みなさん!知ってますCAR?

2022年8 月15日 (月曜日)

TOP NEWS

中国製のピュアEVは、日本で根をおろせるか!?

BYD

  「いつかこの日がやってくるのでは?」
  そんな疑心暗鬼と危機感が日本の自動車業界に滞留していたここ数年。ついに黒船ならぬ、≪赤いEV≫が日本に本格参入を始めた。
  世界第2位のBYDが、来年1月から五月雨式に日本市場投入予定の計3車種をお披露目したのだ。
  来年1月発売予定なのは、5人乗りEV「ATTO3(アットスリー)」(写真)。今年初めすでに中国でも販売していて好評だというSUV。WLTCの航続距離で485km。時速100kmまでの到達時間が7.3秒とかなりなものだ。価格の発表は11月ごろとなるようだが、中国では300万円台で販売されており、補助金が付けば200万円台で手に入る可能性あり。
  来年半ばには、コンパクトカーのEV「DOLPHIN(ドルフィン)」をさらに低価格で販売するという。こちらは電池容量の違いでスタンダードとハイグレードの2タイプがあり、モーターも70KWと150KWの約2倍以上の開きがある。航続距離はそれぞれ386kmと471km。
  3台目は、セダンのEV「SEAL(シール)」で、その意味はアザラシ。ドルフィンともに、インテリアが“海洋美学”をモチーフにしているというから、かなりユニークだ。航続距離は一番長く555km。
  いずれもトヨタのbZ4Xや日産の軽EV「さくら」の間隙を縫う、一番市場規模がでかい真ん中のゾーン。
  じつは、中国のBYDというメーカーは、香港の隣にある中国の深セン市で1995年に創業し始めた携帯電池のメーカー。モトローラなどの携帯大手にリチウムイオン電池を供給するなどで急成長を遂げた。その後国有自動車メーカーを買収し、中国政府のEV推進策の追い風を受けさらに企業規模を広げ、いまではテスラ、トヨタに次ぎ時価総額は世界第3位。
  BYD製の路線バスやフォークリフトなどは、すでに7年ほど前から日本市場に食い込み、今回乗用車の世界に本格参入するというわけだ。
  ところが、よく知られるように日本の自動車市場は、世界の自動車メ-カーが「タフ・マーケット(手強い市場)」と異口同音に評価する。アメリカ車はもとより欧州車すら全体の10%を超えることすらできない。韓国車など、最近敗者復活を狙ってはいるが、10年前に日本市場から退場した苦い記憶がある。
  そこで、BYDは元三菱自動車出身でVWジャパンの社長だった人物を中心に「BYDオートジャパン」という法人を設け、販売とアフターサービスの充実を図るという。2025年までに全国に100社以上の店舗を設けるという(これはアウディの販売店数とほぼ同じ。ちなみにトヨタ系の販売店は約5000店舗もある!)。しかも4年10万キロの車両保証、バッテリーの保証は8年15万キロとして日本市場での信頼性を勝ち取ろうとする。
  それでも、自動車という商品はいかにもブランド力が大きく左右する。香港やウイグルでの人権問題を抱える中国。食品問題でも中国産の食品を拒否する趣向が日本の庶民の間に消えてはいない。日本のユーザーに、チャイナブランドのEVがどこまで浸透できるのか・・・・前途多難、あるいは逆となるか? 動向が注目される。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第18回)

SA型

  昭和20年8月15日、日中戦争から太平洋戦争、のべ15年にわたる長かった戦争がようやく終息を迎えた。
  日本は、ポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏をしたのだ。敗戦国日本は、マッカーサーを頂点とするGHQのもとに国を運営する隷属国となり、自動車の生産ばかりでなく工業製品の政策は、その支配下に置かれた。物資不足という現実も重くのしかかった。
  だから、日本の自動車メーカーは唯一許可されていたトラックとバスをわずかばかり生産し、文字通り汲汲としていたのである。トヨタも例外ではなかったが、喜一郎は、遠くない将来再び乗用車生産の日がやってくる、そう見通しを立て、いち早く小型乗用車の開発に乗り出していた。
  終戦後わずか半月の時点で、大学時代の友人の隈部一雄(1897~1971年)をいまでいうプロジェクト・リーダーに立て、ハイペースでの開発に着手している。これが「トヨペットSA型乗用車」(写真)である。
  2ドア・ファーストバックの意外と垢抜けしたスタイル。FR方式の駆動、日本初の鋼板バックボーンフレームを採用。フロントウイッシュボーン、リアがスイングアクスルの4輪独立懸架。
  ブレーキは前後ともドラム式だが、油圧制御。S型と呼ばれる4気筒エンジンは、水冷サイドバルブ式995㏄ 27PS。AA型がOHVだったので、サイドバルブと聞くとずいぶん後退したメカニズムの印象だが、構造がシンプルで部品点数が少なくて済み、しかも当時は道路事情が悪く、ほこりがエンジン内に侵入し、エンジンのシリンダー内のライナー交換はさほど珍しくなかった。そうした作業性でもSVは断然有利だった。
  たしかに車両重量940㎏に対して出力が低く最高速も時速87キロとダットサンなどに比べ劣った。3速マニュアル・トランスミッション。クランクシャフトを当時としては3つのポイントで支える耐久性の高いメカニズムといえる。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:藤原辰史著『トラクターの世界史人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中央公論新社)

トラクターの歴史

  トレーラーとトラクターはよく取り違えられるのだが、トラクターはあくまでも牽引する側の車両。トレーラーは、牽引される、つまり非牽引車(みずから駆動するメカを持たない!)のことだ。
  この本は、おもに農業用のトラクターを軸にした世界史的視野のユニークな新書だ。
  島根で育ち京大で農業系の学問を納めただけに、トラクターがどれほど人間の食に大きくかかわったのかをソーカツ的に展開。
  いわれてみればなるほどなのだが、農業用のトラクターは、後部にいろいろな目的のアタッチメント(付属物)を取り付け、地球の表面を耕す。地球から見ると、ほんのわずかな薄皮をひっかくに過ぎないのだが、人間から見るとそれは自然から食料を継続的に得るための涙ぐましい、文字通り生死を分ける営みなのだ。
  そもそも種を蒔く前に、土を掘り起こす。耕すことで収穫物の質と量が劇的に向上することを、農業を営む人たちは洋の東西を問わず、経験的に知っていた。土を耕す行為は土壌の下部にある栄養素を上部にもたらし、土壌内に空気を取り込み保水能力と栄養貯蓄能力を高め、さまざまな微生物の働きをよくし、活性化させる。このことの理屈は近代の科学的考察で証明された。カルチャー(文化)が土を耕すことに由来していることから分かるように、このことははるけき昔から農作業の中心に据えられてきた。
  トラクターが農業世界にもたらしたのは、言うまでもなく機械化だ。となると、これまでの鋤や鍬の人力による手作業から、農民を開放させるに十分だったか? 逆に機械化により借金を背負い込み苦境に立った農民もいた歴史の皮肉。
  トラクターのルーツは、イギリスとアメリカにある。当初は、蒸気エンジンを駆動力とする超大型のトラクターだった。自動車の歴史同様、やがて内燃エンジンを使ったトラクターが登場し、20世紀のはじめにアメリカのインターナショナル・ハーベスター社やマコーミック社などが台頭。T型フォードでアメリカの道路を埋め尽くしたフォード車は、その勢いに乗って2017年(T型デビューから9年目)にフォードソンという名のトラクターを登場させている。名前から想像して、乗用車フォード号の息子という位置づけだったようだ。
  ところが、このフォードソンには大きな欠陥があった。PTO(パワーテイクオフ)といういろいろな作業に対応できる仕掛けがなかった。それに乗り心地がひどすぎた。乗り心地については、T型を試乗した経験から保証できるほど、振動がひどい。まるでいまにも死にそうな老人役の志村けんに背後から羽交い絞めに合うほどの振動が全身に及ぶ。
  この本の面白いところは、トラクター愛に満ち溢れている点だ。エルビス・プレスリー(1935~1977年)が数台のトラクターを保有して時々、運転して楽しんでいたなど、小説に出てくるトラクターを逐一紹介してその時代でのトラクターへの思いを伝える。たしかに、機能に徹した道具は、下手な美術品以上の美しさを発揮するものだ。(2017年9月発刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

知られざるネジメーカーの素顔! 静岡の“興津螺旋(おきつらせん)”(最終回)

食い付きゲージ

  この工場では、日に目が回るほどの大量のネジをつくっている。
  となると、当然ながらオシャカというか不良品も少なからず出るハズ。長年記事をつくっていても自慢じゃないが、数ページに1個や2個は間違いを犯すものだ。校閲という人が校正作業をおこなうと、赤字で真っ赤になることも珍しくない。それからいえば、一日100個や150個は、失敗するネジが生まれてもおかしくはない。流通コインでも、印字がずれたり、刻字洩れということもある。となればネジでも、異品種の混入、ネジ山がずれる、ネジ山付け忘れ、頭部の変形といったこともあるのでは? 
  といったことを説明すると、逆の意味で驚かれた。「うちの工場は、100万個に3個以下の不良品です。じっさいは一日200万~300万個生産しているのですが、多くて3個、ゼロという日もあるんですよ。というのは、通常のネジメーカーは最終的に選別機にかけて、不良品を文字通り選別するのですが、当社は工程ごとに自動不具合選別センサーで常に目を光らせている。社内では工程内品質確認と呼んでいるのですが、こうした“つくり込み思想”は自動車大手サプライヤーレベルでは、高く評価してもらっています」
  たとえばネジ径が4㎜、つまりM4の頭がプラスネジ。これはプラス2番のドライバーを使う。JISで、ある程度緻密な各部の寸法が指定される。早い話、しょせんそれはある範囲内に入っていれば許される話。許容範囲があるということだ。だから、ボルトやネジはしょせんアバウトだという印象を持つ。ユーザーの満足度を100%充たせているとはいいがたい。
  「そこでうちではドライバーの老舗・大阪のベッセルさんのA-14という両頭ビットのプラス2番をぴたり合わせているんですよ。JIS規格には、“ネジ用十字穴”の項目に“食いつきゲージ”というのがあります(写真)。このゲージの先端にネジの頭を押し込み、その状態で垂直にして落下しないかをみる。ゲージに対してガタがあったり、ゲージの底にぴたりと付かないネジは当然、落下する。ステンレスねじの場合、磁力を持たないので、よほどピタリと各部の面が合わないと下に落ちてしまう。でもうちのネジは落ちないのです」
  論より証拠とばかり、試してみたところ“食いつきゲージ”の先端部の溝にぴたりはまり、ネジが落下することはなかった。このことは、たとえば組み立てラインでねじを取り付ける際、大きな力になる。うっかりしてねじが床に落ちたら作業時間が無駄になり、余計なトラブルを引き起こすことにつながるからだ。ふつうのドライバーで、バイクやクルマを修理する際にも同じことがいえる。エンジンルーム内にネジを落とすと、探すのに一苦労するからだ。(ちなみに・・・・後日、新潟の某ドライバーメーカーに問い合わせたところ当然ながら食いつきゲージを日常的に使っていることはむろんだが、最近の輸入ネジのなかには規格を満たさないネジが増えてきていて、ネジが舐めるトラブルが起きて困っているということだった。)
  ネジの世界で、これほど注力をそそぎ作り込んでいる。ここにすでに取り上げた「ねじガール」の存在価値や仕事への情熱がつながっているようだ。…‥当方もこれまでの気の抜けた記事作りを反省し、ネジを巻いて仕事に取り組む気分になって、工場を後にした。

2022年8 月 1日 (月曜日)

TOP NEWS

16代目の新型クラウンはマルチ車種で勝負!?

新型クラウン

  「いつかはクラウン」とかつては憧れのクルマだったトヨタのクラウン。半世紀以上も前の1955年(昭和30年)に登場して以来、現行ですでに15代目。長いあいだ50代から60代の旦那グルマの代表でもあったクラウン。だが、セダンの凋落でいまや年間2万台の低空飛行。
  高級車レクサスシリーズもいわゆる富裕層のあいだで定着したことだし、フェイドアウトも頭に浮かぶ。
  ところがトヨタはセドリックをあっさり消し去った日産とは違った。クラウンは、カローラとともにトヨタにとっては看板銘柄以上に強い思いが込められたDNAと考えているらしい。それだけに、16代目の新型クラウンは、伝統のクラウンにどれだけの進化と革新を、曲がり角に立っている自動車の大変革時代にどんなカードを切ってくるのかが、注目だった。果たせるかな、それは・・・・想像を超えた大胆な大変身だった。
  永年頑固に守り続けてきた駆動方式であるFRをかなぐり捨て4WDにするだけではない。簡単に乗り降りできるSUVのクロスオーバー、スポーツSUVのスポーツ、正統派でありショーファーニーズにも対応できるセダン、それにキャンピングカーなどになりそうなエステート、この4タイプを登場させたのだ。かつてクラウンと言えばセダンの代名詞だったが、セダンは一角に存在するにすぎなくなった。“想像力のフラッグシップ!”とばかりコンセプト自体を変えてきたのだ。ちなみにエンジンは2.4と2.5リッター直4気筒でデュアルブースト・ハイブリッドと進化させている。
  半導体不足の影響などでクロスオーバーを今年の秋に販売し、その後1年半にわたりあとの3つのタイプを発売していく予定だという。一度にデビューさせるのではなく、1タイプごとメディアの話題を狙う戦略? 4タイプということは、多様性に対応し、従来の旦那クルマのイメージをかなぐり捨て、勇み足の評価かもしれないが、これってアバンギャルド(前衛)的! 30代40代の比較的若い層と女性ドライバーにも照準を合わせた? けだし、モノづくり側から見ると、形態の数を増やすのは、大振りの三振を防ぐ安全策とも取れなくもない。
  今回のクラウン4タイプ登場させた背景には、もう二つの理由があるとみた。
  2016年からのトヨタ社内カンパニー制の採用で開発速度が向上したのがひとつ、もう一つは新しいモノづくりの基本TNGA(トヨタ・ニューグローバル・アーキテクチャ)の熟成があったといわれる。開発陣は伝統と革新のはざまで苦悶して新型クラウンを生み出したようだ。
  新型クラウンの話題はクルマそのものだけではない。これが4タイプ登場の二つ目。市場をグローバルに拡大したのだ。
  クラウンと言えば、スカイラインや軽自動車同様ながきにわたり国内限定の商品だった。今回の16代目の新型はなんと世界40か国に販売するという。欧州と北米などでベンツ、BMWと戦うクルマに仕上げたということだ。年間販売台数を20万台とふんでいる。世界に足場を備えたトヨタの拡大路線がすかし見える。
  行き過ぎたデザインで当時のセドグロに抜かれた4代目クラウンの苦い記憶がある。だが、日本市場では、トヨタの圧倒的な販売力に物言わせ確実な受注が予想される。海外で新型クラウンのアバンギャルド性にどんな評価が下されるかが早く知りたいものだ。日本での価格は量産効果を背景に400万円台から600万円台と意外とリーズナブル。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第17回)

拳母工場

  刈谷工場では、大量生産を目指すには狭すぎる。これを見越し、数年前に愛知県拳母に191万㎡(58万坪)、いまでいうと東京ドーム約40個分の広大な土地を入手していた。ここに乗用車月産500台、トラック月産1500台の工場を目標に建設がスタートした。
  鋳造、鍛造、メッキ、ボディ、プレス、機械加工、組み立てなどの各工場と、事務所、研究施設、寮、社宅、食堂、グランドなどの厚生施設を完備した、日本最初の自動車一貫製造工場である。
  1937年9月に着工し、翌年9月に完成、11月3日に竣工式が執り行われた。豊田英二の指揮で、刈谷工場からの機械移設を1か月で完了し、従業員数4848名だ。
  なかでも、組み立てラインは、全長が100mのチェーンコンベア・ライン。これが2ラインあり、流れ作業による大量生産方式だ。乗用車組み立て工程は、2階にあるボディ艤装(車室内の組み付け)ラインと1階のシャシー組み付けラインで構成されている。2階で艤装されたAA型のボディをホイスト(クレーン)で吊り下げ、エンジン、足回り、トランスミッションなどが組み付けられた1階のシャシーと合体させる。
  と言葉でいうと、すんなりいったようだが、実際には当時はボディの寸法精度がお粗末なので、ボルトの締め付け作業はスパナなどの手工具でおこない、時間とスキルが要求されたという。組み付け完了後も、調整や修理をほどこすケースが多く、ラインとは別の作業場を設け、こうした手直しや調整、塗装の補修がおこなわれた。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:竹内一正著『未来を変える天才経営者イーロン・マスクの野望』(朝日新聞出版)

イーロンマスク

日本人が取材して書いたイーロン・マスクの伝記だ。
  直近ではツイッター社買収で物議をかもしている。実業家イーロン・マスクの名を知ったのは、かれこれ15年ほど前になる。電気自動車が海のものとも山のものともわからない頃。当時は「へ~っ!」という感じで、いきなりカリフォルニアで、EVオンリーの自動車メーカーを買収し挑戦するニュースが耳に入ってきた。イーロン・マスクは、南アフリカで生まれ、カナダにわたり、そしてアメリカにたどり着いた移民である。現在51歳。
  電気系のエンジニアだった父親とモデルで栄養士の母のもと、恵まれた家庭で育った男は、ペンシルベニア大学で経営学と物理学をまなび、24歳でソフト制作会社を設立。これを皮切りにさながら“わらしべ長者”のように、企業を売却、その原資で新企業を購入、さらにそれを育て高額での売却を繰り返し、雪だるま式に莫大な資産を手に入れる。
  凡人は、そこがゴールとばかりリタイヤして優雅で退屈な暮らしを手に入れるものだ。
  だが、イーロン・マスクの人生観はまったく異なる。ここからが本番の人生とばかり、テスラ・モータースをグローバルな電気自動車メーカーへと押し上げる。当初は、自動車のことがほとんど分からないベンチャー企業に過ぎなかったが、英国のロータスからシャシー技術を導入し、トヨタのレクサスでたゆまぬ仕事を続けてきた人材を取り込む一方、GMとトヨタ合弁のカルフォルニアの中古自動車工場を格安で手に入れ、ここをリニューアルすることで世界に高級スポーツカーのEVを送り出す。創業期のよちよち歩きがウソのように、いまや時価総額ではるかトヨタを抜く。
  イーロン・マスクのすごいところは、モノづくりへの絶えざる好奇心と理解力、即決実行力、それに人たらし的魅力で多額の資金を集められる人間力。
  驚くべきことに、このテスラのCEOだけではなく、同時進行で宇宙開発事業に乗り込み、着々と成果をあげている点だ。スペースX社の代表としての取り組みだ。
  とはいえ、艱難辛苦の連続。無人宇宙ロケット“ファルコン9”は、3回にもわたり打ち上げ失敗を繰り返した。それでもイーロンは、まったく絶望しない。それどころか、失敗は成功の元とばかり、知見を積み上げ、見事にNASAができなかったコスト1/10でのロケット打ち上げを実現して見せた。イーロンの夢である「火星への人類移住計画」に向けて進んでいく。
  考えてみれば、現在世界の経済を支配しているIT企業は、アマゾン、アップルにしろフェイスブックにしても宇宙開発や自動車づくりに較べると、リスク度が一桁も二けたも低い。投資する金額の多寡だけでなく、人間の命がかかっているかを思えば、段違い。イーロン・マスクは、なぜ二つのリスキーな企業体を同時進行でアグレッシブに運営きるのか? 「二兎を追うもの一兎をも得ず」でなく、イーロン・マスクは「一石二鳥」あるいは「一挙両得」のことわざを地でいくのである。
  「いずれ地球は、人口爆発でほかの星に移住せざるを得ない。だから火星への移住を視野に入れている。それまで、できるだけ温暖化を押える意味で電気自動車の増殖に力を注ぐ」とイーロンは、彼の事業を説明している。「そもそもEVは化石燃料で電気をつくれば元も子もないという説があるが、そうではない。化石燃料をエネルギーとするエンジンは、入力したエネルギーのわずか40%しか車輪を回す力になっていない。つまり非効率。その点電気はたとえ化石燃料で作り出したものでも、途中でのロスは10%もいかず効率的。それに電気を太陽光または風力で作り出せば、完璧なエミッションゼロとなる」という理屈だ。著者の竹内さんは元エンジニアだけに、技術的解説が手馴れているので、ハラハラして読む必要なしだ。(2013年12月発刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

知られざるネジメーカーの素顔! 静岡の“興津螺旋(おきつらせん)”(短期連載 第6回)

チタンのボルト採用例

  結果的にはチタン合金のネジは頭部成形で活躍するパンチが3段、ネジ部成型のダイスが2段階という、やや手間がかかるネジづくり工程となった。
  このモノづくり挑戦ストーリーを日経系の新聞に取り上げられたところ、思いのほか反響があった。「キャップボルト(内6角ボルト)をつくれないか?」とか「チタンのボルトなら、市場はあるよ!」。ところが、これまでステンレスねじの世界でもキャップボルトをつくった経験がなかった。住宅関連のネジ市場にはキャップボルトはなかったからだ。
  これをきっかけに、ネジ径5mmとネジ径6mmを中心に自転車競技やモータースポーツ向けのチタンボルトを商品化している。たとえばMOMOのハンドルを止める6本のM5皿ネジ、自転車ではハンドルクランプやコラムクランプ、それにブレーキキャリパーのクランプネジ、いずれもM5,M6だが、一台の競技用自転車に合計27本、これだけで重量が従来ネジからチタンネジに変更して94.7g→70.1gとわずか24.6gだが、比較試乗してみるとさすがに軽くなった実感はないようだが、剛性感が高まるという。
  「4月にお台場で開催されたサイクルモードという自転車イベントで、チタンボルトと従来ボルトを比べる試乗会をおこなった結果、みなさんおしなべてしっかり感を得たというお褒めの声をいただきました。とくにブレーキの初期タッチがよくなり、コントロール性も上がったという評価でした。これって、譬えてみるとアイスクリームに醤油を一滴たらすとより甘く感じる、その感覚に近いと思います」(社長) 実食していないので良くはわからないが‥‥。
  ともあれチタンボルトの経験を踏まえ、2012年からインコネルボルトの開発にも挑戦している。
  インコネルはニッケルがベースの合金で、とくに耐熱性に優れスペースシャトル、原子力産業、化学プラント、産業用タービン、真空装置、発電プラント、航空機の部品で活躍。自動車の世界でもディーゼルエンジンの燃焼室に使ったり、エキマニやマフラーに採用しているケースもある。
  「インコネルは、塑性加工ののちのいわゆる加工硬化が起き、そこからの成形が困難になる傾向にあるんです。圧造過程で組織が変わる厄介さがある。そこで金型のデザインを見直したり、インコネル自体の種類を選択しなおすことで、製品化にこぎつけています。これもチタン合金ネジの製作過程での経験がずいぶん生かされ、とくに克服困難な壁ではなかったのはよかったです」
  経験とデータの蓄積が、モノづくりの世界ではおおいにモノをいうようだ。


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