長引くコロナ禍で、取材こそしづらい状況が続いた。でも、原稿やデータなどはずいぶん前からリモートでのやり取りなので、外出自粛要請が出ても、さほど日常生活が激変するわけではない。そんなふうに高をくくっていた。
6月に引っ越し作業があったのだが、日常生活はノホホンとしたものだ、と自分では自覚していた。
だから、11月中頃娘が所有するかつての愛車ファンカーゴ(走行11万5000キロ;2年前5年ほど放置してあり、旧いガソリンを抜き車検を受けた曰く付きのクルマ)が車検と聞いても、のんきな気分だった。
ふと自分がいま乗るシエンタの車検がふと気にかかり、フロントガラスの例のステッカーをしげしげと眺めたところ、ナ、ナント!すでに車検が切れて3か月以上がたっていたのだ。あろうことか、車検切れ車に数か月間乗っていたのだ。
昔にくらべフロントガラスに貼り付ける車検シール(標章)が小さくなった。ちかくのディーラーからの車検がマジカになると舞い込むセールスハガキが引っ越しの不手際で届かなかった。といくつも屁理屈は並べられるが、やはりコロナ禍で頭のなかが混乱していた要素があり、複合的理由で≪車検切れ、自賠責切れでクルマを走らせている≫というヤバい状況を生み出した(一番の原因は、筆者のぼんやり! というかボケ)
さっそく、15分ほど自転車を走らせディーラーで自賠責に入ったのち、区役所の総務課庶務課の窓口で仮ナンバー(写真:正式には“自動車臨時運行許可。横浜南区役所にはなんと67の窓口があり、仮ナンバーはブービーメーカーの66だった)を750円でゲット。継続検査(車検)はどこの陸事でも受けられるが、空いていて便利な川崎の検査事務所をネットで予約したのち、24か月点検をおこない、いざ車検場に!
排ガス検査のところで、アクセルとブレーキペダルをあれこれ操作して「整備モード」にして、エンジンを常時アイドリングさせる。だが、これがうまくできず、近くの検査官に口頭で指示を受けるも、サイドスリップ検査、ヘッドライト検査、ブレーキ検査、スピードメーター検査、下回り検査などを含め、全項目マル!無事車検合格。あと2年の公道走行のお許しが出ました。
それから約10日後、次に11万5000キロを後にしたファンカーゴの車検(2000年式なのですでに10回近い車検となる)。
前回の車検では当方がハンドルを握り試験を受けたが、今回は娘が初の挑戦。横に付いて取材することにした。「車検はクルマの試験。ユーザーが試験を受けるわけではないので冷静に検査官の指示をよく聞いてやれば大丈夫」とエールを送る。
彼女、ユーザー車検窓口で「初めてです!」と告げたおかげで、検査ラインでは運輸局OBの人のよさそうなおじさんが付きっ切りで、あれこれアドバイスを受けていた。当方は、ソーシャルディスタンス越しに眺めながら「・・・・どちらかというと男の世界では・・・・女性はなんて有利なんだろう!」という実態をリアルに再確認。ファンカーゴも無事一発で車検に合格しました。
「サイドブレーキって駐車ブレーキのことなんだね、お父さん! 車検場って広すぎるし、2年に一度だと忘れちゃうね」新しい車検シールをフロントガラスに貼りながら、これが彼女のひとこと。
いまやサイドブレーキは死語なのかな? 微妙な言葉の違いでジェネレーションギャップを感じるのでした。空には秋の広い空が広がっていました。
自動車の電動化のムーブメントは、乗用車の世界にとどまらず、バスやトラックなど“働くクルマの世界”にも広がる模様。
そんななか、このほど横浜の市営バス(横浜交通局)で、電動バスの実証実験がスタートした。
ただし、オールニューEV路線バスではなく、既存のディーゼルエンジン・バスを活用したコンバートEVバスである。早い話、中古の路線バスのエンジンを取り外し、替わりにモーターとリチウムイオン蓄電池を組み込んだ、改造EVバスである。数年前から熊本大学の松田俊郎准教授が中心になり、車体を熊本にあるイズミ車体製作所が担当し、熊本市内で、実証実験を重ねてきたという。
今回横浜で実証実験を始めたのは、1日の乗降者数が熊本の3倍あり、山坂の多い横浜地域の厳しい路線でも実用上問題なく運行できるかを確認することだという。来年2月末まで大都市圏を移動する路線バスとして実用性を検証するとのことだ。
このコンバートEVバスの注目ポイントは、日産リーフのバッテリーを3個、モーターを駆動用2個、補器用に1個、合計3個使っている点だ。新規に開発するのと比べ、劇的にコストを削減できるところがミソ。
実は松田准教授は、元日産の開発エンジニアで、日産から基本技術の提供やEVバス専用のギアボックスの開発、それにEVシステムに関する技術支援を受けているという。
こうした研究開発に環境庁がバックアップすることで、EVバス、さらにはEVトラックの開発と普及を進めていきたいというのが、全体の青写真のようだ。EVバスを作り上げるには、既存のバス車体費のほかにプラス1000万円以上のコストがかかるだけに、いかにコストを抑えた環境にやさしい、しかも運転手にやさしいバスをつくり上げられるかが、試される。日産としては“路線EVバスの標準化”のイニシャティブを獲得し、ビジネスにつなげていきたいようだ。
すでに観光用の連節バスも、みなとみらい地区を中心に走り始めており、横浜には横浜市営バスをはじめ神奈中バス、江ノ電バス、京急バスなど民間バス会社も多数参入しているだけに、今後の横浜の路線バスの行方が注目される。
いまスバルの安全システムの戦略ががぜん注目を集めている。
先進の安全技術である「アイサイトX」を車両価格350万円の比較的安いレヴォーグ(安くはないが、高級車ではない! という意味)にいち早く採用したからだ。レベル3というと自動車専用道路で手放しができる領域で、スカイラインやレクサスといった高級車ではすでに搭載済みだが、350万円台のクルマに採用されたことが一大ニュースなのである。
その具体的な内容はこうだ。
全地球測位システムGPSや準天頂衛星「みちびき」からの情報と、高精度な3D地図データを組み合わせて、自動車の位置を詳細に把握。さらに前後部の4つのレーダーやフロントガラスのステレオカメラで周囲のクルマなどを確認することで手放し運転を可能にしたという。渋滞時のハンドオフアシスト、渋滞時の発進アシスト、車線変更時に活躍するレーンチェンジアシスト、コーナー手前の運転制御、料金所通過前後の速度制御、それにドライバーの異常時対応システムなど。こうした数々のシステムが複合的に働くことで、安全運転を高度にアシストするわけだ。
開発者が一番苦心したところは、走行シーンで、たとえばコーナーの手前で速度を落とし、コーナーが終わると元の速度に戻す、といった場面。ハンドリングと速度の加減をギクシャク感なしにスムーズに自然におこなう点だったという。当たり前だが、当初はうまくゆかず何度も何度も実験を繰り返したという。
このへんは、クルマの質感に影響を及ぼすだけに、重要なところ。ドライバーズカーづくりを永年おこなってきたスバルだからこそ克服できたのかもしれない。
そもそも、を調べてみると、こうした安全システムは、スバルは1990年代から始めている。つまり20数年越しに一歩先ゆくクルマができたという。なお、このアイサイトX搭載のスバル車は、このレヴォーグが初で、今後のスバル車に搭載されるはずだ。ライバルメーカーも、これに刺激を受け、廉価車にレベル3を導入できるかが、注目される。販売台数の約半分を占める軽自動車の世界まで広がる可能性もないわけではない!?
このところ気になるクルマのTVコマーシャルは、キムタクこと木村拓哉起用の日産の新着CFだ。
ボンネットの上をリズミカルに指でなぞるシーンから始まり、“どこにあるんだろう! こんな素敵なガレージと居間がひとつづきの高級レジデンス”・・・・スーツを着たキムタクがクルマの横をムーンウォークしながらクルマをガレージから動かす…‥。そして最後のシーンで運転席のキムタクは、半自動運転のプロパイロットを心象するように両手を離し、「やっちゃえ日産!」と例のフレーズを元気よく口ずさむ。わずか30秒足らずの作品。
バックに流れるCMソングは、2001年生まれでアメリカのシンガーソング・ライター兼モデルのビリー・アイリッシュの「BAD GUY」の一部を使った浮揚感のあるメロディが新鮮さを醸し出す。個人的にはCFとしては高得点。
でも、待てよ‥‥キムタクといえばトヨタのカローラフィールダーのCMを担当していたのだが、いつの間にか日産の「ブランド・アンバサダー(企業のブランド大使?)」に収まっての今回のクロスオーバーEVの宣伝だ。
このクルマ、車名はアリア(ARIYA:写真)。よく知られるように、来年中ごろ発売予定のSUVの100%電気自動車。ボディサイズは全長4595×全幅1850×全高1655㎜。1充電でなんと610㎞を走行でき、最高速が200㎞/h。30分の急速充電で375㎞を走れるというから、EVの弱点をほぼほぼ解消している。インテリアは、12.3インチの横長ディスプレイが2個付いていて、しかも和風の雅な仕上がりで、勝負しているところが面白い。2WDと4WDの2タイプがあり、価格は500万円台からだという。
きめ台詞の「やっちゃえ日産!」は、かつて矢沢の永ちゃんも叫んでいたけど、あれからカルロス・ゴーンの逃亡劇もあり、「やられちまったぜ、日産!」の裏言葉に聞こえてならない。そして、このところのトランプ大統領の強気発言とダブっても聞こえてくる!?
アメリカの新興電気自動車メーカーであるテスラモータース(従業員は約4万5000人)が、ふたたび注目を集めている。
19世紀から20世紀にかけて活躍したオーストリアの電気技師であるにニコラ・テスラ(1856~1943年)の名にちなんで命名したスタートアップ自動車メーカー。2008年に当時37歳だったイーロン・マスクによって設立。ロードスターEVを世に出し、その後モデルS,モデル3,モデルXなどをデビューさせ破竹の勢いだった。
ところが、2018年に経営危機に陥る。CEOのイーロン・マスクが誤ったツイートで投資家を惑わせたとしてアメリカ証券取引委員会SECに提訴され、2000万ドル(約22億円)を支払い和解している。その後、業績が立ち直り、先日新技術を発表し、株価がうなぎ上りになったという。
その技術とは、EVの基盤技術であるバッテリーの性能を劇的に高めたという内容だ。電気容量当たりのコストを半減させるだけでなく、航続距離を5割も伸ばせる技術を開発したというのだ。この新技術を使った新型EVは、従来のガソリンエンジン車と価格と性能のうえで十分対抗できる商品性をもつという。
これまでテスラモータースのバッテリーはパナソニックが担ってきたが、これを自社開発することで、コストを下げ、航続距離を伸ばせたというのだ。現在廉価なテスラ車はモデル3で、価格が約3万8000ドル(約399万円)だが、3年後に出る予定の新型EVは2万5000ドル(約260万円)だという。これにより、EVが今以上に普及する可能性が出てきた。
こうしたなかで、いわゆるテスラの時価総額は、今年7月トヨタを抜き去り自動車メーカーでは第1位になったのである。いまや時価総額だけをとって見るとトヨタの1.8倍だという。これは業績が評価されただけでなく、将来の成長に対する期待度が大きいことを意味している。……これだけのニュースを見ても、いかに現時点の自動車業界が大きな波の上でゆらゆらと揺れ動いているのかが理解できる。
「ヤリスクロス」というクルマが、いま気になる。
このクルマの名前、3回続けて声に出すと、妄想が膨らむ。なぜか「やりくりが大変」「やるだけ無駄かも…」といった言葉にかぶるのだ。
ついこの前までヴィッツ(ドイツ語で機知と如才、という意味)だった。世界統一車名の「ヤリス」(ギリシャ神話の美の女神CHARISに由来)になり、SUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)を意味する「クロス」という言葉と合体! 言い訳に聞こえそうだが、いわば遠い国から来た外来語ギラギラの車名だからなのか、よからぬ、妄想を引き起こす!?
軽口はともかく、まじめな話、このクルマの新鮮度は、価格のわりには(179万円台から)いまどきのクルマ好きの心をとらえる。カッコ良さと好燃費(ハイブリッドの4WDでJC08モード29.0㎞/l)。
最近の軽自動車オーナーの中には、Kカーのアイデンティである黄色のナンバーをヘイトして(憎んで!?)、わざわざ登録車(白ナンバー)に替えている向きがあるからだ。まさに維持費の安さと見た目の両立を狙い、白ナンバー変身術! となると、このヤリスクロス、軽自動車ユーザーにも気になる存在だ。このへんの複雑なユーザー心理を説明するのはややこしい。
そこでさらに調べてみると、このクルマ、ヤリスという名称だが、しかもエンジンこそ1590㏄直列3気筒と共通であるが、ホイールベースが2560㎜で、10㎜長い。車幅(全幅)は、ヤリスが5ナンバー枠の1695㎜だったのが、ヤリスクロスは1765㎜。ということはどうやら、プラットフォーム自体が異なる。だから、ブレーキも、フロントこそ冷却性の高いベンチレーティド・ディスクで同じだが、リアが、ヤリスがリーディング&トレーディング(L&T)式のドラム、ヤリスクロスがディスクブレーキで、差をつけているのである。車両重量も、車体寸法拡大などで100㎏近く重くなっている。
いまどきのクルマの素晴らしいところは、日進月歩の安全性だ。このクルマにも、アクセルの踏み間違いによる衝突防止システムが標準で付いている。それと非常時における電気製品の活用である。このクルマにも、「パワーサプライ機構」なるものがあり、AC100のコンセントがリアのラゲッジルームにあり、最大1500Wの電気製品を使える。スマホの充電だけでなく、湯沸かし器などの電気製品をガソリン満タンで約5日間使えるというから、なんとも頼もしい。
「クルマはいま100年に一度の大変革期だ」とはよく語られるが、たかだか一台の新型大衆車(昭和の言い方でゴメン!)を観察するだけでも、その片鱗はうかがえるのである。
動いている物体を止める働きをするのがブレーキ、制動装置である。
自動車のブレーキ装置を振り返ると、機械式のバンドブレーキから始まって、油圧式のドラムブレーキ、ディスクブレーキと進化を遂げている。でも、一貫しているのは、摩擦による制動装置である。電動式ブレーキと呼ばれるものも、制御が電気だが、根本のところは動いている車輪を摩擦のチカラで停める「摩擦式の制動装置」に過ぎない。
数年前から曙ブレーキが研究開発しているのは、これとはまったく異なる「MR流体ブレーキ」という仕掛け。
MRというのは、マグネトー・リュウロジカル(magneto rheological)で、無理やり訳すと「磁場流体式」。
原理をいうとこうなる。車軸側と車輪側を液体で満たしシールドする。この液体のなかには数ミクロンの細かい鉄粉が分散している。そこに磁場を加えると、その鉄粉が磁場方向に“ならい! 右!”みたいなカタチで整列して、鎖状の粒子クラスターを形成し、かなり強固に半固体化する。これが抵抗力となってブレーキ力となるわけだ。油圧や摩擦力をまったく使わずに制動力を生み出す、画期的なシステムの印象だ。
つまりホイールを汚す厄介な摩擦粉を出さないし、騒音や振動もない。摩擦するところがないので、パッド交換が不要のメンテ不要。
汚れをまき散らさないので、医療や食料、あるいは農業の面で大歓迎されるポテンシャルを持つともいえる。
もちろん電気制御できるので、従来のブレーキ装置に合った大掛かりな付属装置を必要としない。いわゆるヨ―コントロール(トルクベクタリング)の設定もしやすいので、コーナリング性能の高いチューニングも容易だという。
このバラ色に見える新機軸のブレーキシステムを実現するには時間が必要だという。「制動力のパワーを出すのが難しい段階。富士山でいうと、そうですね6合目あたりでしょうか」と開発者。ゴールはまだ先のようだ。でも、自動制御の自動運転車両のブレーキとして大いに注目される仕掛けになる、そんな予感がする。
「クルマの3大要素の、“走る”“曲がる”の2つにはユーザーさんはお金をかけるんですが、“止まる”についてはどうもシブチンのようなんです」
先日、埼玉の北部・羽生市にある曙ブレーキ本社を取材したところ、ベテランのブレーキ開発者から、そんな言葉が耳に入った。いわれてみれば、その通りだ。エンジンやサスペンションにはお金をかけてもブレーキには無関心という傾向にある。
止まる要素って、たしかに考えれば地味で映える要素がない。クルマのブレーキの構成部品を思い浮かべても……ブレーキペダル、マスターバック、マスターシリンダー、ブレーキキャリパー、ブレーキローター、ブレーキドラム。皆々歌舞伎役者でいうと「その他オオゼイ」である。「ですから、今回満を持して開発した新製品で、市場を沸かせたいんです」とばかり、見せてくれたのが、「新構造のキャリパー」である。
商品のネーミングこそ、開発者寄りで映えがなく、要再考であるが、見栄えは悪くない。
ひところ憧れた対抗ピストンが内蔵したモノブロックタイプのキャリパーに見えなくもない。従来の鋳肌丸見えのダクタイル鋳鉄(なんて色気がないんだろう!)のキャリパーとくらべると、かなりのベッピンさんだ。「ピストンが収まる穴が見えるのが普通なんですが、これが見えない」とくだんの開発者は解説。なるほど、ピストンホールの作業穴だったんだ、あれ。
アルミのハウジングのなかに、キャリパーの要素が全て納めており、しかもピストンは2個採用。アルミのアンカービームが追加され、サーキットなどで酷使したさいのチルト(傾き傾向)を抑制して、よりスムーズな制動を実現するという。加えて従来のキャリパーにくらべオールアルミなので、約3割がた軽い。つまりバネ下重量が軽くなり、走りにプラスするということだ。
ハウジングは、粉体塗装仕上げなので、カラフルなカラーが選択できる。ハイウエイを走るクルマを横から見ると、美しいキャリパーがどうしても目に飛び込んでくるものだ。「かっこいい商品にはお金を使ってくれます」とくだんの開発者は自信満々だった。価格は未定だが、来年発売だというから、走り屋さんならずとも注目だ。
東京の墨田区は、江戸の昔から続く伝統工芸のほかに、明治初期には時計、革靴、革鞄、肌着、石鹸など日用品の生産地として親しまれてきた。そのスミダに、小さな「ブレーキ博物館」が誕生して約20年、すっかり下町の博物館のひとつとして馴染んでいるという。
今回初めてうかがったのは、コロナ禍で来場者数が減ったということもあるが、うっかりすると消えてしまう恐れがあるからだ。なくなってからでは遅い。
この博物館、中山ライニング工業というブレーキ専門メーカーが母体である。日本のモータリゼーションが始まった昭和40年ごろから、ブレーキに特化した街の工場である。“ライニング”というぐらいだから、ドラムブレーキの時代からである。いまではディスクブレーキが主流である。といっても曙ブレーキのように摩擦材からつくるのではなく、摩擦材を専門メーカーから購入し、すり減ったブレーキ素材に新しく摩擦材を張り替えるという、リビルトなどを手掛ける企業である。
この工場の得意技のひとつは、摩擦材の張替え作業だという。トラックなどのライニングはリベットを取り外せばいいが、乗用車、それもいわゆる旧車といわれる使い込んだ車のブレーキパッドの再生は、裏金(うらがね:怪しげに聞こえるが摩擦材の裏側にある金属の意味である)と呼ばれるパッドの金属ベースを回転する砥石を使い、古い摩擦材をきれいに削り落とすことから始まる。ここに角板と呼ばれる新品の摩擦材(肉厚約10㎜程度)を樹脂系とフェノール系の2液タイプの接着剤をつかい張り付ける。この半製品を約200°Cで30分以上焼き上げ、最後に角をけずったり、厚みを整えたり、面粗度を整えて製品化する。「ブレーキ時の鳴きをなくしたい」とか「ホイールに付着するダストを少なくしたい」そんなユーザーの要望(日本のユーザーは昔からこのあたりの要求が強いとされる)に応えるため、5種類ほどの摩擦材から選択するのだという。「ワンオフですから、価格は純正より当然お高くなります、まぁ1.5倍以上ですね」(高須さん)というが、ブレーキにこだわりのあるユーザーはいつも一定数いるという。
ところで博物館は、クルマのブレーキとは何だ? その構造はどうなっている? ということから始まり、新幹線のブレーキは? ブレーキを無視するとどうなるか? スーパーカー・フェラーリにブレーキパッドは? といった日頃のブレーキにまつわる疑問にズバリ答えてくれる、そんな場所である。ごくごく小さい博物館なので、30分も時間があればOK。錦糸町の駅から徒歩12分だ。写真は、シミュレーターマシン。ブレーキペダルを踏むとその仕組みがわかるだけでなく、べーパーロックで制動力ゼロ状態や、アンチロックブレーキ装置のABSの効き具合も体験できる。℡03-3632-6931
まず、この写真をじっくりご覧いただきたい。
荷台からこぼれ落ちても不思議でないほどの荷物がてんこ盛り。涼しい顔で歩いている横の男の人の頭に、いまにも荷物が落ちてきそうな、そんな奇妙な写真だ。この写真を見て、ハハ~ン、これは東南アジアあたりの発展途上国の光景だな。そう思われたかもしれない。
じつは、これ、れっきとした日本の原風景なのである。カメラマンの花岡弘明さんが学生時代に北海道を旅した折、ふとシャッターを押してものにした一枚だという。場所は、帯広駅の構内。時代は昭和33年、1958年ごろだという。
品川にある「物流博物館」で見かけたものだ。博物館の担当者がこの写真の“中身”(なんの荷物なのか)を必死に探ったところ、この車両は保導車と呼ばれる荷馬車の荷台で、荷物の内容は「引っ越し荷物」だということが判明した。この写真を逐一ズームインすると、向かって右上には、行李(当時の荷物箱のことで、竹や柳の木でつくられた。これはたぶん柳行李)が見え、その下には当時の日通のアルミ製のコンテナが4個ほど見える。このコンテナ折り畳み式だったという。
上部真ん中左には自転車の片輪が見える。その左横にはリンゴ箱を流用した荷物、左端には布団袋、さらにその下には木箱にコモ(菰)掛けした大きな荷物、そしてその下には俵状の荷物が8個ほど見える。その隣に「リズムミシン」の文字が見える。リズムミシンは中島飛行機浜松製作所が戦後、富士産業と名称を変更し、製作したミシン。1967年まで作り続け、同社はその後プリンス自動車となり、自動車部品製造に転じている。横の男は、作業員で右手に持つのは荷役のとき肩にかけるなどして活躍する前掛けだという。
車輪に目をやると、荷馬車のタイヤである。もちろんチューブ入りタイヤ。後輪の横に、プレートが見える。“〇通(マルツウ)26”とある。このことから日本通運が管理していた荷馬車であることが判明した。当時の荷馬車には、10トンや15トンは平気で積んだというから、現代のトラックとさほど変わらない。調べると、昭和30年に日本通運は牛馬を626頭所有し、牛馬車も870台持ち、荷車は2545台もあったという。昭和41年に、トラック輸送が牛馬車輸送を上回る、そんなデータがあるので、昭和30年代は、文字通り牛馬車の力を借りたモノの輸送が、当たり前のように人々の生活を支えていたことになる。
一枚の写真が、時空を超えて、いまの人にはとうてい理解できない、2世代前の引っ越しの光景を見せてくれたのである。写真1枚が、“すこし昔の日本の世界”をこじ開けた、ともいえる。
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