ちなみに、この百瀬の軽自動車におけるRR方式は、2年後の1957年、イタリアのフィアット社のダンテ・ジアコーザ設計部長の主張とまったく同じだった。「室内スペースを稼ぐためにはリアエンジン・リアドライブ(RR)が有利」だという研究結果をイタリア機械学会で報告しているのである。この考えは、英国のアレックス・イシゴニスがフロントエンジン・フロントドライブ(FF)の「モーリス・ミニ」を設計するまで、小型自動車のメインストリームとなったのだ。ちなみに、FFには欠かせないドライブシャフトには等速ジョイントと呼ばれる機構が必須。当時この等速ジョイントがまだ安定した技術ではなかったことも背景にはある。
昭和30年12月、百瀬の案が正式に認められ、開発がスタートした。
エンジンはラビット・スクーターで成功を収め、シトロエン2CVなど外国製小型自動車をサンプルとして乗用車エンジン開発に着手し始めていた三鷹製作所が担当することになった。百瀬が所属する伊勢崎製作所では、ボディの開発と全体を統括することになった。こうしてコードナンバー「K-10」(スバル360)の開発がスタートした。