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2022年6 月15日 (水曜日)

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どこまで進んでいるの? 日の丸ハイテクの全固体電池!

全固体蓄電池

  「地球上の乗り物をすべてバッテリーEVにすることで、環境問題のゲームチェンジを図る!」 
  これって、もともとディーゼルエンジン車のフェイク試験でミソをつけた欧州車メーカーが、覇権を握りつつあった日本車潰しとグローバルでの主導権奪取を狙った政治的動き。カーボン・ゼロを正義の御旗にした、いわば“横紙破り”の挙だと見えなくもない。そもそも電気をつくるのに化石燃料の石油を使っていたら、だれが見てもインチキだし・・・・。
  これまで自動車に縁がなかった企業も、この戦に参加している構造なので、混乱をきたしている。のちの歴史家になって読み解くと、SDGs(持続可能な開発目標)をめぐる“非情の21世紀の日欧自動車戦争”。そんな妄想に駆り立てられる。
  ともあれオール電化にしろ、電動アシスト(HV)にしろ、高性能な蓄電池が今後の切り札になることは間違いない。いまあるリチウムイオン電池では航続距離、充電時間、それにコストなど多くの課題が山積して、役不足気味!
  だからして待ち望まれているのが、次世代電池の「全固体電池」。BEVの切り札。これこそがゲームチェンジャーにもなりうるキラー技術!
  この全固体電池は、2011年東工大の菅野了次教授(写真)が、全固体電池の基礎技術である“超イオン伝導体”を発見したところから始まった。エネルギー密度と充電時間の短縮が魅力。でも電解液が液体ではなく、“固体”というメッセージが強すぎ、詳細があまり語られていないようだ。
  電解液が固体で、そのなかをリチウムイオン電子が素早い速度で動く。従来あったセパレーターもなくなる。つまり従来のセルで構成されるのではなく、正極、固体電解質、負極、この3つを繰り返し積み重ねて電池を構成できる。セパレーターがないぶん、コンパクトになり、しかもエネルギー密度が従来の2.5倍、充電時間は1/3の素早さというのが圧倒的優位性。固体なので、高温で電解液は蒸発しづらく、低温で凍らない。そのため、高温、低温での使用もできる。
  現在、この日の丸ハイテクの固体電池は、産学合わせてのプロジェクトチームにより実用化に向けてラストスパートがかかっている段階。コストダウンや安全性の確認などの課題に注力されているようだ。
  日本の産業の屋台骨に成長する可能性大に見える。ところが、全固体電池をめぐる特許数ではじつは中国の方が2倍近く多いというのが不安要素。EV車の走行中での非接触充電システムの世界に先駆けた実証実験が、今月から山梨で始まるという。でも、のんびり構えていて気づけば中国が先んじていた! ということになりかねない。今後の動向に注視すべしだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第14回)

A型エンジン

  全面的に販売をまかされた神谷正太郎は、「販売網の充実なくして量産体制の完成はあり得ず」とした。そこで神谷みずから、地方の資産家を訪ね歩き販売店になるように説得した。
  熱意と誠実さに動かされ、東京を皮切りに栃木、静岡、岐阜、群馬などのディーラーが誕生し、昭和11年には岐阜ではフォードを抜いてトヨダの販売台数が凌駕した。群馬では登録台数の半数以上をトヨダが占めるという快挙を演じている。
  昭和13年の秋には、神谷正太郎は、各府県に一軒の全国ネットを完成させ、さらに翌14年には遠く樺太トヨダ、釜山トヨダまで設立している。
  G1型トラックは、乗用車のAA型より1年前倒しの1935年(昭和10年)12月に発売した。車名は「トヨダG1型」。
  AA型乗用車のプレス金型の設計と製作に取り掛かっていた昭和9年年末、商工省と陸軍省から国策上の理由でトラック・バスを製造してほしいとのオファーがあったのだ。喜一郎は当初は、政府の補助金を頼ると自助努力の妨げとなり、乗用車製造に悪影響を及ぼすと考えていた。だが、そのころフォードが、手狭になった横浜のノックダウン工場をより広い工場を作り上げ、日本市場ばかりか中国市場へも大きく手を広げる動きを見せており、これを阻止する陸軍省および商工省との対立も露骨になっていた。こうした情勢を見た喜一郎は、「まずトラックからやろうではないか」と決意した。
  そうと決まったら、開発はすさまじく早かった。
  すでにこのへんはお話はしているが、おさらいの意味でもう一度お伝えすると、1935年3月、34年型のフォード・トラックを購入し、これを参考にシャシー設計をおこなっている。すでに33年型シボレーのエンジンをモデルにした乗用車用の「エンジンA」(図版)の試作が完成していたので、これをトラックに流用することにした。フレームは丈夫なフォード式、フロントアクスルはエンジンと搭載との関係でシボレー式とし、リアアクスルは全浮動式のフォード式と、当時としてはそれぞれの長所を生かした設計だったとされる。
  とにかく開発期間半年ということもあり、間に合わない部品は、シボレーとフォードの補修部品を活用することにした。
  G1型トラックの試作完成したのが8月25日。翌9月に6日間の日程でおこなわれたのが前回にお話した走行テストである。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:サトウマコト著『横浜製フォード、大阪製アメリカ車』(230クラブ刊)


横浜製フォード、大阪製アメ車

  日本フォードの副支配人だった稲田久作、日本GMのちトヨタで販売の神様と言われた神谷正太郎、安全自動車の創業者でクライスラーの販売を手がけた中谷保、それにヤナセの創業者・梁瀬長太郎。戦前日本の自動車産業勃興期を舞台に活躍した、この4人の男を軸にした自動車物語である。A5版の判型で、2段組み256ページ。
  日本人(おもに東京市民)が、自動車という乗り物を身近に感じ始めたのは、フォードのトラックシャシーを使って架装された11人乗りの路線バス、通称「円太郎バス」である。関東大震災(1923年)で壊滅した市電に変わり、市民の足となり大人気を誇った。
  極東の国でクルマの需要が見込まれると見たアメリカのフォード、ゼネラルモータースのGM、クライスラーのビッグ3は、昭和初期に横浜と大阪にノックダウン工場をつくり、あっという間に日本の道路をアメ車が走り回る状況を作り上げた。国家プロジェクトで自前の自動車生産を育てたいと目論む軍部には、こうした状況は歯がゆいばかり。その歯がゆさは複雑だ。当時の日本製トラックは、戦地で壊れまくり役に立たないばかりか足手まとい。その点アメリカのトラックは丈夫で壊れず信頼性が高かったからだ。
  この本は、こうしたすでによく知られる史実の隙間を、知られざるエピソード、それに豊富な図版や図表で埋めてくれる。たとえば、梁瀬長太郎は、欧州からアメリカに向かい洋上で大震災を知り、NYに着くや否やGMに2000台ものビュイックとシボレーを発注、これが日本に到着後またたく間に完売し、莫大な利益を得てヤナセのもとを作り上げたという。
  あるいは、円太郎バスの運転手を当時の市電運転手のなかから1000名希望者を募り、世田谷にある東京農大のキャンパスで陸軍自動車隊の教官が先生役で速成訓練を展開。いっぽうバスボディの架装は、馬車を製作していた工房など八方手を尽くして分散生産させている。それもあって、バスはいわゆる室内高が低く立ち乗りができず、対面する座席方式で、互いの膝がぶつかるほど狭かった。それでも、円太郎バスは当時の東京市民にはとても人気があった。市電の復旧が進んでバス路線の廃止が一度きまったが、廃止撤廃の声が多く、継続営業となり、バス自体も屋根をアーチ型に改良し、多少は居心地がよくなったとされる。それが、いまにつながる都営バスとなっている。すでに100年以上を超える都市の路線バスとなった。
  著者のサトウマコトさんは、鶴見生まれの横浜っ子。近所に稲田久作の旧家があり、その縁で大量の資料を発見し、この著を世に送り出せたという。小田急百貨店に50歳まで勤め、そこから乗り物好きが高じて、横浜の鉄道や歴史ものを出版する出版社を経営するかたわら、みずからも執筆の日々だという。
  文章はわかりやすい表現で好感をもてる。タイトルも悪くないし、発見も多い本である。
  苦言を呈すれば、みずからが編集者となっているせいか、はたまた本屋に並ぶ前に第三者の目が充分でないせいか、せっかくの力作も記事のダブりや誤植が目立つ(人のこと言えませんが)。全体としてまとまりが弱い、なんだか隔靴掻痒(かつかそうよう)なのである。(2000年12月発刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

知られざるネジメーカーの素顔! 静岡の“興津螺旋(おきつらせん)”(短期連載 第3回)

ねじ工場内部

  創業者で初代社長の柿澤金男さんは、昭和46年に亡くなっている。バトンタッチした2代目社長(現社長の父親:現在81歳)には「次世代はステンレスねじを挑戦したらどうか」と生前に言い残したという。
  高度成長経済が始まり、ステンレスねじの市場が今後増えることを見越してのことだ。
  創業者のアドバイス通り、2代目はステンレスねじの研究に打ち込み、商品の種類を増やしていった。アルミ建材、家電、キッチン、バス、エアコンなど生活の身近なところにある装置や器具類で使われているステンレスねじを重点的に生産。興津螺旋をねじメーカーの上位に押し上げていったという。
  じつはステンレスといってもいくつもの種類がある。興津螺旋が使うのはSUS XM7である。SUSとはJIS(日本工業規格)でのステンレス鋼を意味し、英語のSTAINLESS USED STEELの略である。
  このSUS XM7は従来からあるSUS304の冷間加工性を高めたもので、18Cr-9Ni-3.5Cuつまりクロム18%、ニッケル9%、銅3.5%で、残りFe(鉄)。ねじ類に使われるポピュラーな素材。1977年にJISの仲間入りをしている。ちなみに、食器などに使われるポピュラーな18-8ステンレスは、クロム18%、ニッケル8%、残りFeである。このXM7は、銅が3.5%混じっているところがミソで、冷間時の圧造性を向上させているという。
  この工場では、ネジ径M3からM8(ネジの直径サイズで単位はmm)、首下が5mmから長いものだと150mmのネジをもっぱら生産しているので、線形は素材の違いがある。たとえばネジ頭部を成形する圧造時の滑りをよくするためボンデ処理(リン酸塩皮膜処理)を施すとか、いろいろな種類の線材を素材メーカー(正確には伸線メーカーだが)から購入している。その種類はなんと約40種類もあるという。


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