足回りができるとそれを台車に載せ、サスペンションなどを煮詰めるための走行試験に入った。ボディをつくる前に足回りを固めたいという意図である。試作車のエンジンルームには、当初ドイツ製ロイトの400cc(2ストロ-ク2気筒)空冷エンジンを載せていた。パイプとベニア板で構成された台車は、ヒーターはおろかドアもなかったが、テストドライバーの福島時雄のいわばマイカーだった。当初トーションバーを始めて目にした福島は「こんな鉄の棒(ねじれ棒!)で大丈夫なのか!」と思ったという。
走行テストが積み重ねるうちに、トレーディングアームに亀裂が入った。そこで、ばねのメーカーが鉄素材の強度を高める手法を開発するエピソードも生まれた。ちなみに試作品の足回りを構成するトーションバーは1本1万円で、一台分だと4万円。量産時にはその1/10になったとはいえ、かなり高価なものだった。ダンパーはオイル式ではなく、モノとモノとが擦れあうことで減衰力を弱めるフリクション・ダンパーを採用することで、コスト低減に寄与した。
ブレーキの前後バランスにも苦労した。制動時に荷重が移動してリアタイヤが簡単にロックした。するとフロントタイヤを軸にして車体が回転しがちになり、横転事故につながる。適正のブレーキバランスを求めて試験を繰り返した。
10インチタイヤ用のホイールは、前例のないものなので、自社開発するしかなかった。軽量化のため2分割のホイール(いわゆる合わせホイール)を開発した。(写真は『スバルを生んだ技術者たち』から)