スバル360の試作車は、当初5台つくられた。うち3台が耐久試験のために費やされた。実験担当の家弓たちは、8時間3交代、一日あたり600キロは走ることにした。おもなコースは伊勢崎から高崎までの往復40キロのほとんどが砂利道。最終的には1台あたり5万キロにおよぶ過酷な耐久試験には、自分が設計したクルマは自分で確認しないと納得できないという百瀬たちの精神が息づいていた。「たぶん、これほどの過酷な耐久試験は富士重工だけではないか」と走行テストを担当した一人福島は回顧する。
走行テストが始まるとエンジンの初期トラブルがどんどん発生した。
クランクシャフトを固定しているボルトが振動で緩みベアリングが焼きつく。発電機の不具合でプラグに火が飛ばない。スターターが破損する。クラッチが摩耗して焼きつく。冷却性能の不足でオーバーヒート。伴走車のP-1に牽引されて伊勢崎に帰ってくる光景は珍しくなかった。
走行試験4日目のこと、深刻なエンジン・トラブルが起きた。
排気ポートを塞ぐほどのカーボンが付着したのだ。カーボン付着は混合燃料を使う2ストロークエンジンの宿命ではあったが、これほどひどいカーボン付着は解決しないと前に進めない。調べてみると、出力向上を目指して大きくした排気ポートを2分割にしてあり、その根元のところでカーボンが付着していることが分かった。そこで、カーボンが付着しづらいシリンダー温度を見つけることで解決しようと、冷却システムを見直したが上手くいかない。そこで、2ストロークエンジンに詳しい東大の富塚清教授に策を尋ねたところ、「ポート形状を楕円形にしたらどうか」というアイディアを授けてくれた。だがこれも決定的な解決には結びつかなかった。