“プチバン”というジャンヌのクルマが登場し始めた。
ミニバンというのはなじみがあるが、よく考えればミニバンも、定まった決まりはなく「室内スペース効率を高めた背高気味で、全長に比較して室内長と室内高が高いクルマ」でしかない。プチバンというのは、それよりも小さな車両寸法のミニバン、ということらしい。となると、現在半年で2万台以上を売り上げたホンダのNBOX、そのルーツというべきダイハツのタントあたりもプチバンである。社会背景を考えると、コストパフォーマンス意識の高まりからプチ家電、プチ旅行、プチギフトが最近のトレンドだともいえなくもない。
トヨタからこのほど販売されたポルテとその姉妹車種スペイド(写真)は、“プチバン”を標榜しているのである。1.3と1.5リッターで価格は145万円から。コンパクトカーの扱いやすさとミニバンとしての使い勝手、それに高いコストパフォーマンス・・・この3つを備えているのがプチバンだという。プチバンであるポルテ&スペイドは、「女性視点で未来を生み出す」ことを目的に400名以上の女性メンバーで作り上げた。トヨタの女性社員、販売スタッフ、それに一般モニターがその中身だ。女性ならではの価値観を提供したという。男性の視点のその「女性らしい価値観」の具体例をあげつらうと・・・可愛いエクステリア、ショッピングバッグなどをかけるフック、運転席前のアッパートレイ、ボディカラー・シートタイプ・装備の組み合わせを選択できる・・・というところ。
これまで男性が設計開発し、造ってきた自動車はいまや、女性の声を無視しては商品として成り立たなくなっている。それはわかるが、だからといって女性の視点丸抱えでクルマを作って成立するものなのか? 成立するとしても長続きできるのか? ただ単に女性視点といってもそれは上っ面に過ぎないのではないのか? へそ曲がりの男性はそんなヨシナシゴトを思い描くのである。
≪自動車の電気化≫がモビリティの世界を一変し、社会構造に大変革をもたらす。とすれば、案外それは、足元からやってくるのかもしれない・・・・。
先日、トヨタ車体製の超小型EV「コムス」の2代目がお披露目されたとき、なんだかそんな感触を得た。トヨタ車体とは、トヨタブランドのランクルやノアなどの生産を担当している老舗のグループ企業。12年前に初代コムスを世に問い、着実に超小型EV市場を形成してきた。
2代目のコムスは、鉛蓄電池でモーターを動かし、後輪を駆動するといういわばローテクながら、最高時速60キロ、充電時間がAC100Vで6時間、1充電で約50キロを走れ、電気代はキロ当たり約2.4円。車検、車庫証明はいうに及ばず、重量税や取得税などがいっさい不要。ナンバーを取得するためには軽自動車税2500円、自賠責保険が5年で1万5600円。任意保険はいわゆるファミリーバイク特約で1万5930円・・・とそれだけ。一人乗りだけど、まさにのけぞるほどの、お財布にやさしい維持費だ。免許は普通免許だが、ヘルメットはかぶる必要なし。
ローテクの機能ユニット構成とはいえ、外観は、どこかライトプレーンをホーフツさせてかっこいい。最少回転半径3.2メートルは、軽自動車の常識4.4メートルより1.2メートルも小さい。高速道路こそ走れないが、ショッピング、通勤・通学などの個人ユースのほかに、宅配サービス、営業サービス、配達業務、買い物代行サービスなどビジネスのシーンでの活躍が広がりそうだ。コンビニ大手のセブンイレブンなどは、自社のロゴを貼った新型コムスを今年中に200台導入し、さらに数年後にはトータル3000台を全国に投入する予定だという。
試乗したところ、出足がスピーディ。低重心なので、安定性も高く、ドアがないのでオープンエアモータリング気分。ただし、ブレーキはマスターバックが付かないので、1970年代の軽自動車のようにブレーキペダルを踏んでもきちっと停まらずややズズズっといく。このあたりは慣れるしかない!? 価格は、66万8000円からだが、補助金を使えば実質負担額59万8000円からだ。
スバルとトヨタ自動車との共同開発により誕生したコンパクトなスポーツカー。スバルのBRZ,トヨタでは86(ハチロク)の名前で登場しているのは、いまさら紹介するまでもない。トヨタが企画とデザインを担当し、スバルが開発と生産を担い、両社が販売するという新しいカタチの協業。
そこでBRZのステアリングを握り、新東名高速をふくむ約1時間の試乗にでかけてみた。1300ミリを切る低く構えた全高に、ロングノーズの伸びやかなエクステリア。乗降性はスポーツカーにありがちなやや窮屈さを強いるかと思いきや、意外とすんなり身体をドライビングシートに落ち着かせることができた。ロングノーズではあるが、フロントフェンダーの左右先端が上部に膨れているので、意外と取り回しはしやすい。リアビューもフェアレディZほど悪くない印象だ。
肝心の走りは予想どおり、胸のすくものだった。排気音もややかん高く“スポーツカーでござい”という自己主張に思えた。ETCカードの差し込みが浅く高速道路の料金所で精算する羽目になったとき、担当者がいいクルマだね、と一声かかる。街中での注目度も高いことを感じる。
ハイウエイに出る。アクセルペダルを踏み足すと、ぐんぐん速度は増していく・・・。460ミリという超低重心が効果を挙げ、文字通り地面に貼り付くように走らせることができる。高速コーナーもぐいぐいアクセルを踏み込みたくなり、なんだか運転が数段うまくなった錯覚を覚える。
ところが、30分ほどたつと、やはりキャビンの閉塞感が気になりだす。横方向には広いが、上下方向はタイトだからだ。エキゾーストノートだった排気音が、やがては・・・けたたましく感じられるようになる。プレミアムガソリン仕様だということが気になるが、JC08モードで13.4km/l。スポーツカーなら悪くはないデータ。価格は、売れ筋のSグレードが280万円前後だが、ベース車は205万円とリーズナブル。定員4名だがリアシートはもちろんエマージェンシー用だ。メーカーでは、「日常にも使える」とはいうが、年配ドライバーにはこれ1台ですべてまかなうには、つらすぎると見た。
今年3月一足先に生産国のタイでデビューし、すでに人気を博している新型ミラージュが8月末に日本でも発売される。「新興国におけるエントリーカー」と「先進国における環境対応車」という2つの矛盾するニーズを両立させた21世紀のグローバルコンパクトカーである。排気量1000cc3気筒エンジンと新型CVT,アイドリングストップ装置で、JC08モード燃費27.2km/lとホンダのフィットハイブリッドの燃費を上回る経済車。しかも車両価格が100万円を切るグレードも用意し、軽自動車ユーザーと上級車からの乗り換えユーザーの両方を取り込もうという戦略。三菱自動車が生き残りをかけた全力投球のクルマだ。
この発売前のクルマに一足先に試乗する機会に恵まれた。完全な完成車ではないが、限りなく量産車に近い段階の試作車だ。≪タイでつくった100万円を切るリッターカー≫というイメージ。「大して期待はできそうもない」と冷めた先入観が、頭のどこかに・・・・。 ところがステアリングを握り、走らせてみると、3気筒1000ccエンジンは活気があり、静粛性もなかなかだ。坂道発進の苦手なドライバーにも安心なヒルストップスターター機構も付いている。なかでも感心したのは、インパネの上質感。予想したチープな感じはまるでない。最少回転半径の4.4メートルと軽自動車とまったく同じ。つまり小回りがきき、駐車の苦手な女性には受ける要素大。4WDをはじめからラインナップに入れないという割り切りで,プラットフォーム自体を2WD専用の最新版。しかも高張力鋼板を多用することで、車両重量は900kgを切っているという。
20分ほどの試乗と開発者へのインタビューから、このクルマの弱点を発見! コストダウンしたシートだ。先日乗ったカローラなどにくらべると見劣りする。欧州向けのシートもこれと同じだと思うと心配だ。というのは、日本のユーザーは年間走行キロ数がせいぜい1万キロ。欧州では年間4万~5万キロ走破するユーザーが少なくないからだ。シートに関しては日本以外の先進国では、厳しい目を向けるはず。
都内で新型カローラの試乗会が開かれた。試乗したり、開発者にインタビューしながら約5時間にわたりカローラの存在理由の答えを見つけようとした。コンパクトカーのヴィッツがあるから、カローラはすでにお役ごめんなのではないか、という強い思いがあったからだ。
前回すでにお伝えしたように『大人4人が安心・安全・快適に長距離を移動できるミニマムサイズのクルマ』というのが、新型カローラのコンセプト。前モデルの10代目まで徐々に大きくなったカローラの原点回帰ともとらえられる。
キャッチフレーズを逆手に取れば、ヴィッツやパッソは、そうしたことができないクルマなのか、と言うとけっしてそうではない。それに『大人4人が安心・安全・快適・・・』にという要件は、その時代で上下する基準なのである。いまの基準で、とりあえずライバル車にくらべ、より安心・より安全・より快適だ・・と思わせる車だということだと理解できる。そこに新型カローラの存在理由がある。いささか無理のある存在理由に現在のクルマ造りの困難さが見え隠れする。
試乗してどうか? 1.8リッターのフィールダー(ワゴン)は、はっきり言って車格を超えた出来栄え。静粛性、走り、運転する喜びをすべて満たしてくれる。185/60R15というタイヤを履き、ステアリングのギア比を従来の18.8から14.1とかなりクイックにしてスポーティなフィールを与える。フィールダーが30~40歳代、セダンのアクシオが65歳前後をターゲットにしているそうだ。静粛性についてもグレードG以上は、エンジンルームとの隔壁の吸音材に工夫を凝らしている。従来はワイヤーハーネスやパイプなどが通る部位を穴あけしていたのだが、今回はスリットにすることで、吸音効果を劇的に高めている。さらにトリムの隙間にウレタンを注入するなど、こまやかな静粛性向上策をとったという。これにより定常走行での車内の会話がよりスムーズにできるようになった。
面白いのは新型CVTのエンジンとの協調制御。CVTは無段階変速が魅力だが、実は加速時にわざわざ意図的に段付きを設けることで、リズミカルな加速感を演出することだ。人間の感性に訴える気持ちのいい加速フィーリングを作り出しているのだ。それによりまるでドライバーの運転時術は高まったように感じさせる・・・。電子制御技術は、ますますクルマをロボット化させる!?カローラという古い皮袋に新技術は仕込まれているということのようだ。
新型カローラが世の中に船出した。
1966年の誕生以来、11代目にあたるという。驚くべきことに世界販売台数の累計が、3900万台を数える、文字通りの世界のベストセラーカーだ。コロナという小型車が消えて久しいが、カローラは、クラウンとともにトヨタを代表する車種のひとつであることに間違いがない。
でも、いまなぜカローラなのか? ヴィッツをはじめいわゆるファミリーカーと呼ばれるコンパクトカーは少なくない。昔の名前のカローラのどこに新基軸というか、存在意義があるのだろう? 取材をすると、どうやら、カローラというクルマにトヨタは、ピンチになっている日本のモノづくりにかけようという意気込みのようだ。
東日本大震災で被害をこうむった宮城県のど真ん中にある人口5000人の唯一の村である「大衡村(おおひらむら)」に新工場を作り上げ、コンパクトカーの生産拠点にするという。トヨタは、これで、中部地方、九州地方、それに宮城の3つの自動車作り拠点を日本に完成させたことになる。円高で国内生産にあえぎの声があがるなか、なんとか“マザー工場”を充実させようというのが狙いのようだ。
“東北生まれ”の新型カローラのハード面での見所はどこだろう?
「大人4人が安心・安全、快適に長距離を移動できるミニマムサイズのクルマ」が大きなコンセプトだという。そのため、1.5リッター、1.8リッターのほかに、1.3リッターを復活させ時代が求めるファミリーカーの王道を追及している。全長が今回初めて50ミリ短くなった。奇しくも終戦直前まで高高度戦闘機を開発し続けた経験を持つ、初代カローラの主査だった長谷川龍雄氏を思い出す。彼が創り出した≪地球人の幸福と福祉のためのカローラ≫という標語がダブル。トランスミッションは、CVTのほかに5速マニュアル車も揃えているのも、ロングセラーカー故なのかもしれない。ちなみに、1.3リッターの1NR-FEエンジンには吸排気にVVT(バリアブル・バルブ・タイミング機構)を採用し、JC08モード燃費が20.6km/l。車両価格は、155万円から。
歴史的事実として長年信じられてきたことが、実は真っ赤なウソだったということは案外ある。中学の教科書などでお馴染みの足利尊氏(あしかが・たかうじ)とされてきた髭をたくわえた人物は実は別人だった、というニュースを思い出す人もいるかも。
自動車草創期の英国で、日本人初のレーサーとして長く記録されていた大倉喜七郎(1882~1963年)は、1907年、ロンドン郊外にあるブルックランズ・サーキットでのレースにフィアットで出場しみごと2位に入賞した。喜七郎みずからがハンドルを握りサーキットを猛スピードで走った・・・。筆者も長くそう信じてきた。ところが、先日入手した1989年刊の『男爵 元祖プレイボーイ 大倉喜七郎の優雅なる一生』(文芸春秋社)によると、「助手席でナビ役」をしていたに過ぎないことが判明した。どうやら、華麗なハンドルさばきで大活躍! というのは後の世の人が描いた勝手な想像。
ケンブリッジ大学で学んだのち5台の欧州車を手土産に持ち帰った喜七郎氏は、その後の書物のなかには「整備もできた・・・云々」という尾ひれまで付けて書かれている場合もある。だが、帰国後もいつもお抱え運転手付きで、一度もクルマの運転をした形跡もないし、そもそもイギリス滞在中1日20ポンドでダイムラーのハイヤーを雇っていたといわれる。学生の身分で、いまの日本円で1日10万円近いお金を移動だけに使っていたのだ。
喜七郎は、バロンと呼ばれ、ありとあらゆる趣味にお金を費やし、優雅に暮らした男。帝国ホテル、ホテルオークラ、川名ホテル、大倉山ジャンプ競技場などの建設に尽力。日本初の自動車専門の輸入会社・日本自動車を設立、オーナードライバーの団体を作り上げてもいる。1911年には、明治天皇の御料車の製作監督のために英国などに出向いている。大正初期の日本の自動車業界のオピニオンリーダーであり文化活動に貢献したことは揺るぎがない。面白いのは、若いころ、運転手に向かってこの階段をクルマで降りろと命じ、「若旦那様、そりゃ無茶でございます」と答えたら、その背中をステッキでしたたか打ち据えたというエピソードが残っている。英国でトライアル競技を見知っていてのことなのか、はたまた単なるわがままなボンボンの冒険心から出たことなのか!? ちなみに、くだんの本は、喜七郎とは37歳違いの異母兄弟・大倉雄二氏が書いた本だ。
歴史的事実として長年信じられてきたことが、実は真っ赤なウソだったということは案外ある。中学の教科書などでお馴染みの足利尊氏(あしかが・たかうじ)とされてきた髭をたくわえた人物は実は別人だった、というニュースを思い出す人もいるかも。
自動車草創期の英国で、日本人初のレーサーとして長く記録されていた大倉喜七郎(1882~1963年)は、1907年、ロンドン郊外にあるブルックランズ・サーキットでのレースにフィアットで出場しみごと2位に入賞した。喜七郎みずからがハンドルを握りサーキットを猛スピードで走った・・・。筆者も長くそう信じてきた。ところが、先日入手した1989年刊の『男爵 元祖プレイボーイ 大倉喜七郎の優雅なる一生』(文芸春秋社)によると、「助手席でナビ役」をしていたに過ぎないことが判明した。どうやら、華麗なハンドルさばきで大活躍! というのは後の世の人が描いた勝手な想像。
ケンブリッジ大学で学んだのち5台の欧州車を手土産に持ち帰った喜七郎氏は、その後の書物のなかには「整備もできた・・・云々」という尾ひれまで付けて書かれている場合もある。だが、帰国後もいつもお抱え運転手付きで、一度もクルマの運転をした形跡もないし、そもそもイギリス滞在中1日20ポンドでダイムラーのハイヤーを雇っていたといわれる。学生の身分で、いまの日本円で1日10万円近いお金を移動だけに使っていたのだ。
喜七郎は、バロンと呼ばれ、ありとあらゆる趣味にお金を費やし、優雅に暮らした男。帝国ホテル、ホテルオークラ、川名ホテル、大倉山ジャンプ競技場などの建設に尽力。日本初の自動車専門の輸入会社・日本自動車を設立、オーナードライバーの団体を作り上げてもいる。1911年には、明治天皇の御料車の製作監督のために英国などに出向いている。大正初期の日本の自動車業界のオピニオンリーダーであり文化活動に貢献したことは揺るぎがない。面白いのは、若いころ、運転手に向かってこの階段をクルマで降りろと命じ、「若旦那様、そりゃ無茶でございます」と答えたら、その背中をステッキでしたたか打ち据えたというエピソードが残っている。英国でトライアル競技を見知っていてのことなのか、はたまた単なるわがままなボンボンの冒険心から出たことなのか!? ちなみに、くだんの本は、喜七郎とは37歳違いの異母兄弟・大倉雄二氏が書いた本だ。
“だれや知る、サイドバルブ・エンジンのその中身。74年の時空を超えて、語りかける日本のモノづくり”
そんな、詩とも語りともわからぬ、ツブヤキがふと頭をよぎる。品川駅からクルマで10分ほど走ったところに、ダットサンをはじめ日産の歴代オールドカーをリストアしている工場があった。サファリ・モータースという、いかにも日産がかつてラリーに熱を入れていたヨスガを思い起こすネーミング。
旧いクルマを蘇らせるというとなんだか、ご隠居仕事のようにイメージする。だが、その想像は完璧に裏切られる。平均年齢40歳代のメカニックがいきいきと旧車の再生に取り組んでいる。旧車というのはくたびれ果てたクルマ。さまざまなトラブルに向き合うことで、メカニックがいかにやりがいを抱けるか。目の輝きですぐ分かる。部品の調達から、ときには部品造り、微妙な調整などなど、イマドキの電子制御付きモダンカーにはない人間味がある。
とりわけドキドキしたのは、1938年式のダットサンの排気量722cc 4気筒サイドバルブ・エンジンがバラされた状態を目撃したときだ。これから組み付け作業に入るというところだ。ウエイトのない素朴な形状をしたクランクシャフトは、オーバーレブ(過回転)させるとすぐ真ん中から折れるという。フロントオイルシールは、ゴムではなく羊毛などの毛を固めたフェルト製だ。バルブを駆動する役目のカムシャフトのギアは、なんとベークライト製だ。でも、ピストンとコンロッドは、当時としてはすすんだアルミ製。そのコンロッドの下部には、スプーン状の突起が付いていて、オイルパンに設けられたオイル溜のオイルを掬(すく)い、ピストンのほうに散布する仕掛け。現代のエンジンしか知らない者には、複数の疑問が沸き起こる。時空を越えて、設計者にインタビューしたくなる。
こうした旧いエンジンはヘッドボルトが折れたり、ふつうのエンジンではありえないトラブルが横たわる。それをひとつずつ絡まった糸をほぐすように解決する・・・探偵が問題を解決するため、推理を働かせるのと似た作業が続く。サファリ・モータースでは、すでにダットサンなど60台ほど再生したという。http://www.safarimotors.jp
ディーゼルなのに圧縮比が14とガソリンエンジン並みの低さ。超高圧2000バールのピエゾタイプのインジェクターで4段階以上に多段噴射。ギャレット製の2ステージターボチャージャー。いくつもの新しいテクノロジーの合わせワザで、JC08モードで18.6km/l(10・15モードで20km/l)というSUVでトップの好燃費を叩き出す。
CX-5を箱根で試乗してみて驚いたのは、燃費だけではなかった。度肝を抜くほどの動力性能と、よくできたアイドリングストップ〔ⅰ-stop〕。ガソリンエンジンのV6 4リッターに相当するという前宣伝はまんざらウソではなかった。全域にわたりトルクフル。大きな声では言えないけど、芦ノ湖スカイラインをサーキットのように痛痒ない走りを楽しんだ。かつてのディーゼル車にあった「(音が)うるさい・(走りが)トロイ・(排気が)汚い」という3悪を追放し、ディーゼルの良さがググッと姿を現したクルマ、といっても誉めすぎではない。アイドルストップからの再始動が、世界最速0.4秒というのもユーザーには誇らしいところだ。マツダのスカイアクティブ技術は、文字通り第3のエコカー以上のポテンシャルがあるかもしれないと直感した。気持ちが久しぶりにグッときた! 2WDの売れ筋グレードが、300万円を切るリーズナブルな車両価格も大いに魅力。
ところがほぼ満点に近いCX-5だが、唯一といっていいほどの“逆アドバンテージ”がある。車幅が1840ミリ(もちろん3ナンバーだ)とコンパクトカーにくらべ150ミリほどでかいのだ。これはもともと北米や欧州を視野に入れたクルマだからということだ。狭い路地の多い日本に住む消費者には、なんとも口惜しい。それでも、いまのところ月販予定販売1000台のところ、8000台以上の注文があるという。
かつては博物館といえば≪すでに死んでカビが生えた物体の陳列場所≫というイメージだった。そんなものを見ても、何も聞こえてこないし、語りかけてこない。生きている世界こそ、一番だと思っていた。未来はたとえ過去の延長であっても、未来への見通しは現在から見るだけで手いっぱいだったからだ。
ところが時間の経過で、人の思いも変わるものだ。
いま自分があるのは過去がある・・・親父やオフクロ、それにお爺さんのお婆さん、そのまた親父やオフクロ・・・考えれば当たり前のことだが、自分が人の親や、人の祖父になりつつあると、考えも変化するもののようだ。そんなわけで博物館ほど、面白いものはないと思うようになった。
ぼんやり眺めるのみいいし、写真を撮ってあとであれこれ調べて楽しむのもいい。とりあえず、博物館に出かけると、何かしら収穫物があり、インスパイヤされることが少なくない。
広島県の福山市に「福山自動車時計博物館」というのがある。
1989年設立だから、かれこれ4半世紀ほどたつ。迂闊にも広島に出かけたおり、その存在に気が付き、はじめて伺った。ボンネットバスとボンネット消防車のリストアやマツダの三輪乗用車のレプリカ、それに日野自動車の「コンマース」というFFレイアウトのワンボックスバンなど、ほかの博物館では見ることができないシロモノに対面できる。展示車両を乗ったり触ることもできる。いつ完成するか分からないダイハツの三輪乗用車「ビー」も専属リストア職人の手でただいま再生中だった。この博物館の多くのクルマが映画やTVで出演していて、そこからクルマやそのクルマが活躍した時代を知るのも面白い。クルマだけでなく和時計やタワークロックも見ることができる。館長の能宗孝(のうそう・たかし)さんは、マンションを11棟持つ地元の不動産王だが、商店街を活性化するプロジェクトを進めたりの異色の経営者。主任学芸員の宮本一輝(みやもと・いつき)さんも学生時代古墳の研究をしていたユニークな人物。http://www.facm.net
« 前 | 次 »