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2022年3 月15日 (火曜日)

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開店休業状態の近所の水素ステーション!

水素ステーション

  都市部には何とも不思議な施設があるものだが、我が家の近くにもそれがある。「横浜南水素ステーション」である。横浜駅から南に約7㎞、交通量の少なくはない鎌倉街道沿いにある。
  ほとんど客が来ない水素ステーションである。6~7年ほど前につくられた設備だが、その前を通るたびに気にかけて観察している。ざっと100回近くは前を通っている。ところが、これまで実際FCVが水素を充填している現場を2~3回ほどしか見たことがない。いつも人影らしきものがないので、不気味と言えば不気味である。開店休業のオーラが充満している感じ。
  調べると、横浜市のFCV保有台数は、多く見積もってもせいぜい500~700台程度。横浜市には計6カ所の水素ステーションがあり、官庁やトヨタの販売店社長あたりが所有するFCV(FCVを個人で所有する人はごくまれだと推理する)のための水素ステーションなのである。
  さらに調べてみると、次世代の環境車として2014年に登場したFCVは、昨年の販売台数が約5600台しかない。現在手に入れられるFCVは、トヨタのMIRAI(ミライ)しかない。累計で1万7000台ほど。ホンダのFCVは昨年いつの間にか生産中止となっている。ちなみに、バッテリーEVは昨年だけで2万2000台売れているので、次世代乗用車はEVに軍配が上がると誰しもが考える。
  FCVはEVと違い燃料(エネルギー)の充填速度が化石燃料並みに素早くできるのが魅力。だが、数多く売れないと量産効果が上がらず、車両価格が高止まりのまま。EVの約1/10。水素ステーションの設置個所もあまり増えていない。全国で現在166カ所。神奈川16カ所、東京21カ所、栃木や山梨は1軒しかない。これじゃとてもじゃないが、FCVでドライブにでかけようと気分にはなれない。だから、だれも買わない。ちなみにEV用の急速充電設備は全国に約7700カ所ある。
  ところが、面白いことにそれでも政府は一度振り上げたFCV推進の環境“旗”は降ろすに降ろせない・・・・。3年後の2025年には、全国に水素ステーションを320カ所までに増やそうとしているのだ。そのため、来年度は今年度より40億円多い150億円を投入するという。FCV普及のために、税金を使って、いわば先行投資している。
  ただ、乗用車の世界は駄目でも、トラック・バスの世界ではFCVは将来有望ではないか、という見方もある。トラック・バスは、たいていいつも決まったところを走ることが多い。だから、水素ステーションの利用頻度が高く、その設置についてもコスパに見合うということらしい。でもFCVトラック・バスが普及するかも、ひとつの賭けだ。
  道路行政に限らないが、世の中やはり複眼でモノを見る必要がある。だが、明らかに無駄と分かった場合は、さっと引き上げる勇気も必要。このへんは民間企業とお役所仕事の違い!? 税金の無駄遣いにならないように今後も注視すべきだ。
  (写真の「横浜南水素ステーション」は月~金が9:15~18:45、土曜9:15~16:45。日祝は休み。のぼり旗ははためくものの客の姿はない)

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第10回)

シボレー1

シボレー2

  1930年代のトヨタは、とりあえず、ボディ外板の質の良い薄板鋼板はアメリカから輸入した。鍛造部品などの鉄素材である特殊鋼は兵器用の素材となっていたが、社内開発と決めそのための「製鋼部」を設立している。この部署が20年後に愛知製鋼として独立しクランクシャフトやギアなどの生産を担うことになるが、いまは話を深めないことにする。(ちなみに、愛知製鋼には東海市の社内敷地に「鍛造技術の館」という博物館をもっており、一般公開している。筆者もここに足を運び、取材したことがある。)
  本来は、日本人の手でゼロからクルマを開発するのが理想ではあるが、現実問題としては、当時の日本の技術力は、欧米のそれとは比較にならないほど低かった。そのことに向き合うことからスタートした。具体的には、研究開発部門、いまの言葉でいえばR&Dから始めた。そして、たとえばエンジンなら、お手本とするエンジンを見定め、それを愚直にそっくりそのままコピーするところから始めた。文字通り、“学ぶことは、真似ること”を意味した。
  昭和8年8月には、前年の秋以来取り組んでいた2気筒4馬力のバイクモーターの試作10台が完成している。これに相前後して、大島理三郎と鈴木利蔵をアメリカに派遣し、工作機械の買い付けをおこなっている。
  そこでシボレーの6気筒3389ccOHVエンジンをお手本にすることになった。
  シボレーのエンジンに白羽の矢を立てた理由は、フォードよりも燃費が良く、量産エンジンとして比較的ポピュラーで、エンジンの各部品の調達ができるという理由からだ。このシボレーは、日本人にはとくに因縁のあるクルマだ。太平洋戦争での激戦地の一つとされる硫黄島で、日本軍の最高司令官・栗林忠道中将(1891~1945年)。かれが駐米武官時代アメリカ大陸を自らハンドルを握りクルマを運転しているのだが、そのクルマがシボレーなのである。息子の太郎君宛てに絵手紙を書いているが、ほのぼのとした文面とともにシボレーがリアルに描かれている。
  (写真は、渡邉春吉さん所有のシボレーと直列6気筒エンジンが収まるエンジンルーム。まだ現役で走っている!)

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:中岡哲郎著『自動車が走った 技術と日本人』(朝日選書)

自動車が走った

  独自の視点で展開する日本自動車産業史である。
  交通の歴史を振り返ると、明治期から日本は鉄道網をゆきわたらせた。おかげで便利で比較的安価な公共交通ネットワークが世界的にも例を見ないほどに整えられた。にもかかわらず、日本は年間2000万台以上のクルマを作り続けるトップレベルの自動車大国となっている。いわれてみれば腑に落ちる、この素朴な疑問。これを梃子に京大卒の技術史家は鋭く江戸末期から我が国の科学する人たちをウォッチする。
  日本でモータリゼーションが始まるのは、いわゆるマイカー元年といわれる1966年(昭和41年)。飛行機野郎長谷川瀧雄が主査をした初代カローラが発売された年とされる。ふつうの庶民がクルマを所有できる気持ちになった。それまではクルマを持つことは夢であった。
  そのカローラデビューからほぼ60年前、日本初の自動車第一号が走っている。岡山の山羽虎夫がつくった山羽式蒸気エンジンを搭載した屋根なし10人乗りバス。そののち日本初のガソリンエンジン車を作った内山駒之助、オートモ号を作った白揚社の豊川順彌、ダット号の橋本増治郎、オオタ車の太田祐雄(すけお)、それに豊田章男氏の祖父である豊田喜一郎などなど。
  こうした先人たちはオシャカ(不良品)を山のように重ね、あたら財産をすり減らし、なかには橋本のように子供の預貯金まで手を伸ばした。なんとしてでも、わが手で自動車を作ろうとした。振り返ると死屍累々! なぜそこまで、情熱を持ち続けられたのか? 経済合理性を考えたら、つまりコスパからみれば大冒険。なぜそんな・・・・よく言えば愚直、悪く言えば無謀極まる挑戦をしなくてはいけなかったのか? 
  当時の富裕層の大半は、自動車産業を極東の島国につくることなど、初めからあきらめていた人が多数派だった。三井、三菱、住友といった財閥は、リスクが大きすぎるとして手を出さなかったし、ヤナセの初代柳瀬長太郎は「(日本ですそ野の広い産業構造を必要とする)量産自動車産業などできるわけがないから、欧米から輸入するのがいちばんの得策だ」ときわめて常識人らしい主張をしていた。
  山羽式蒸気バスはタイヤの供給不良でバス運行が数日で頓挫している。その幻の蒸気バスの轍(わだち)が消えてから、100年たたずして日本の自動車産業は世界トップの座に駆け上った。もし時空を超えて、現代の様子を見たら虎夫さんは、驚いて顎が外れるか涙をながすハズ。・・・・なぜ極東の島国で実現できたのか? 20世紀日本の最大の謎!(最大ではないかも)
  この本は、その謎の正体を産業史のなかに丹念に分け入り、見つけ出そうとする。
  答えは意外なものだ。「乗用車を持つことは日本人の夢だったから!」と筆者は言う「それは文明のモデルとして日本人の目に自動車が写ったから。明治期には、蒸気船や鉄が日本人の文明のシンボルだった。それが関東大震災以後、初めて自動車を見た日本人は自動車こそが文明のシンボル(と思い定めた!?)」。振り返ると死屍累々だが、目には見えない夢の数々が自動車づくりの熱として結実した?! これって“ものづくりサムライの挑戦”?
  江戸末期の「蒸気船」の設計図をもとに模型で蒸気船を作り上げた日本人から始まり、博覧会などで西洋の新しい技術に触れることで、インスパイアされた日本人が、自動車を走らせる夢を追いかける、そんなロマンをふくんだ技術史を分かりやすく追いかける。大学の先生ではあるが、数年間モノづくりの現場で働いた経験のある筆者は、象牙の塔にとどまらないリアリティあふれる筆致で日本人とモノづくりの関係を読み解く。
  (初出は1995年の「朝日百科」、1999年単行本)

愛車メンテのプラスアルファ情報

440円で手に入る台湾製コンビネーションレンチの素顔とは?

ASTROコンビレンチ

  このところ一部には物価高の気配がないわけではないが、ユニクロの衣料品ですっかり飼いならされているわが身としては、ときどきモノの価値が分からなくなってきた。
  今回台湾製の工具であるアストロ(ASTRO)のコンビネーションレンチを手に入れて、あれこれ調べてみると、なぜこれが440円(サイズは12mm)で手に入れられるのか? その素朴な疑問にぶち当たる。
  写真で見るように、普通のコンビレンチである。
  どこか、弱点というか死角はないものかとノギスやスケール、重量計を総動員し“身体測定”を行った。これまでテストした同じサイズのコンビレンチ約30ブランドの測定データが手元にある。その履歴と照らし合わせてもみた。全長が175mm、重量77g、スパナ部の外側幅25.7mm、メガネ部の外側幅19.0mm、軸の幅11.6mm、スパナ部の厚み6.5mm、メガネ部の厚み8.6mm、軸の厚み4.5mmなどなど。スナップオンやスタビレー、ハゼットなどの欧米の製品は、やや長く、にもかかわらず意外と軽い傾向にあり、日本製のコンビレンチはおおむね全長170~175mmで、重量が欧米並みというなかにあるといえる。
  アストロのコンビレンチは、こうしたデータを知り尽くしているがごとく、見事にジャパニーズツールの範疇に収まりながら、軸を欧米並みにやや細くすることでデザイン性を高めている。しかも、軸自体は中央がごくごく太くなったエンタシス形状。手に持った時のフィールを計算に入れているようだ。表面は、スナップオンを模した鏡面研磨仕上げで、サイズ表示もすぐ分かるように大きな文字だ。
  机上のテストでは死角が見えないばかりか、一条の魅力さえ放っている。これがワンコインでおつりがくるのだから、金銭感覚の磁場が狂うはずだ。


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