現場に行き、耳で聞いたり、目で見たりするのが取材の基本ではあるが、ときには、趣味の読書で思わぬ宝物に行き当ることがある。
名うてのエッセイスト(随筆家)にして翻訳&書評家として知られる須賀敦子(すがあつこ:1929~1998年)さん。彼女の文章にはまり、8冊ほど買い込み仕事や移動の合間に読みふけっていたところ、そのなかの一冊にイタリアのピレリの創業者の“娘”がエッセイの中に登場してきた。娘といっても当時(1960年代ごろ)、上品とはいえ、すでに80歳代のお婆さん。
実は須賀敦子さんも相当のお嬢さんとしてこの世に誕生している。明治期から帝国ホテルや赤坂離宮の水道工事を手がけた私設水道工事会社「須賀商会」の創業者の孫娘として生をうけるが、ある意味数奇な軌跡を描いた人物。戦後まだ日本が貧乏で海外に出ることが少なかったころ、大学を卒業後フランスとイタリアに留学。イタリアの男性と結婚。夫とはわずか7年ほどの結婚生活だったのだが、その後も夫の家族との交流があり、やがて東京に戻り上智大学で比較文化の教鞭をとりながら、エッセイストとして頭角をあらわすも、世に出たのが61歳。そののち10年に満たない執筆活動ののち病死。もともと何不自由なく育った日本女性が、イタリアでどちらかというと無産階級の男と貧乏暮らしの只中に覚悟を秘めて傾斜していくことで、金銭では手に入らない宝を手に入れた。そうとしか思えない。非可逆的な化学反応で奇跡的な世界を生み出し、このことが、多くの読者を引きつけている。でも、その存在が大きくフレームアップしたのは、その死からかなり月日がたってのこと・・・。
『コルシア書店の仲間たち』(文春文庫)というタイトルのエッセイのなかで、ピレリの創業者の娘ツィア・テレーサは、須賀さんの夫たちが経営するミラノにある豆粒ほどの本屋「コルシア書店」のパトロンという不思議な存在。この本屋はただの本屋ではなく、政治的というか思想性の色濃い書店という存在なのである。ピレリ社は、1872年(明治5年)に創業。1890年に自転車用タイヤを製造し、ドイツのタイヤメーカー・メッツェラーを買収し、F1やWRC(世界ラリー選手権)などで活躍。P6,P7,P ZEROなどのタイヤは、70年代から90年代にかけてスポーツカーに装着していた憧れのタイヤだった。日本人から観ると、イタリア人はどこか気まぐれ的要素を感じるが、この生涯独身だったお婆さんにもその臭いがただよい、不思議さと可笑しさが醸しだされる。そのピレリが、昨年中国の国有化学企業に買収されているのを知ると、時代が駆け足で変化していることを感じる。