日本でのノックダウン方式でつくられた乗用車の価格は、昭和初期にフォード(写真:T型フォード)が1台2800円。GMのシボレーは3200円。当時の月給取り(サラリーマン)の月収が50~100円だったというから、年収の30~50倍以上。個人所有など数えるほど。もっぱら法人仕様やハイヤーやタクシーで使われた。むしろトラックの需要のほうがはるかに多かった。もっとも中小企業での当時の物流はもっぱら自転車、リヤカー、大八車で、トラックは、ごく限られた例外的な大企業、あるいは軍需用トラックとしての需要しかなかった。
大阪府下にも複数のタクシーやハイヤーを生業としたサービス業者があった。
当時の道路事情はお世辞にもよくなかった。非舗装路が大部分で、舗装路はごくわずか。そのためもあり、フォードやシボレーを使ったハイヤーやタクシーの故障率は、いまとは比べものにならないほど高かった。それにあわせて補修部品の需要も、とんでもなく高かった。
いまでは知る人がごく少なくなった福島の戦前の姿が、雑誌『大阪春秋』(平成10年9月号)にはこんなふうに描かれている・・・・。
「戦前の福島には、トヨペットやシボレーの代理店だった豊国自動車とフォードのエージェントだった福田自動車、それに岩山商店やアメリカ商会(現・大洋株式会社)、京屋などあったくらいで、部品商は港区の市岡1丁目から夕凪橋(朝潮橋)1丁目あたりまでに集中していた。中古車の解体、いわゆるセコ屋さんが多く、ほかにタイヤ販売からバッテリーや、修理工場、エンジンボーリング、部品メーカー、卸業者、小売業と自動車に関する一大メッカを形成していたという。また一軒一軒の商業ベースの大きいところは(西区)川口周辺に集まり、それぞれ大連、旅順、青島(チンタオ)、上海など中国や満州、東南アジアと貿易をしていた・・・」