鉛蓄電池は、重くてかさばることから、技術革新がなかなか進んでいない自動車部品に思われている。ところが、電気の受け入れ特性を高めたり、見えないところで、鉛バッテリーは意外な進化を遂げ、21世紀の乗り物燃料電池車にもプラグイン・ハイブリッド車でも欠かせない部品なのである。ライトやカーオーディオ、ホーンなどボディ電装品のエネルギーで機器として鉛バッテリーは、今後も活躍しつつけることは間違いない。
その鉛蓄電池だが、筆者が小学生のころ、身近で意外な使われ方をしていた。理容業を営む親父は、唯一の趣味が魚取りだった。それも川魚である鰻(うなぎ)。道具はすべて手づくりだった。直径7ミリほどの真鍮棒を丸くタモ(網)のフレームにし、節を貫通させた竹棒をひとつの極に、もうひとつは、やはり真鍮棒から同じく節をくり貫いた竹のインナーを通したところにボタン・スイッチを取り付け、逆側の極としていた。電源は、オートバイの12V鉛バッテリーで、トランスで変圧して、ちょうど石垣の奥やコンクリートの裂け目に潜んでいる鰻にショックを与えるに適した電圧としていた。バッテリーとトランスを入れる箱は木工で自作し、ベルトは幅広のパラシュートの緑色をしたベルトを再利用。近くに戦時中飛行場があり、そこからの調達品だった。充電具合いをみるのは、いまのような専用機器がないので、正負の極同士を一瞬つなげ、火花の散り具合で見るという、なんとも野蛮で、危ない(水素ガスが漂っている!)手法だった。
休日になると、自転車で1時間ほど走った河川に出かけ10匹近くは捕獲してきた。使い込んだ専用の長い俎板と包丁を使い、鰻を2枚下ろしにすると、電気ショックで骨が途中で折れ、鮮血が滲んでいた。子供心に残酷だとは思ったが、蒲焼にして口に入れるとそんな仏心は霧消した。ときには30匹40匹も捕まえ、家族の腹に収まりきれないと近所の人を集めて鰻パーティを催したのである。
そんな親父が生涯で、しょぼくれるときが2回ほどあった。漁獲法違反で(電気で魚を捕ることは違反なようだ)2回もつかまっているのである。にもかかわらず、趣味と実益を兼ねた彼の趣味は30年ほど続いた。何しろ当時は貴重なタンパク源だったのだ。もうひとつの「ALWAYS 三丁目の夕日」のような光景だが、筆者がいまも鰻をこよなく愛し、一家言もつのも、こんな親父がいたからに違いない。恥ずかしくも、なんとも懐かしいエピソードだ。