フォードとGMの生産は、年により増減はあったが、ピーク時の1934年には合わせて3万台もの数の輸入車が日本列島の東と西で生産されている。当時の日本では「自動車」といえばフォードとシボレーに代表されるとまで言われた。両車ともハイヤーやタクシーなどのサービス業の主役として活躍したのである。政府が目論んだ軍需輸送機関とは別に、実際の日本のプレ・モータリゼーションを担ったのはタクシーとハイヤーだった。タクシーとハイヤーという限られた市場とはいえ、フォードとシボレーを中心に自動車が普及した大きな要因は2つある。
ひとつは月賦販売制度をフォードとGMが日本に導入したこと。二つ目は「全国に張りめぐらされた販売網と水も漏らさぬサービス網」を構築したことだといわれる。
しかし前者の月賦販売制度には光と影があった。月賦販売制度により、運転免許証さえ手に入れればすぐにでもクルマの持ち主になることができ、みずからハンドルを握りタクシー業を営むことができた。車を購入する業者はほとんど弱小であり、なかには月賦金の回収不能、月賦未納車の転売がおき、なかには苦し紛れに高利の金融に手を出し倒産する業者も珍しくなかった。こうしたヒヅミや綻びがあったとはいえ、タクシーとハイヤーの業界は日本で定着していった。(図は1925~1935年の日本でのフォードとGMの生産台数の推移)