これはもちろん、全長が25mm長い195mmもあるからだ。ここまでの長さがあれば、より大きなトルクをかけやすいが、果たして必要かどうかは、別問題。むしろ、私の経験ではショートタイプのコンビレンチの方が使い勝手がいい。
  ついでに苦言を呈しておくと、メガネ部にスパナ部同様15度の角度をつけてある点だ。
  スパナは、たしかにひっくり返すことで、振り角度を大きくできタイトな場所での使い勝手を高めている。ところが、メガネ部は、逆回転の切り替えができないので、ひっくり返して使うというわけにはいかない(ひっくり返せば緩んでしまい、元の木阿弥だ!)たぶんこれは、デザイン上の遊びなのかもしれない。スパナ部、メガネ部ともTONEに比べやや厚いのも気になった。ちなみに、仕上がりは鏡面で悪くない出来だ。


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