ガソリンスタンドでは、ときどき客寄せと販促をかねてキャンペーンを展開した。たとえば「エアフィルター&オイルフィルター祭り」と称して普段よりも少しディスカウントして販売する。昭和40年代から50年代なら10アイテムのフィルターをスタンバイさせればお客のクルマの8割をカバーできたという。ところがいま同じようなイベントを開こうものなら、100以上のアイテムを事前に準備することになるため、事実上不可能だ。
昔の手法ではとてもビジネスにならないのである。いまを知る人間からはごく当たり前であるが、モータリゼーションの進化というのは、ことほどさようにビジネスの形態を変えたのである。
モータリゼーション前後の福島の表情をもうひとつの企業を通してみていこう。
上田さんが戦前から終戦後に籍を置いていた大同自動車興業は、その後SPKとなり、現在福島5丁目にある自動車部品の老舗卸商社である。
それまで中之島にあった本社を、現在の福島5丁目に新社屋を建て移転したのは昭和39年。当時の大同自動車興業の扱っていた商品はトラック系のリアシャフト、シャックル、Uボルトだった。翌年がいわゆる日本のモータリゼーション元年だが、補修部品の世界では依然としてトラックの世界だった。