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2022年3 月 1日 (火曜日)

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コロナ禍での渋滞都市ランキングをウオッチィング!

1920年のNY

  「渋滞はむしろ車内での会話を盛り上げる特効薬となることも!」 かつてそんなマイナス現象をプラスと見なす考え方があることにたまげたものだ。そうした車内をリビングと取り違えているドライバーは別にして、渋滞はやはり交通の自己矛盾だ。経済活動のマイナスにもなっている。燃費悪化でSDGS(持続可能な開発目標)にも背を向けることになる。
  タイム・イズ・マネーでいち早く目的地に着きたいのに、交通渋滞で無駄な時間が覆いかぶさってきて、その日の計画が台無しということもある。渋滞の解消は、見果てぬ夢なのか?
  そこでコロナ禍で渋滞具合はどう変化したのか? TOMTOM(トムトム)というオランダ・アムステルダムに本社を置くロケーションIT企業の昨年2021年度版の渋滞調査が公表された。世界58か国404都市における緻密なデータだけにかなり信頼がおける。
  それによると、世界の主要都市の渋滞具合は、コロナ禍とそれ以前で意外と大きな変化がある場合と、逆にさほど大きな変化が起きていないところの濃淡が比較的顕著に表れた。
  たとえば、世界で一番の渋滞する都市イスタンブール(トルコ)などは、コロナ禍前の2019年は渋滞率55%だったのが、昨年2021年では62%と7%もアップしている。ちなみに、“渋滞率”というのは、年間を通じてドライバーが余分な運転時間を費やした時間。たとえば、空いていれば30分で着けるところ50%の渋滞率なら45分もかかるということだ。同じくランキング第2位のモスクワは59%から61%とわずか2%の増加。
  東京は、渋滞世界ランキング第17位だが、42%→43%、大阪は34位だが、36%→36%と2年前と同じ。パリはコロナ禍前から4%アップした35%。ロンドンは2%アップの33%。LAは6%アップの33%。日本の主要都市を含め先進国は、コロナ禍よりは渋滞率が高くはなっているが、小幅に落ち着いている。
  これはたぶん、多くの人が公共交通機関の利用を控えマイカーでの移動を優先した分渋滞が増加したものの、渋滞緩和要素があったから。渋滞緩和要素としては、リモートワークの時間が増加し、自宅時間が増加した点。それに日本のように都市間距離が短い場合、自転車やオートバイ、スクーターでの出勤に切り替えたサラリーマンが増えたことも、渋滞緩和に貢献。ちなみにLAでは移動距離が長いので、自転車やバイクは使いづらい。
  発展途上国では、例外こそあるが移動の選択肢が狭いこととリモートでの業務移行があまりなされなかったことで、渋滞が顕著に増えたのではないかと類推できる。
  例外というのは、ムンバイやベンガルールなど渋滞ワースト10に入るインドの2都市は、2年前より渋滞率が10%以上ダウンしている都市もある。この背景は過酷なコロナ禍で、長きにわたり都市機能の停止を余儀なくされたからだ。
  いずれにしろ、パンデミックが未曽有の都市交通に暗くて大きな影を及ぼしていることは確かだ。
  (写真はフォードT型がアメリカを席巻した1920年のマンハッタン。世界初の渋滞風景?)

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第9回)

材料試験室

  喜一郎は、こうした「アツタ号」の動向を横目で冷静に観察し、頭をフル回転させながら成功の道筋を描いていたに違いない。アツタ号デビューから1年後、喜一郎は、技術面でのめどが一応立ったとして、妹の婿である社長の豊田利三郎を説得し1933年(昭和8年)9月に「豊田自動織機製作所」のなかに「自動車部」を設置した。
  壮大な成功を目指し、そのための下準備のはじめの一歩を踏み出したのだ。当面は、外国車の長所を学び、日本の国情にあったクルマづくりの開発をスタートさせたのである。
  翌1934年(昭和9年)、刈谷に試作工場と材料試験室(写真)をつくった。材料試験室は、鉄の引っ張り、曲げ、圧縮といった物理的特性を試験する試験室、分析室、写真現像、図書室などを備えた830㎡。そこで、鉄鋼材をはじめ、クルマを構成する各種材料の試験、研究がおこなわれ、外国車の自動車用材料についても分析がおこなわれた。
  いっけん回り道に思える基礎研究をなぜおこなったのか? 喜一郎のDNAには、佐吉譲りのものごとを突き詰めて考えるという深い好奇心もあるが、当時自動車づくりに適した高品質な鋼材を安定して提供する企業が国内になかったからだ。そのため、自前の研究所をつくるしかなかった。欧米の技術を丸呑みしながら、モノづくりをおこなおうという鮎川義介(1880~1967年)の日産との大きな違いである。
  じつは、こうした基礎研究や、自動車づくりの基本を大切にしている、格好の“証拠物件”ともいうべき資料を筆者は、ひそかに所有している。
  1970~1980年代に編集され、主だった社員に配布した様々な技術資料である。トヨタが創業以来約半世紀にわたり蓄積した知見やノウハウ、技術などを分野別に文字として残している。期せずしてこれらは、後輩への伝達事項となっている。たとえば「材料の知識」とか「自動車の知識」「自動車用語辞典」「生産用語辞典」「生産の知識」「自動車と情報処理」「エレクトロニクス用語辞典」「メカトロニクスの知識」などだ。もちろんこれらは非売品。部署ごとの専門技術者が、執筆しまとめた平均600ページにおよぶ大部で、やさしい文章で書かれている。「技術を共有化しなくてはいいクルマはつくれない!」そんなメッセージをくみ取れる、冷静かつ熱い気持ちで書かれた技術書である。欧米の自動車メーカーのことは知らないが、少なくともこうした高い品質の基礎技術書を自社でつくり上げているのは、トヨタ自動車以外知らない。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:五木寛之著『雨の日には車をみがいて』(角川文庫)

雨の日には…

  じつは、この本、長いあいだ恥ずかしながら“積ん読”状態の一冊だった。
  この本を避けてきた気分を分析すると、おもに2つの理由が。そもそも和製フォークソングのような受け狙いのタイトルが気に入らない。それにもまして“車を磨く”という表現が生理的に受け付けられない。車との接し方にはいろいろなタイプがあることはわかるが、車を磨くことを無上の喜びとする気が知れない。しかも、それもわざわざ“雨の日”という限定している点が、わざとらしくて気に食わない。
  第6話にこんな箇所がある。「ぼくの唯一の生きがいは、夜中に自分の気に入った車を走らせ・・・・」。ここまでは大いに賛同できるが、そのあと「帰ってきて車庫でその車を磨くことだった」となると、グっと引いてしまう。さらに「BMW2000CSは、エンジンルームの中まで銀の食器みたいに輝いていた」となると、何をか云わん。
  物語は、9個のショートストーリーで構成される。シムカ1000から始まりアルファロメオ・ジュリエッタ、ボルボ122S、BMW2000CS、シトロエン2CV、ジャガーXJ6、ベンツ300SEL6.3、ポルシェ911S、そしてサーブ90Sの9台と9名の魅力的な女性が登場。主人公、クルマ、そして女性、このいわば3角関係でそれぞれの物語に彩(いろどり)が添えられる。
  1970年代、学園闘争が一段落し、世の中が平穏に戻りつつあった。主人公は、作詞家、放送作家、CMソングライターの3つを掛け持ちする青年。となれば、若いころの五木寛之氏の自画像。流行作家になる前の駆け出し時代と重ね合わせられる。
  当時の“日の丸”乗用車はまだまだ発展途上。欧州車のあとを追いかけていた時代。輸入車は、舶来品と崇められていた時代。そのガイシャを次々に乗り換えている主人公は、当時の若者から見れば羨望の的。
  かくゆう不肖広田は、当時横浜の外れの公団住宅に住み、ようやっと5万円で手に入れた中古のホンダZ(リアビューが水中メガネ)と格闘していた。エンジン不調に陥り、路上でディストリビューター内のコンタクトポイントをばらしてしまい、途方に暮れていた、そんな時代。
  すでにそのころ五木寛之氏は、サイン会を開けば長蛇の列を形成する流行作家の地位を確立していて、雲上人(うんじょうびと)の文化人。・・・・となると、車を磨くことへの嫌悪とは別にして、この洒落たタイトルの小説を長い期間敬遠していたのは、嫉妬心のなせる業だったかも。反省。
  「これほど楽しみながら書いた小説はない…」と五木さんみずから、あとがきで告白している。「だから読者は作者よりもっと楽しんで読んでもらえる……」。
  通読してみると、この手の小説にあるバグを見いだしづらい。当時の都会の空気をとらえた、実によくできた高得点のエンタテイメント小説。クルマ好きの読者にも満足を与えられるし、とくにクルマに興味のない読者でも、十分に楽しむ工夫を凝らしている。自信と不安をのぞかせる主人公の微妙な心理描写の匙加減は見事。
  小説の主人公との距離感でいうと、小説は2つに分けられる。読者がべったり主人公に重ね合わせられるタイプの小説と、主人公との距離感をある一定の距離で保つタイプの小説。この本は、後者に違いない。主人公の心情は、矛盾を抱えながらもどこか冷めていてクール。だからなのか、五木さんの出自からくる根無し草、デラシネの思想がこの物語全体に薄膜のように覆っている。この陰影を溶かし込んだところに、この小説が時代を越えて長く読み継がれている秘密がありそうだ。五木さんの長編小説「青春の門」の主人公伊吹信介の別人生の物語としても読めなくはない。(初出は1988年の単行本)

愛車メンテのプラスアルファ情報

三角断面グリップの貫通ドライバー

3角断面ドライバー

  通称“ねじ回し“とも呼ばれるスクリュードライバーは、世の中に星の数ほどある。
  大きく分けて、非貫通ドライバー、貫通ドライバー、それに小ねじ専門の精密ドライバーの3つのジャンルがある。
  このなかで、日本人が比較的好むのが、貫通ドライバーだ。なにしろ軸とグリップエンドまでが一直線に貫通しているので、固く締まった相手のビスにハンマーで衝撃を与え、緩めて回すことができる。そんなポテンシャルを秘めているので、非貫通と比べ3~4割がた重くはなる。でも日本人は昔から貫通ドライバーを選択する人が多いのである。ちなみに欧米人はドライバーへのこうした期待値(つまり叩いても大丈夫という)を抱かない。鏨を使うからだ。だから欧米のドライバーメーカーは長いあいだ貫通タイプのドライバーがカタログに載らなかった。
  これを踏まえ、あらためて今回取り上げるドライバーを眺める。台湾製ではあるが、なかなか秀逸な貫通ドライバーと言えそうだ。
  どこが感心したかというと、まずグリップだ。硬め(黄色部分)とやや柔らかめ(黒い部分)のハイブリッドの樹脂製グリップだが、断面が3角形。ドライバーをあれこれテストするとき、わざと石鹸をつけスムーズに回せるか、そんな意地悪テストをしてみる。いうまでもなく油の付着した手でも使えるかを見るのだ。大半のドライバーは空転する。これまですごいと思ったのが、ベッセルのウッド製のドライバーで、意外とよく踏ん張った。
  今回のストレートの2番プラスドライバーはどうか? 
  結論をいえば、ベッセルに迫るグリップ感を見せた。やはり3角断面と、表面の細かな凸凹(よく見るとアルファベットのMの文字が浮き出ている!)で、俄然グリップ力を発揮するのだ。グリップ太さが35mmというのも効いている感じだ。しかもグリップの長さも112mmとこれまでテストしたなかでも比較的長い。
  これたぶんマイナス要素なのかもしれないが、重量が164gとこれまでテストした貫通ドライバー(プラスの2番)のなかで断トツに重い。たとえばANEXのウッドに比べ51gも重いのだ。割合にして1.45倍!
  重い理由は、もう一つある。座金が一回りデカいのだ。通常φ18mmが標準でなかにはφ16mmというのもあるが、ストレートのこれはφ22mm。そのぶん指を詰める心配が少ない!? 購入価格は、570円。


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