トヨタ・グループでトラックとバスを担当している日野自動車に、いま激震が走っている。
新車時の排気ガスや燃費測定データを改ざんしたとして、8車種のトラックやバスの「型式指定」の取り消しを食らったのだ。再取得までには数か月がかかるため、企業として莫大な損失を被る模様。ちなみに「型式指定」とは、車検証の上の欄から4行目あたりに掲載される「型式」、そのものを指す(写真)。
そもそも自動車メーカーがクルマを販売する前にブレーキ性能や排ガス性能といった品質、それに品質管理体制などを詳細に調べ、そのデータを国土交通省に提出。これをパスした車両に与えられ、そこで初めて量産車として、その車両を世の中に送り出せるわけだ。
だから「型式指定」を取得するということは、そのクルマの販売権を得ると同義語。逆に言えば、これを取れないと売ることができない、いわば市販車のパスポートなのだ。
今回、報道によると日野自動車のエンジン検査部門は、長年にわたり排ガステストで触媒の性能ダウンを見越して新品の触媒に入れ替えてデータを改ざん、燃費データ測定では流量計を不正に操作していていたという。言葉は悪いが、インチキの限りを尽くし、「型式指定」を取得していたというのだ。
これじゃカーボンニュートラルやSDGsもあったもんじゃない。モノづくり日本に背を向けた自動車メーカーという刻印を押されかねない。背景には、厳しい納期へのストレスがあったとはいえ、先輩たちが汗と涙で築き上げた自動車づくりの誇りと信頼をないがしろにしかねない、愚かな行為だといわれても致し方がない。
そもそも、エンジンの開発部門と国に提出する試験部門が同じ部署、つまり同じスタッフがおこなっていたというから驚く。これってわかりやすく言えば、お巡りさんとドロボーが同居しているようなもの。なれ合いが起きないのが不思議だ。厳しさが足りなさすぎる。
厳しさが足りないといえば…10数年前のこと。日野自動車の整備士コンテストを取材した際、かなりブッタマゲル体験を思い出す。
全国から選りすぐりの整備士が集まる年に一度の腕を競うあう貴重なイベント。会場は博物館が併設する研修センター。ペーパー競技と実技競技の2本立て。なかでも実車を使った実技試験がハイライト。日ごろ仕事をともにする同僚が見守るなかで、熱いバトルが展開される。トラブルシューティングと12か月点検(トラックだと車検整備にあたる)だが、一番の見所はトラブルシューティング。試験官が意図的に不具合を作り、それを持ち時間内に解決に導くというものだ。
記事をつくるリポーターの広田は、競技中は遠くから見守るばかりで、どんな課題でどんなふうに修理しているのかは、ほとんど読みとれない。そこで、日を改めて、日野の本社に出向いた。問題を作った試験官をつかまえ質問攻めにして、4ページをつくる目論見だ。こうした整備士コンテストの取材を年に10回近く15年間にわたり行っていた。なかには、「(なかば冗談だとは思うが)今回は広田さんが喜びそうなトリッキーな課題を作りました」とばかり鼻をピクピクさせながら説明する試験官(出題者)もいた。
ところが、その日野自動車の出題者は、当初出題した課題の中身を掘り下げて話してくれなかった。その問題の正解とは何か? そもそも、その問題の狙いは何か? 正解率は何パーセントぐらい? といった質問を次々に繰り出すも担当者はモゴモゴと言葉を濁すばかり。挙句に、貝のように口を閉してしまった。これでは取材にならない。そこで、ズバリ「なぜ、教えてくれないんですか?」と思いきって尋ねた。
…どんな返事が返ってきたと思います? 「来年も同じ問題を出すので、言えないんです」
二の句が継げないというのは、このこと。いっけんギャグのようで、じつは本当の話が世の中にはあるなんて。
実力が判断できるバランスのよい問題をつくるのは、そうたやすくはないことは判る。だけど、回答を想定しながら問題作成するのは、知的で刺激的な作業。クリエイティブな能力が問われ、出題者側も真剣勝負が要求され、切磋琢磨できる。そんな実力向上の絶好のタイミングを、この担当者は逃がしていることになる。思わず、その人の顔をじっとのぞき込んでしまった。
ちなみに、このまますごすごと引き下がってはこちらも予定のページが白紙となるので、食い下がり何とか妥協した線で取材にこぎつけた。でも、この一言で熱意が冷めて、差し障りのない熱の冷めた退屈な記事になってしまった。これって近江商人の“三方よし”の真逆で、売り手悪し、買い手悪し、世間悪し、だよね。
出来上がったエンジンをダイナモメーター(台上試験機)でテストすると、手本にしたシボレーのエンジンが65馬力なのに、各パーツをコピーして作り上げたエンジンは45馬力しか出なかった。しかも、すぐオーバーヒートする傾向にあり、その対策にも頭を悩ませた。燃焼室の形状の見直しや吸排気ポートの形状を変えるなどして、さまざまな試行錯誤を強いられている。
トランスミッションのギアの加工にも、苦労している。当初、歯車の形状が不明で、ギアを作り上げる成型にどんな道具を使えばいいのか皆目見当つかなかった。のち歯車の権威となる成瀬政男博士(1898~1979年)が新鋭学者として東北帝大に在籍。若手社員を2名急遽東北帝大に国内留学させ、そこで歯車議論の講義を聞き、持参したシボレーのトランスミッション・ギアを解析。測定装置を備えた機械工業用の顕微鏡を用いて、10ミクロンオーダー(1/100mm)での正確な歯形を測定できた。このデータに基づき、10倍に拡大した波形曲線を描き、成瀬博士が確立した理論式により、歯車の形状を確定し、加工したという。
こうした経験で、当初は海外の旋盤を使い切削などをおこなっていたが、徐々により使いやすい自作旋盤を改善し、旋盤自体も増やすことで、効率と作業の正確度を高めていった。
ブレーキにも課題があった。参考にした流線形のボディデザインを持つクライスラー・デソート車には、当時先進技術だった油圧式4輪ブレーキが採用されていた。当時は、機械式が一般的で、油圧は国内にはなかったので、ブレーキ部品一式とブレーキフルードも輸入品を使うことにした。
トヨタの技術陣はこのとき愚直に課題に向き合った。ただ単にその場しのぎで輸入品を使うのでは思考停止に陥る。今後の展望を考え、ブレーキまわりの研究とブレーキフルードの国産化に取り組んでいる。当時のブレーキフルードは、植物油を主成分とし、適切な粘度に調整する必要から、アルコール系の溶剤が混入されていた。化学試験室での調査研究の結果、植物油のひまし油にジアセトン・アルコールを加え、粘度を調整するのが最適だとわかり、小規模ながらも自社生産を始めている。むかしから、キャッスル印のプライベート・ブランドのブレーキフルードが存在するのは、こうした歴史的背景があったからだ。
自動車以上に“日用品”となっている自転車の興味深い歴史をコンパクトにまとめた文庫本である。
じつはイマドキの自転車は、知る人ぞ知る高級自転車を含めほとんどが台湾製である。安い実用車(シティバイシクル)なら中国製というのが相場だ。
この本は、昭和62年(1987年)に出たものなので、最近のこうした自転車の動向こそ知る由もない。いまはエコロジカルの代表選手ともてはやされている自転車は、当時つまり高度成長経済まっただなかの昭和後期には、“駅前公害”と汚名をきせられていた。どこの駅前にも、自転車置き場からはみ出た自転車がまるでスクラップのように山積みされていた、そんな時代。
大正7年生まれの筆者は、フランス語が達者だったことから戦時中インドネシア戦線(仏印戦線)の宣伝部で通訳を担当。戦後は時事通信社の記者だった。だからか癖のない、こなれた文章で自転車の誕生から面白エピソードまでをつづる。
面白いことに昭和59年に赤坂にあった「自転車文化センター」で、“明治期の自転車特別展”を催した、とある。歴史を振り返る展示物が必要から、全国の博物館や自転車コレクターに問い合わせたところ、存在しないと思われていた明治初期につくられた木製の自転車が20台も集まったという。ミショー型とかオーディナリー型と呼ばれる前輪にクランクペダルを取り付けた前輪駆動タイプ(とくにオーディナリー型は前輪が巨大タイプだ)。もともと輸入製品で日本に入ってきたこれらの旧式の自転車。俄然興味を引くのは残存していたのが、これらをコピーした国産製だけだった。
自転車は、木製からあっという間に鉄製に進化する。じつはその作り手が、堺などで江戸末期まで活躍していた鉄砲鍛冶職人だった。失職鉄砲鍛冶が、サドルを支えるシートポスト、ハンドルとフレームをつなぐハンドルポスト、前輪のキャスター角を確保するため若干円弧状に加工されるフロントフォーク。こうした部品や補修部品の需要もあり、火造り技術(鍛造技術やロウ付け技術)が要求されたのだ。鍬や鋤をつくるいわゆる“野鍛冶”の仕事よりもずっとやりがいもあり、利益も上がった。価格も下がり、金持ちの道楽だった乗り物が当時の若者・商店の店員たちの移動手段に化けていく。こうした知られざる埋もれた自転車の歴史が語られる。
不思議に思うかもしれないが、日本における自転車の歴史は、その後、時間差で現れる自動車の歴史をなぞる。海外から流入→国内生産→海外へ輸出という流れ。「日本の自転車は長いあいだ前輪のスポーク数が32本で後輪が40本と決まっていた」という。欧米の自転車は前後36本だったのに。「これは、日本では荷台に重い荷物を積むことが多かったからだ」。自転車の速度は、人の歩く4倍以上の15~20km/h。一度に運ぶ荷物は100kg近くにも。ということは自転車は、トラックが登場する前までは暮らしを変える革命的な移動手段だったのだ。
ちなみにアメリカでの自転車の歴史はもっとぶっ飛ぶ。自転車がいきなり飛行機へとシフトしたのだから。1903年、ノースカロライナ州のキティフォークでのライト兄弟初飛行。このライト兄弟、もともと10年前から自転車の製造と販売を手掛けていた個人商店(みたいなもの)。それがいきなり、宮沢賢治的発想で、「空を飛んでみたい!」という一心で飛行機を作り人類初めて空を飛んだのだ。だから初めの飛行機は間違いなく、“空とぶエンジン付き自転車”と言えなくもない。
いまアシスト量2倍で、ぐんぐん楽に坂道を上ることができるe-Bikeが世界的に大流行の兆し。一度この本を手に取り自転車の過去を振り返ってみるのも悪くないね。
例の台湾ツールの工具ショップ「アストロプロダクツ」にでかけたところ、シールドタイプのラチェットハンドルが格安で販売されていたので、ついつい買ってしまった。通常価格1210円(これでもバカ安だが)が、なんと半値近い680円。品番がRH462で、差し込み角3/8インチ。あとで説明するが、シールドタイプとは珍しい。
それにしても恐ろしく安い。「安物買いの銭失い」ということわざ(かな?)が頭をかすめたが、好奇心が先に立っての買い物だ。
さっそく使ってみたところ、何ら痛痒を感じさせない仕上がりだ。
これまで、30本以上の3/8インチラチェットハンドルを試しており、データ取りもしている。そこで、この製品がどのランクなのかをじっくり確認すべく、手のひらに載せて観察しまくった。
全長200mmはごくごくスタンダードな長さだ。重量はカタログでは265gとあるが実測すると257gだった(この辺が台湾製のアバウトなところ?)。ヘッドの幅と厚みをノギスで測定してみると、幅が30.5mmでやや厚め、高さ24.2mmはライバルなどに比べ低い部類だった。
使ううえでのフィールを左右するラチェットフィールについては、ややがさついて重い。けっして心地よい感じが伝わらないが、実用上には問題ない。左右に切り換えレバーの操作性も合格点。重くもなく軽くもなくで、ツナギの袖口で不用意に切り替わる心配もない。
写真でも見るように、ヘッドの表側はノッペラボーだ。通常のラチェットハンドルなら、ギアのガイド穴、左右に小さなビス2本、切り換えレバーの軸のガイド穴などがあり、そこから、ほこりが侵入し、過酷な場所で使うシチュエーションでは、トラブルの頻度が高まる恐れがある。その点、シールドタイプのこの製品は、このノッペラボーのおかげで、ほこりの入る箇所がほぼほぼないわけだ。
ヘッドの裏側を眺めると、プレートはスナップリングで留められている。ヘッドの内部を観察するには、このφ25mmほどのスナップリングを取り外せば、簡単に内部が顔を見せるハズ。そこで精密ドライバーのマイナスで、こじるうちに簡単にスナップリングが外れてくれた。
このとき、ビョ~ンとばかりに空に飛ぶので、あとで探すのが大ごとになるのであらかじめ、まわりを片づけておいた方が無難だ。(あるいは器用な人はウエスか何かをかぶせながら作業する)。ギアは、36ギア、つまり1ギアあたりちょうど10度だから振り角度10度という計算。これはイマドキのラチェットハンドルでは少ない方だ。
ヘッド内部を見て、失礼な物言いだが、「(価格のわりには)意外とまともにつくっているじゃないか!」と小さな驚きの声をあげた。36のギアを受けている切り換え部(ここに荷重が全部かかる)の当たり歯数が3個だった。ラチェットハンドルの不具合になるポイントは、このギア当たり部にある。いくら「CAUTION!「注意」」とユーザーに呼びかけても、無理やりの力を加えたり、なかにはパイプなどの延長棒でかたいボルトを緩めようとするユーザーが後を絶たない。使い方が間違っているとはいえ、まわりまわって工具メーカーの信用を汚すことにもつながるからだ。
だから、信頼耐久性を維持するために多少なりともオーバークオリティを覚悟でつくり込む必要がある。この製品の中身を見ると、そんな楽屋裏の光景が連想される。結論は、ち密さが要求されるラチェットハンドルづくりにおいても台湾製は、侮れない存在だと再認識した。
ただでさえ原油価格が上昇気味だったところ、いきなりのウクライナをめぐる戦争は、クルマ社会にも大きな影を落としつつある。当面の課題は、ガソリンの価格が今後上昇する雲行きだ。
欧州連合は2035年にガソリン車の新車販売を禁止する予定だし、アメリカもバイデン大統領が2030年に新車の半分は、「排ガスゼロ車」つまりEVもしくは燃料電池車(FCV)にする大統領令にサインした。これを受けて、ホンダは2040年以降のニューモデルをすべてEVもしくはFCVにすると宣言。栃木の真岡にあるエンジン工場を閉鎖するなど大改革が進行中。トヨタも2030年にはEVを全体の35%にあたる年間350万台生産すると宣言。
となると、ガソリン価格の高騰でいっきに“EV時代”に突入か?
ところが、自動車をめぐる革命はそう単純ではない。化石燃料からEVへのOS(オペレーティングシステム)の変換は、スマホやPCほどには簡単ではない。
半導体不足がいわれてからモノづくりがあちこちで滞っているのと、ウクライナでの戦争でニッケルとアルミニウムの価格が最高値を更新。さらには最大生産国のロシアからの輸出が途絶え始めて、クルマを作る原材料、とりわけEVのキモとなるリチウムの供給が需要に追い付かなくなり始めているからだ。こうなると、EV普及のカギを握る低価格EVの生産に強いブレーキがかかることになる。つまり、21世紀最大のモビリティ革命の主人公EVの前に暗雲が立ち込め始めたといえる。
トヨタは、世の中がどう変わろうが複眼の思想(というかモノづくり)で対応するつもり。じつは、ホンダもエンジン生産を一切やめるつもりはないと思われる。バイクのパワーユニットの大半は今後とも化石燃料を使ったエンジンだし、F1エンジンもレッドブル・レーシングやスクーデリア・アルファタウリなどにとりあえず2025年までは供給を継続することになっている。
政治・経済・国際環境など複雑なマトリックスのなかで、今後のモビリティの盛衰が変化していくようだ。
喜一郎たちが最初に取り組んだのが、このシボレーのエンジンのシリンダーヘッドとシリンダーブロックの鋳造だ。
たとえばシリンダーブロックでウォータージャケットを形成するために中子(なかご)を設ける。入り組んだ3次元構造で、作り込むことに大変な苦労をしている。ちなみに、この中子は正確には、乾燥油を使った油中子。あらかじめアメリカの鋳物専門誌で、油中子の知識を得てはいたが実物を見たことがなかった。砂に混ぜる乾性油は、紙を張り付けた提灯や唐傘に塗る防水用の桐油(きりあぶら)を用いることにし、岐阜の唐傘屋から入手したという。これを知多半島内海海岸の浜砂と混ぜて油砂を作った。この油砂を木型に入れ造形し、陶器用の焼成炉で焼いた。桐油の混合率や焼成の温度・時間を一つ一つ変えながら、油中子製作の要領を会得していった。
当初は鋳造後シリンダーの内面にボーリング加工を施すと、巣(鋳造時にできる空白部)が現れることが多く、10個作ると、8個もしくは9個は失敗作(オシャカ)だったという。こうした失敗を踏まえ、内面をさらに削ると巣がほとんどできていないことに力を得て、削り代を多く見越して鋳造をおこなうことで、ほとんど無駄が出ない鋳造づくりができたという。
シリンダーブロック、シリンダーヘッド、ピストンなどは、コピーした自社製品でまかなえた。でもクランクシャフト、カムシャフト、バルブ、スパークプラグ、電装品などは国内での調達がままならず、シボレーの輸入部品を採用している。
ところが問題はそれだけに収まらなかった。
どちらかというと≪クルマ礼賛≫を信条とするブログ記事からいえば、こうしたクルマ否定論の本を取り上げるのはどうかと思う読者もいるだろう。
クルマが大好きな読者のなかには、思わず耳をふさぎたくなる箇所が少なくない。
でも、世の中は多様な価値を認めてこそ健全だ。そこで、薄目を開けながらこの本を読んでみた。
約300ページにわたる単行本の大半は、“クルマという機械”の悪口が、これでもかこれでもかという具合につづられる。
曰く、クルマは深刻な環境問題を引き起こしている! 曰く、クルマは金食い虫だ。曰く、クルマに恋すると身体を動かさないので、不健康に結びつく。曰く、クルマ社会はユーザーへのコストだけではなく社会的なコストがかかりすぎている。曰く、クルマがなければ交通事故の大半はなくなり、道路がいまほどクルマに占領されることが少なくなりより暮らしやすい世の中になる。
その主張は逐一もっともである。筆者アルヴァ―ドさん自身(カルフォルニア生まれでミシガン州に住む市民活動家でもある女性)が1992年までクルマの恩恵にあずかってきただけに、単なるクルマ嫌いのヒステリックな論調ではなく、事実を淡々と積み上げていく。それだけにページをめくるたびに、胸にぐさりと突き刺さり、憂鬱になる。
ページを繰るたびに「それでも、クルマは人間に移動の自由を与えてきているし、いまもその役割が小さくない。それに交通事故死も安全装備の進化で劇的に少なくなっている」そんなふうに心のなかで反論するも、筆者の正論にいつしか敗北している自分に気付く! そして最後に、筆者は、「クルマの運転と喫煙は驚くほど似ているのよ! 悪いとわかっていても、断念するように言われても、やめられないものなのだ。それにクルマの支配から解放されると素晴らしい世界が待っている」と。さらに、歩くことの素晴らしさや自転車を使っての移動がクルマ以上に気持ちのいい時間をもたらすことを説きまくる。それでも、雨の日、嵐の日でも車は快適に移動できるし、公共交通機関は当てにできないのでは! と反論したくもなるが・・・・。
この本は、いま置かれているクルマとの関係を冷徹に見直し、できればクルマと離婚(原題がDivorce your car!)を強力に勧める。ある日突然クルマをやめるのは麻薬をやめるに等しく衝撃がでかすぎる! 「カーフリー」つまりクルマと完全に離婚するのでなければ「カーライト」。つまり愛車の仕様をできるだけ減らし、徒歩や自転車での移動を心掛ける。そのことで世の中はずいぶん良い方向にいくに違いない・・・・そう訴える。
なんとはなくクルマと付き合ってきたのだが、この本を読むことで、逆にクルマの魅力を再認識でき、クルマとの距離感が鮮明になってきた。(2013年11月発行)
「貫通ドライバーは、ドライバーの常道から外れる! ドライバーは叩くものではなく、回すものだ。叩くのならチゼル(鏨)を使えばいい!」かつて、欧米の整備士や工具屋さんから、そんな忠告を聞いた覚えがある。貫通ドライバーは、わが日本の工具業界だけのものだ、そんなニュアンスである。
ところが、貫通ドライバーは、日本ではごくごく多数派というか、当たり前のように使われている。使うとわかるが、固く締まった、あるいは錆びついたビスを外す際ハンマーでショックを与えて緩める……そんな時に貫通ドライバーはとても便利なのだ。
貫通ドライバーは、軸がグリップエンドまで文字通り貫通しているので、非貫通とくらべ確実に重くはなる。
そのことを承知していても、やはり貫通ドライバーを選択するユーザーが多いようだ。
先日アストロプロダクトにおもむいたところ、少し毛色の変わった「貫通ドライバー」を発見した。
それが写真のドライバー(プラスの2番)だ。グリップ全体は透明の硬いアクリル(と思われる)樹脂なのだが、一部少しやわらか味のある異なる樹脂になっていて、しかもその一部が小山のように、まるで「つば」のようなでっぱりを付けている。手で握ったときに親指の腹がぴたりとそこにあたりグイっと力が伝わる工夫をしているのだ。しかも手前には小さなイボイボが付いていて、より滑ることなくチカラが伝わるデザインとしている。グリップの外形も、かなり太くしてトルクが少しでも多くかかるように考えている。
グリップの一番太いところをノギスで測定してみたところ、33mm。通常というかこれまでテストした貫通ドライバーのグリップが30~32mmの範囲内なので、ひと回り太いといえる。ついでに全長は210㎜とこちらはごく平均的長さ。重量は148gでライバルたちとくらべるとやや重いカテゴリーとなる。軸の根元には、ボルスターを取り付けているため、重量的には重くなりがちだ。座金の径は、19mmで、こちらはごく平均的な大きさだ。