昭和38年の第10回全日本自動車ショー(現在の東京モーターショー)に初めて400cc1ローターのロータリーエンジンを出品。このとき恒次はロータリーエンジンが載る未発表のコスモスポーツで、会場に駆けつけ大きな反響を呼んだ。恒次一行は、帰路2台のコスモスポーツ(写真)で、協力会社やマツダ特約販売店を訪問している。このコスモスポーツは翌39年の第11回東京モーターショーで正式に発表され、会場の人気をさらった。だが、発売までにはまだ2年以上の歳月を要した。昭和40年はじめには10万キロを走破し、6月に完成した三次テストコースで、連続高速耐久テストをおこなわれるなど、のべ走行キロ数70万キロ走らせた。数々の改良を加えられたコスモスポーツは、昭和42年5月、デビューした。総排気量491cc×2、最高出力110PS、最高速度185km/h、0→400メートル16.3秒という驚異的パフォーマンスだった。
自動車の歴史のなかで、これほど大きな課題を克服し量産化した製品はなかったと断言できる。流麗なスタイルのコスモスポーツを前にして、恒次の感慨が言葉では尽くせないほど深いものがあった。その後、ファミリア、カペラ、ルーチェなどにもロータリーエンジン車を揃え、マツダにロータリーエンジンありきの印象を強めた。コスモスポーツのデビューから3年後の1970年11月15日、マツダを世界の自動車メーカーにまでのし上げた立役者・松田恒次は静かに息を引き取った。●参考文献/「私の履歴書」(日本経済新聞社)、「日本車を造った人々」(トヨタ博物館)、「東洋工業社史」(東洋工業)、「東洋工業と松田重次郎」(東洋工業)、「日本自動車史年表」(グランプリ出版)
★次回からは、スバル360はじめ富士重工業の伝説のエンジニア百瀬晋六さんのあゆみをお届けします。