2代目のヴォクシー&ノアは、悔しいけど完成度の高いクルマといわざるを得ない。
「乗って、使って、走って! 快適で個性際立つジャストサイズのミニバン」というのがメーカーのキャッチコピー。予測される販売台数から言って、個性際立つ、ということは成立しえないにしろジャストサイズのミニバンだという印象を強くした。
運転席に座り、5分も走らないうちになんだか昔からこのクルマに乗り続けている感じがする。日頃少しくたびれたファンカーゴを愛用しているということもあるかもしれないが(トヨタ車に毒されている、とも言えるかも)、このあたりのモノづくりは凄いといえそうだ。
注目のメカニズムは、新世代のエンジン動弁機構を持つバルブマチック。吸気バルブのリフト量を1~11ミリの範囲で変えることができるため、動力性能と燃費性能を高い次元で両立。同じ排気量のエンジンにくらべ10%の出力向上と6%の燃費アップを実現している。ただし、価格は約10万円高い。ちなみに主力車種は240万円台だ。
感心したのはサードシートの跳ね上げ機構。ごくごく軽い力で跳ね上げることができ、あっという間に広い荷室空間が出現できる。セカンドシートにもいろいろ工夫があり、家族でツーリングにいくと楽しいな、という想像力が働く。そもそもこのクルマはウイークデーに奥様が買い物などに使い、休日に主人がハンドルを握る。そんな使い方が多いから女性ドライバーが楽に扱えることが必須だったのである。
≪軽いチカラで操作できる≫このキーワードが随所に浸透しているクルマ。かつての重々しいミニバンのかげはみごとに消えている。
いまどきのクルマの至上命令は低燃費と軽量化、それに安全性である。
ボディを軽くして高効率のエンジンを載せれば燃費がよくなり、CO2の排出量も減少する。
そこで、ボディにできる限り鉄素材ではなくアルミを多用することになる。このほど7年ぶりにフルモデルチャンジしたベンツCクラスも、フロントフェンダー、フロントのメンバーとクラッシュボックス、それにリアクオーターパネル、ドアモジュール部にアルミを採用。さらに高張力タイプにすることで薄くできるハイテンションスチールをボディ全体の約70%に採用することで、先代モデルにくらべ約8kgの軽量化を実現している。
おもしろいのは、最新のレーザー溶接技術を導入することで、溶接に必要なフランジを狭めて、衝突安全性能を高めることができた点だ。スチール部材の溶接も先進的な溶接技術で、より緻密な接合ができたという。こうした合わせワザで、ボディのねじれ剛性を従来車よりも約13%も高めることができ、さらに堅牢なボディを具現化したのだという。俊敏性(アジリティ)と快適性(コンフォート)を高い次元で両立させたというのがウリだ。
ベンツというと値段が高く、ボディサイズがでかくて、国産車を乗り継いでいたユーザーには、気持ちが引けるのだが、Cクラスは、全幅が1.8メートル以下なので世田谷あたりの狭い路地にも十分こなせる(ちなみに、東京の世田谷地区はベンツの占有率は日本一なのである!)
新型Cクラスは、ベンツ伝統のフロントグリルを持つ「エレガンス」と、ベンツスポーティモデル伝統を受け継ぐスリーポインティドスターをフロントグリルに配した「アバンギャルド」(写真)の2タイプがあり、直列4気筒1800にスーパーチャージャー付きエンジンとV型6気筒エンジンの2タイプがある。一番安いC200エレガンスは税込みで450万円だそうだ。
いささか自嘲気味に表現すれば、自動車ジャーナリストほど浮気な存在はいない。
昨日はコンパクトカー、今日はSUV,明日はスポーティカーと日めくりカレンダーのごとくニューモデルのステアリングを握り、そのクルマの開発者から話を聞きだしていれば、いつしか耳年増にもなるし、クルマとはしょせん移ろいやすいものだという感慨を抱かずにはいられない。
5月から6月にかけて、スイフトのマイナーチェンジ版、日産の新しいSUVデュアリス、フルチェンジされたインプレッサと立て続けに接することができた。
スイフトは新開発の1200エンジンと高効率のジャトコ製CVTの組み合わせで10・15モード燃費20.5km/lが目玉。デュアリスは、横浜製エンジン(MR20DE型)だが、組み立ては英国サンダーランド工場という”輸入車”扱いのSUV。フルチェンジ版の3代目インプレッサは、これまでの走りに徹したイメージをかなぐり捨て(言い過ぎ!?)「みんなのクルマ」「新開的スタイル」という売れ線クルマに大きく路線変更。(ちなみに、WRCに出場できそうなホットバージョンは秋までお預けだという)
今年はモーターショーの年だということもあるが、各メーカーはニューモデルでシェアアップをはかる魂胆だ。 この3台のニューモデルに共通に言えることは、ハンドリング、乗り心地、静粛性が確実に向上していること。
なかでもフルチェンジしたインプレッサ(写真)は、リアをサブフレーム付きのダブルウイッシュボーンタイプにして、操縦安定性、静粛性、居住快適性が劇的によくなった。エンジンはNA(自然吸気式)の1.5と2リッター、それにインタークーラーターボの2リッターの3本立て。エンジンとシャシーのバランスの良さならNAの2リッターだが、一番お買い得は1.5リッターのAT仕様で150万円台。でも、インプレッサはホイールベース、全長、全幅を伸ばしたおかげで全車3ナンバーなのである。マツダのアクセラにも1.5リッターで3ナンバーという車種があるが、市場で受け入れられるかどうかが興味のひとつだ。
惨めな敗戦から立ち上がり、ようやく純国産乗用車である観音開きのクラウンの発売にこぎつけたのが、昭和30年(1955年)。それから52年後の2007年、当時の日本人から見ればまさかこんなクルマが誕生するとは思わなかった。
「異次元のハイパフォーマンスとクラス世界トップの環境性能の両立」 少し大げさに言えば≪見果てぬ夢≫を具現化したクルマと褒めてもいい。
さっそくこの1300万円もするクルマに乗り込み初夏の軽井沢の閑散とした道路を走る。静かだ。あまりにも静か・・・インパネの表示を見るとモーター走行だからむべなるかなだ。関越自動車道路に乗り込んだ。車内は静寂が支配し、アクセルを踏み込むが、そのスピード感は皆無に近い。スピードメーターは軽く時速120キロを指すが、感覚的には時速40キロだ。V8・5リッターエンジンで6リッター車に匹敵するパフォーマンスを実感できた。ちなみに、時速100キロまでの到達時間はわずか5.5秒だ。
時速120キロで、エンジン回転数は1000rpmすこし。いやはやハイパフォーマンスハイブリッドはすごいものだ。これで燃費(10-15モード)が12.2km/lというのだから・・・・。
でも、15分ほど走るうちにまわりのクルマがとてもノロマでくだらないクルマに見えてきた。ヒエラルキーの頂点に立った気分が我がココロに忍び込んできたのである。うっかりすると免許証がいくつあっても足らないクルマ。スピード感の欠如は逆にいえばリスク欠如にもなる怖いクルマにも変貌する!? 理性のある大人でないとこのクルマのキーを渡してはいけないのではないか・・・と思い始めた。もちろん、レクサスのLというロゴマークが、このクルマで正当性を帯びるかどうか? も気になるところだ。
誰しも一度は口にした車名でも、意外とその真実が知られていないことが世の中には少なくない。フォードの「モデルT」(T型フォード)もそのひとつといえる。
1908年にデビューし、19年間に約1500万台をつくり上げ、地球上にはじめてモータリーゼーションを具現化したクルマ。世界初のベルトコンベアによる量産自動車でコストをどんどん下げた。それまでの欧州ではクルマはお金持ちや貴族の遊びのツールでしかなかったものが、T型フォードは自動車をつくる工員さんですら少しがんばれば手に入れることができたのである。
その意味でT型フォードの成功は、従来のクルマの概念を根底から塗り替える革命的な出来事だったのである。
意外と知られていないことだが、T型フォードは、日本人がクルマを便利な乗り物だと強く認識した初めての存在でもあった。というのは、大正12年(1923年)関東大震災により壊滅的被害を受けた東京が交通機関の復興のためT型フォードのシャシーを大量(といっても800台)に輸入し、これをベースに11人乗りのバスが運行し、当時の東京市民から「円太郎」(円太郎というのは当時の落語家の名前からもじったものだ)の名前で親しまれたのである。
このことがキッカケで、フォードは、横浜にノックダウン工場(大正14年)、GMは大阪にノックダウン工場(昭和2年)をつくり、戦前の日本の車社会を作り上げたのである。約10年間のあいだに年間2万台ほどのクルマは作られたのである。ゆえに当時を知る年配のひと(80歳以上)はそのころの自動車は「フォードとシボレーだった」というのである。
現在、愛知県のトヨタ博物館では「ヘンリー・フォードとT型フォード~大衆車はじめて物語り」を開催(6月24日まで)。先んじてこの展示会をとことん取材、そこで見えてきたT型フォードのナゾを追いかけ、次回からは連載でお伝えしたい。じっさいT型フォードに試乗できたので、その運転方法、価格のナゾ、エンジンのナゾ、リアアクスルのナゾなどをお伝えしたい。
4月22日から始まった中国・上海モーターショーを取材してきた。
実際足を踏み込んだのはプレスデーである18日と19日だったが、とにかく怒濤のような人々の≪熱気≫に圧倒された。中国の人たちの自動車にたいする“アツ~イ思い”が頂点に達しているのである。足を運んだ中国の人たちは50万人を超えたという。
昨年の中国での自動車生産は720万台で軽く日本を抜いたのは記憶に新しいが、今年はさらに130万台上乗せした850万台が生産・販売される見通しだ。今年1月からの4半期で約22.2%の伸びだというからすごい。モーターショー自体も上海と北京交互に毎年おこなうスケジュールで、そのあおりで数年後には、おそらく東京モーターショーは地盤沈下する恐れである。
いわゆる民族系の中国ブランドの乗用車が29.1%、日系ブランドの乗用車が28.3%、21.5%が欧州系、13%がアメ車系、韓国車が8.3%という戦国時代の様相。中国ブランドではチェリーという大衆車メーカーがやや先行し、街中では日本車だけでなくヒュンダイ、GMの乗用車が目に付く。意外と思うかもしれないが、中国人のクルマに対するマインドとアメリカ人のそれにはかなり共通するものがある。労働力の廉価な中国で開発したクルマをアメリカで販売する、という仕組みもありなのだ。
競争の劣化とモノづくりの合理化などで、自動車の販売価格がこのところ5~7%下がり、ますます庶民にとってクルマは高嶺の花から≪買うことができる大型商品≫へと移行しつつある。
これって、日本の昭和40年代である。まさに、中国はいま「ALWAYS 三丁目の夕日」のど真ん中にいるのである。
プジョーのコンパクトカーである2シリーズのニューモデルが登場した。206の後継車、207がそれだ。2シリーズというのは、1929年に発売された世界初の前輪独立懸架を採用した201から始まり、ピニンファリーナによるデザインで刑事コロンボが乗っていた204(1965年)、日本にプジョーのイメージを植えつけた、おしゃれな2ボックス車205(1983年)、8700万台を販売した先代の206(1998年)と80年近くの歴史をもつクルマ。
新型207は4速ATと組み合わせたNA(自然吸気)の1600㏄、ボルグワーナー製のターボ仕様で直噴1600ccと組み合わせた5速MT車の2本立て。エンジンはいずれもBMWのミニとほぼ同じものだ。箱根のワインディングを走らせた結論は、日本車にはない上等の乗り心地とハンドリングが魅力。値段が239万円からと高価なこともあり、コンパクトカーの枠からはみ出た上質のつくりも二重丸。
日本車が≪ニューモデル≫でいられるのは4~5年。それに比べ欧州車は8年前後と長い。日本車にない≪何か≫を発見できるユーザーがたぶん財布のひもを緩めるものなのかもしれない。
でも、欧州車で気に入らないことが2つある。
ひとつは、たいていの場合プレミアムガソリンであること。せっかく燃費がよくても値段の高いプレミアムを入れるとなると結局高いものになる。
二つ目は、左ハンドルを右ハンドルに直したカタチになるので、ペダルの位置が若干不自然だったり、グローブボックスに付いたドリンクホルダーがやや斜めになっていたりする。207にもそれを発見した。欧州車に乗るドライバーは、このあたりを大目に見る広い度量が必要だ。
教科書や参考書のなかの歴史は退屈で面白くもなんともない。でも、足元にあるヒストリーや当時を知る人の話を直接聞くときほど興奮を呼び起こすものはない。
先日、大阪取材で出会った部品商「廣見商会」の松田鶴義(まつだ・つるよし)さん。82歳には見えないカクシャクとした松田さんは「30年前の自動車部品はまだごく新しい領域」だとおっしゃる。廣見商会の部品棚には、戦前から戦後にかけてのタクシーやハイヤー、トラックのお宝部品がぎっしり。
必要な人にはお宝だが、そうでないひとにはただの厄介モノとも言えるが、心動かされたのは、松田さんの話から湧いてくる大阪の旧き良き自動車部品の歴史。大正6年に大阪自動車が誕生し、大正14年には大阪の鶴町に日本ゼネラルモータースができノックダウンにより大量のアメリカ車が生産されている(前年の13年に横浜新子安で日本フォードが設立し同様にノックダウン生産)。この当時の自動車保有台数は2万6000台を超えていたのである。
道路はいまと異なり未舗装路のガタガタ路面、自動車各部の信頼耐久性もお世辞にもよくなく、故障の頻度が高かった。それでも自動車の魅力は現在の数倍、数百倍。
こうした背景で補修部品の世界が勢いを得ていた。大阪の福島(現在の大阪駅の近く)を中心に部品商、零細部品工場が40件~50軒もあったという。
当時の乗用車はフロントサスがリジッド(固定式)だったため、現在では単なる概念でしかないキングピンを持っていて、そのキングピンが1~2年で摩耗。リアサスのリーフスプリングのシャックルと呼ばれる部品も同じようにガタがくる。補機ベルトも数万キロも走るか走らないうちに切れてしまう。そんななかで部品商、部品商社、部品メーカーが出現、大いに潤ったという。
「折れて曲がる」というフレーズは当時をよく表した言葉である。新品部品でもすぐ壊れてしまう、でもそんな部品でも必要としていたし、ユーザーからも文句が来なかった、という意味だそうだ。言葉は時代を表す、とはよく言ったものだ。
自動車のメカニズムの世界で、ごくポピュラーになっている仕組みでもそのルーツを探ると、想定外のトリビアな事実が浮かび上がってくる。
電動パワステ(EPS)もまさにその典型例。軽自動車やコンパクトカーをはじめいまや油圧パワステを押しのけ主流派になりつつある電動パワステ。油圧にくらべ燃費で3~5%向上し、しかも技術革新でチューニングの自由度が高くなり、さらに高効率のブラシレスタイプが登場したのを追い風に、それまで取り付け不可能だったSUVなどの重量級のクルマにもぼちぼち採用されつつある。
おそらく数年後にはEPSがHPS(油圧パワステ)を駆逐するのは必至。そのEPSの登場は、EPSのトップメーカーNSKを取材すると、実はバッテリーフォークリフトがそのルーツなのである。1986年というからいまから約21年前。フォークリフトは荷役作業で活躍する。たとえば-55度の冷凍マグロの倉庫内では、コンピューター内部に結露を生じトラブルが頻繁、その後結露した水分を自己発熱で乾燥させる仕組みを構築などでみごと解決している。
その2年後に三菱の軽自動車に採用されたのは自動車用初のEPS。当初は、フォークリフトと同様据え切りの時と時速40キロ以下でハンドルの操作力を軽減するというもの。時速40キロ以上はクラッチでOFFとしていた。今からみればフィーリングもいまひとつだし、なんとも頼りない感じ。
その後、ステアフィールの改善で油圧パワステをしのぐクオリティを実現しつつある。いまやパワステの存在すら、普通のドライバーには意識できないほどナチュラルな仕上がりともいえる。・・・と今回は、かなりトリビアティックなお話でした。
昨年注目を集めた映画「ALWAY 三丁目の夕日」でいい味出していた小道具がダイハツミゼット。サザンオールスターズの桑田佳祐初監督の「稲村ジェーン」にも登場している。オート3輪車といってもスクリーンの中や博物館でしか見たことがないひとが多いかもしれないが、日本のモータリゼーションの先駆け的存在だ。その後の軽自動車のルーツでもある。オート3輪車はおじさんにはノスタルジーを呼び覚まし、若いひとの目には新鮮さに映る!?
このオート3輪車を現代に蘇らそうというプロジェクトが進行中だ。21世紀のオート3輪車は、リアタイヤにインホイールモーター(ホイールのなかにモーターを組み付けている)をセットしたシンプルメカで、エネルギーは鉛バッテリー6個。鉛バッテリーも日進月歩でいまや1充電50㎞以上をこなすため、宅配ピザ屋さんのデリバリーカーなどには十分機能する能力。現在モーター自体はトヨタ車体の一人乗り原付車のものを流用しているため高価だが、ワイパーモーターなどで有名な企業「ミツバ」に依頼し、安くて高効率なインホイールモーターを現在開発中だという。
実は、このオート3輪車は、東海大学動力機械工学部などと民間企業がコラボレーションし、3年がかり(2年後の2009年春に完成予定)で量産体制を構築し、自動車メーカーなどで商品化するという。クルマづくりを通して学生が学ぶことができ、しかもそれが商品化の流れにもつながる。いわゆる産学連携のプロジェクトである。
販売価格の目標は、50万円を切ることだという。
今後、操縦安定性の改善、モーターとバッテリーを結ぶ制御システムの改善、保安基準を満足させるための灯火類の取り付けなど商品化に向けて課題は山ほどあるが、担当する学生や企業側のエンジニアは目を皆一様に輝かせていた。
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