「日本にもそのむかし、江戸時代に石畳の立派な道路があった!」
ローマへと続くヨーロッパ各地のベルジャンロードじゃあるまいし、よくそんなウソを言う! そんなお叱りを受けそうだが、「日本にも車道があった」というのは一面まぎれもない真実なのである。
ただし、車道は車道でも、ガソリンや電気で走るクルマ(自動車)ではなく、荷物を載せた牛車が利用した「くるまみち」である。
どこにそんな「くるまみち」があったのかというと、京都・大津間の12㎞(約3里)。
「クルマイシ(車石)」と呼ばれる石が2列に並べられ、その間には砂利が敷かれていたという。京都・大津間は東海道の一部だが、じつは、この街道は北陸でとれた海産物などを、琵琶湖経由で京に運ばれた重要な古代からのルートなのである。
なお、この「車石」は、このほか京都を起点とした鳥羽街道や竹田街道にも敷設されていたという。鳥羽街道は、京都の羅城門(らじょうもん)から鳥羽をへて淀(よど:京都伏見区で宇治川の北岸)にいたる道。竹田街道は、東本願寺と伏見をつなぐ街道だ。
江戸期には、この3つの街道を牛車が米俵9俵、つまり約600㎏を積んで運んだといわれる。急な坂になると、数名の坂仲士(さかなかし)と呼ばれる助っ人があらわれ、米俵を肩に担ぎ、牛車の後押しをしたという。
といったことのすべては、品川駅から高輪口から徒歩約10分のところにある「物流博物館」でお目にかかれる。入場料はなんと200円で、ここに半日いれば昔と今の日本の物流システムを学べる。
いわゆる業界の人間にとって日産というブランド、日産という企業は、“すでに終わっている感が強い”となるかもしれないが、市井(しせい)の人たちに日産のイメージを聞いてみると「なかなかいい」のである。
多分これは、1970年代、いまから40数年前日産の国内シェアが30%もあったからかもしれない。
いまはわずか12%の充分な体たらく。これが軽自動車をふくむシェアになると、ホンダ、スズキなどに抜かれ、5位にまで転落する。
そして今回のコロナショックによる大きな落ち込みである。
新聞報道によると、今年3月期の連結決算で最終赤字額が6700億円。これが拡大路線が原因として、今後インドネシアやスペインの工場を閉鎖するという。つまり生産能力を2割も減らす。三菱自動車とのアライアンスは、軽自動車の共同開発という目に見える成果はあるものの、ルノーを含めた3社連合のアドバンテージは、特段目立ったものは、いまのところ見えない。
振りむいて思い起こすと、たしか1980年代末ごろから、多くのクルマ雑誌が「がんばれ、日産!」という特集を組んだものだ。日産と日本、日産と日本人、日産と日本のクルマ……そんな自己投影がおこなわれたのである。
そして、(いまとなっては)幸か不幸か、コストカッターのカルロス・ゴーンが登場し、残酷という名が付いた大ナタで、あっという間にV字回復させた。表面的には日産の復活が仄(ほの)見えた。ところが、ゴーンさんの“あと知恵”のような強欲さが露出し、いきなり被告人となり、昨年暮れ、日本人をあざ笑うがごとく、まんまとレバノンに逃れてしまった。気がつけばドメスチックな企業だった日産が“外資系”のいち企業になっていた。
そして…・日産にとって大恩人だったゴーンさんは、いまや憎き人物ゴーンになった。ゴーンという鐘の音を聞くのも嫌だというほど。
でも、愚痴ばかりでは前に進めない。昨年新任したCEOの内田誠氏に大いに期待したい。
月刊文藝春秋でのインタビューを読む限り、内田氏は「クルマが好きだ」といい、「日産にブレークスルーを導入して」経営を立て直したい、という。「ワクワクしたクルマをつくりたい」ともいう。ワクワクしたクルマとは何だろう? たぶん内田氏も、記事を読む限り、クルマに対してワクワクした経験がないとしか思えない。強烈なクルマへの愛、モノづくりへの挑戦、そんな泥臭いものから遠く離れた人物、そんな印象だった。「日産よ、どこに行く?」そんなフレーズが口をついて出る。
一般ユーザーはほとんど知るところではないが、ここ数年自動車整備業界を震撼させている“課題”がある。
エイミング作業という新メニューだ。
いまどきのクルマは、自動ブレーキ、車線逸脱防止装置、前車との車間距離をキープする追従装置、死角をアシストするブラインドアシスト機能などなど。カメラやセンサー、レーダーといった装備で武装して、いわゆる『ドライバーアシスト機能』がてんこ盛り。軽自動車なら数えるほどしかないが、高級車になるとセンサーとカメラの数が10個近くにもなる。
たとえば、高級車のフロントバンパー1個取り外し、取り付けるとなると、5個6個のセンサーが埋め込まれているので時間のかかるエイミング作業を行うことになる。実は、こうした整備はこれまでの整備とは異なるので、国交省が「特定整備」という新たな枠組をつくったほど。ちなみにエイムとは英語のAIMとは「狙う、照準」という意味だ。辞書を引くとhold a rifle in the aiming point(ライフルを照準点に構える)なんて例文が見つかる。
このエイミング作業は、一体どんなふうにおこなわれているのか?
現場を見てみたくなり、たぶん日本で一番作業頻度の高いBP(ボディ・ペインティング)工場に伺った。横浜港北区にある「ヤナセオートシステムズ」のBPセンター横浜。そこの専属担当者に直撃インタビューを敢行。トヨタのディーラー工場あたりだと月に0.5台(つまり2カ月に1台)ほどのペースだが、この工場は、月250~300台のペースで作業に取り組んでいる。
トヨタディーラーに聞くと、エイミングの作業自体はさほどのスキルはいらない。でも、「車種やグレードにより、やり方が異なるので、常にマニュアルで確かめ、自動車メーカーの指定するやり方を厳守する。情報をしっかり頭に叩き込んでおくこと」日に1台やるとなると高いスキルが要求されるようだ。
「もちろん、足回りを正規にし、タイヤの空気圧を規定値にするのは当然の話です。わが社ではベンツ、VW,アウディの輸入車3社のほかに、フェラーリ、ランボルギーニ、マクラーレンといったスーパーカーのBP作業も展開しています。国産車の場合は、ターゲットボードを前方の指定距離のところにセットし、OBD(オン・ボード・ダイアグノーシス:故障診断機)でつなぎ校正(キャリブレーション)をおこなう。アウディやVWもそうした静的状態でおこなうのですが、ベンツのなかにはダイナミック、動的つまりクルマを走らせて校正を行うタイプもあるのです」
そして、いずれにしろ最後はロードテストで、こうした安全装置などを確認するのだそうだ。
このエイミング作業、30~40分で終わるケースもあるが、なかには3時間4時間となるクルマもあるという。センサー1個の単価が10万円、20万円もすることがあるので、工賃を含めると莫大な修理費用になりそうだ。ブツカルことが少ないいまどきのクルマだが、でもいったんブツケ凹ますと、修理費用がこれまでのクルマの数倍になることもありうる!? となると、車両保険をかけておかないと、愛車を手放すことになる!? 自分のクルマにどんな安全装置が付いているかぐらいは把握しておいて損はないようだ。
エンジンオイルのフィルター、通称「オイルフィルター」は、簡単に言うとエンジンシステムのなかの腎臓のようなものだ。
使用過程のエンジンオイル内の汚れや不純物を取り除き、エンジンを守る役目。エンジンオイルは使っているうちに、金属の摩耗粉、ゴミ、カーボンなどで汚れてくる。これが潤滑部分に送られると摺動部の摩耗を早めたり、焼き付きを起こす原因となる。そこでオイルラインの途中にフィルターを設け、不純物を取り去るようにしているのである。
ターボチャージャーではないNA(自然吸気)ガソリンエンジンでは、走行7~8千キロごとにオイル交換と同時にフィルターも交換する……というのが、私のやり方。そのとき必要になるのが、オイルフィルターレンチという工具(ハンドツール)である。
工具には、大きく分けて汎用工具と特殊工具(SST:スペシャルサービス・ツール)の2つがあるが、フィルターレンチは、汎用的な特殊工具である。比較的使用頻度の高いポピュラーな特殊工具。だから、意外と市場が大きく、世の中には様々な形状のフィルターレンチが登場している。
写真は、手持ちのフィルターレンチを全員集合させてみた。ほかにも類似したものが5~6個あるが、パターンとしてはこんなものだ。要はエンジンルームはもともと広々していたが、70年代中頃に入ると排ガス規制やエアコン、パワステなどの補器類がエンジンの回りに取り付き、どんどん手が入りづらくなってきた。すると、従来のフィルターレンチでは太刀打ちできない。そこで、当初ハンドルが付いたタイプだったのが、お椀型(写真左隅2つ)になって、お椀型では汎用性がないので、アジャストタイプ(写真上部4つ)になり……そんな歴史が、この写真からリアルに語ることができる。
左端のハンドル付きのものはフランスのファコム製で、デザイン性が評価されているせいか値段が2万円近くしているが、これは例外中の例外。たいていは数千円で手に入る。真ん中のチェーン式のものは、フランスに旅したおりたまたま入ったスーパーマーケットで40フラン(約4000円)ほどで手に入れたもの。その左隣はモデルT時代からのアメリカの特殊工具の老舗専門メーカーKDツールズのナイロンストラップ式の品番3149。1/2角のハンドルと組み合わせて使うタイプ。つまりフィルターにナイロンストラップを巻き付け使うというものだ。手の延長上にある工具は、見ているだけでなんだかおもしろいですね。
このところの新型コロナ騒ぎで、取材に出かけられず、正直ネタが枯渇しそう! いくら頭を振るも、打ち出の小づちのようには面白いネタがわいてこない! 弱った、弱った! そんなとき、ふと10年ほど前のヨーロッパぶらり旅のことを思い出した。
オーストリアのウイーンにふらりと出かけた時、とんでもないクルマに出会ったのだ。
オーストリアのウイーン。英語で「ビエナ(VIENNA)」と発音するんだけど、音楽や絵画に人並み以上に関心を持っていたわけではない。ただ岡山の自動車解体業者を取材中に、たまたま出会ったおじさんがオーストリア人で、オーストリア・ハンガリー帝国、毎日新聞ウイーン支局長だった塚本哲也の力作「エリザベート・ハプスブルク家最後の皇女」で仕入れた知識で話が盛り上がった。中世から第1次世界大戦まで、ウイーンは実はヨーロッパの中心だった。そのことに強く気づいたことで、ウイーンへの旅に出たのである。
絵画館やオペラハウスなど、ひとしきりの観光をしたのち、ふと足を向けたのは、中心街から地下鉄に揺られ15分ほどのところにある「ウイーン産業科学博物館」。こじんまりしたイイ感じの白亜の建物だ。
その中に不思議なクルマを見つけた。フェルディナンド・ポルシェが24歳の頃に作り上げた電気自動車である。よく見ると、フロントにデカいハブがある。ホイールインモーター方式のEVなのだ。しかもフロントには泥除けに見えるが、エアロダイナミックな風防付きだ。ぱっと見馬車みたいだが、いまから見ても新技術が盛り込まれたクルマだ。
調べてみると、ボヘミアン地域に生まれたポルシェさんは、18歳でウイーンに出て、発電機などをつくるベラ・エッガー社(のちの鉄道システムなどをつくるブラウン・ボベリ社。日本の国鉄もここから電気機関車などを購入している)に入社し、ヤーコブ・ローナー社の主任設計者になる。ここに約6年務め、その後1906年、31歳で、アウストロ・ダイムラー社に入社し、ビートルなどの開発に携わるのである。この目で見て、しっかり写真に収めたのは、ローナー・ポルシェのEVだったのだ。
このEVは、ウイーンの消防署で使われ、のちタクシーとして活躍したとされる。1898年製だ。最高速50㎞/h、巡航速度35㎞/hで1充電で50㎞走行したという。バッテリーは、80V 74セルで300Ahだったという。
ちなみにポルシェ博士と呼ばれる理由は、のちシュツットガルト工科大学から名誉博士号を受けたためだが、実は、彼は系統だった教育を受けてはいない。ベラ・エッガー社時代、ウイーン工科大学で夜間の聴講生として、物理学や電気工学、それに機械工学を学んだだけなのである。
いきなり質問ですが、「木炭自動車」というのをご存じだろうか?
じつは、かくいう私も、実際目にしたことはない。子供の頃、大人から何度も話に聞かされたくらいだ。「木炭バスに乗り合わせ、坂を登れずに乗客全員が降りて、みんなしてバスのお尻を押したものだよ……」そんなエピソードを、面白おかしく語るおじさんもいた。
ふと資料を漁っていたら、トヨタ博物館が、四半世紀前に木炭自動車を構内で走らせた記録が残っている。
ベース車は、ビュイックの1937年製。エンジンは、V8 OHV排気量5247㏄。後ろのトランクルームに「木炭ガス発生装置」をすっぽり収め、木炭を燃料にガスを発生させ、それをキャブレターを介してエンジンに導入させ、ガソリン同様(あるいは、これってプロパンガスに近い?)走らせるというものだ。
背景には、ガソリンの入手難があり、戦中戦後のごく短期間だと思っていたら、戦後しばらくのガソリン車は大半が木炭または薪を燃料にした代替自動車だったというデータまで見つかった。そもそもこうした代替燃料車は、古くは欧州車が始まりで、イギリスではコークスを使った歴史もあるという。日本では、日中戦争が起きた昭和12年(1937年)の2年後あたりから木炭車が増え始め、戦後の1950年あたりまで走っていたという。だいたい13年ほど、日本の道を走ったことになる。戦後すぐに名古屋のタクシー会社に入社した運転手によると、保有台数20台のうちほぼ100%が炭や薪の代替燃料自動車だったというから驚きだ。
「チカラがガソリン車より4割ほど少なくなるくらいで、とくに、困った記憶がない。それに名古屋市内から岐阜までの往復がらくらくできたので、100㎞は走れました」という。が、実際トヨタ博物館で、製作し走らせると、炭をガス発生炉に入れ、なかをかきまぜ、いろいろな手順をおこなうと、約20~30分後にようやく走れるようになる。出てくるガスはCOなので、これを吸い込むとガス中毒の恐れもある。
しかも、排気管をときどき清掃しないとパイプ内に脂が溜まり、どうしようもなくなるなどなどメンテナンスが必要だ。室内とトランクルームの間仕切りには、遮熱板にアスベストを使うため、2次公害の恐れもあったようだ。ちなみに、自動車評論家の五十嵐平達氏によると、進駐軍のGIからは「ストーブ付きのタクシー」と揶揄されていたようだ。なんだか、コンニャクイモと和紙で作った風船爆弾の陸上版を見る思いだ。
巷間言われる「いまどきの若者のクルマ離れ」。
少し上の世代から、「俺たちの若いころは、ラーメンすすってでもクルマを手に入れたい、そんな情熱があったのに……」という“嘆き節”が同時に聞こえる。いまどきの若者はクルマに関心がないのか?
背景を調べてみると、およそ2つに集約できる。ひとつは、クルマの所有には相当の資金がいる。むかしの若者にはなかった「スマホにかかる諸経費」という重荷も見逃せない。それに、「クルマ自体があらゆるところが電子制御化が進んだせいで、自分流に改造する喜びを味わうことが難しくなった」というのも、若者のクルマ離れの遠因になっているようだ。
自動車整備士志望の若者が少なくなりつつあるなか、毎年250名ほどの整備士を世に送り届けている埼玉にある「埼玉自動車大学校」。ここを先日取材して、いまどきの若者のもうひとつの姿を発見した。
通常の2級自動車整備科を卒業後、「カスタムボディ科1年」というコースを選択する学生が20~30名いるという。この科を履修すると、板金・塗装・溶接というボディリペア技術を取得でき、車体整備士の資格を得られるというだけではないという。「4月から7月ごろまでは、車体整備技術を勉強するのですが、7月ごろからカスタムカーづくりに取り組みます」(菊地学生募集室長)12月にはそのカスタムカーを完成させ、1月の東京オートサロンでお披露目し、賞賛を浴びる・・・・という流れ。子供時代から温めている「自分のクルマを自分の手でつくりたい」そんな夢が実現するのだ。だから、このカスタムカーはあえて車検を取らない、枠にとらわれない、クルマのイメージをめいっぱい広げたモノづくりを目指すという。
今年出品したのは、グリーンカラーの「S-ROCK(エスロック)」(写真)。“軽自動車の4WD”コンセプト自体も学生みなで持ち寄り煮詰めたものだ。
2人乗り軽スポーツカー・ホンダS660とスズキの軽4WDのジムニーをベースにした「スポーツ4×4」。S660のパワートレインにジムニーの足回りを合体させ、FRPボディで架装。ヒッチキャリアにはスーパーカブをオフロード仕様にしたバイクを取り付け、ドアはパイプタイプ、外径880㎜のタイヤ……ひとめ見ただけで、「ワオッ!」と声をあげそうになるほど、迫力ある過激なカスタムカー。
シャシー班、ボディの前後担当2班、インテリア班、それにバイク改造班の計4つの班に分かれ、5か月ほどで仕上げたという。ちなみに、ここの卒業生は、トラックやバスの架装業務に携わる人が多いという。
いつの間にか喫茶店がほぼ消えて「立ち飲みコーヒーショップ」が定着したかと思うと、今度は「立ち食いステーキハウス」あるいは「立ち食いフレンチ」。このところの世の中の急激な変化は、目が回るほどだ。これって“人々のライフスタイルの変化”が、ビジネスモデルに変化を及ぼしている。
タイヤショップも、大きく変わりつつあるようだ。
「待ち時間なし!」を売り物にしたタイヤショップが登場したのだ。たとえば昨年9月オープンした「タイヤショップ・ショウワレイクタウン店」がそれ。
実は、このタイヤショップ、乗用車のタイヤはもちろんだが、大型トラックのタイヤに対応するお店。
大型タイヤは、21インチやときには22インチといった大きなサイズのタイヤなので、サイズを網羅して在庫するのは無理がある。大型車のピット数に限りがあり、しかもトラックタイヤは1台当たりの本数も多いので、作業時間が乗用車に比べ長くなりがち。
そこで、あらかじめ電話もしくはホームページから事前予約をしておけば、スタッフがスタンバイしているので、「待ち時間なし!」で無事タイヤ交換完了だという。ホームページではピットの空き状況が一目でわかるので便利。1か月先から予約可能だという。
「といっても、5分かそこらは、お待ちいただくので、事務所内にカフェを併設しています」とニコニコ顔の店長。店内に足を踏み入れると、吹き抜けの気持ちいい空間が広がり、カフェと見まがうほどのテーブル席が複数並ぶ。「大人のお客様にはコーヒー、日本茶、お子様にはジュースをお出ししています」。これなら、わずかな待ち時間でも快適に過ごせそうだ。
聞けば、大型車のお客様は、ほとんどが近在の運送業者さんで、事前にナンバープレート4桁の数字で、タイヤサイズと履歴などを把握しているとのこと。パンクして緊急で入店するトラックはあまりないという。トラック大好きの乗用車のお客様にとっては、トラックの“あるある知識”をキャッチできるお店かもしれない。営業時間は9時~19時。℡048-967-7600
自動車整備工場の仕事というのは、大きく分けて点検整備とトラブルシューティング(故障診断)に分けられる。
前者の点検整備というのは、12か月ごと、あるいは24か月の車検整備ということで、国が定めた50個ほどの点検項目を一つずつチェックし、整備記録簿にレ点を付けたり、部品を交換したときはバツ印を付けたり、調整の場合は英語のアジャストの頭文字Aを付ける。締め付け不足を補うときはトルクのTを付ける。じつは、この点検作業は、クルマ1台につき1人もしくは2人でおこなう。ランプなどの灯火類を確認するには2人の方がやりやすいからだ。
この点検・整備をAI技術でおこなう試みがダイハツでスタートした。メカニックの胸元にウエアラブル・マイクを取り付け、ブルートゥース通信でPCとやり取りする。女性のロボット音声で点検項目を伝えられると、メカニックはその作業をおこない、その都度マイクに「良好!」と発話する。すると自動で記録簿にその結果が記入されていく……という仕組み。
つまり、スパナを持った手にいちいちボールペンを持ち替えることもないし、その都度手袋を取り外す手間もいらない。記録簿自体も油のついた手で触ることがないので汚れる心配がない。これにより、15~30%ほど効率が高まり、ひいては作業コストが下がるという。
しかも、不具合個所のデータを蓄積することが容易になるので、より信頼性の高いクルマづくりにフィードバックできるという。このシステムを開発した担当者に聞くと、一番のポイントは音声をいかにノイズの多い工場内で、クリアに聞き取れるかだったという。音声学のデータから、女性の2~8KHz(キロヘルツ)が一番聞き取りやすいようだ。一説によると、人間は赤ちゃん時のお母さんの声が一番聞き取れるということと通底しているようだ。
このAIによる点検・整備システム、2018年2月から高知を手始めにダイハツの全国のディーラー工場で、順次導入されているようだ。
そこで、知人で1級整備士のKさんに、このAI技術の導入について意見を聞いた。すると意外な答えが返ってきた。
「点検は駄目な項目だけ覚えておけばいいだけで、もし忘れそうならそこらの紙にチョチョイとメモして、あとは事務所で記録簿に書き写せばいいだけですよ。効率だけを追いかけると、整備士の究極のタスクである、その先の故障診断能力がおざなりになると思います。感覚的にはなんだか機械の奴隷に成り下がる、そんな印象ですね」う~ん、職人の世界にAIの導入。なかなか難しい。今後、他のブランドのディーラーの動向が注目される。
欧米では高級車の自動運転が注目されているようだ。ところが、日本では路線バスやコミュニティバスが一足先に自動運転化される公算が高い感触だ。同じルートを低速で走るバスが、自動運転化されれば運転手不足、シニア層の足の確保など当面の課題が解決されることにつながるからだ。
2月7日に横須賀のYRP(横須賀リサーチパーク)で行われた「ヨコスカ・スマートモビリティ・チャレンジ2020」でお披露目された埼玉工業大学の自動運転マイクロバスは、新しい地平を開くコミュニティバスとして注目されていい。
このマイクロバス、レベル4の自動運転システムを組み込んでいる。屋根の上にユニコーン(一角獣)のようなRAIDERセンサー、グローバル・ナビゲーション・サテライトシステムGNSSアンテナ、車両の前後にレーダー、フロントガラスには3個の障害物を検知するカメラと道路の白線などを認識させるモービルアイ。いわば完全武装を思わせる複数のセンサーと東大発のベンチャー企業ティアフォー社の自動運転OSであるオートウエアを駆使して人工知能AI化。
プロトタイプとしては、自動と手動の切りかえのスムーズさやコーナーでのベテランドライバー並みのハンドルさばきなど、試乗した印象は悪くない。コースが箱庭的で十分吟味できなかったが、完成度は高いと見た。
着想がユニークなのは、この自動運転マイクロバス、福祉車両をベースにしている点だ。ステージ3とかステージ4の自動運転車両となると運転手が必要。福祉車両をベースにしたことで、従来のような高い運転技量がいらない。つまり運転技術のハードルを下げ、公共交通のドライバー不足を解消することにつながる・・・・。
担当の渡部大志(わたべ・だいし48歳;写真)教授の説明はより具体的だ。「極端な話ドライバーは、身体障害の方でもできる。それに、シニアでまだまだ運転がある程度できる方は世の中に少なくない。こうした方の働きの場所を創設するクルマがこれなんです」。完全無欠の自動運転レベル5ではハンドルもドライバーも不要となるが、それまでにはまだ10年前後の時間が必要とされる。だとすれば、運転手不足の解消策も視野に入れる渡部教授の着想は、絵に描いた餅ではない。
ちなみに埼玉工業大学は、自動運転マイクロバスを製作し、全国のバス事業者に意見を聞くとともに、他校に先きがけAI専科を設け約40名の次代を担うエンジニアを養成し始めている。モノづくりでの実証と人材の育成。
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