モータリゼーションが始まった当初売れる部品は、クラクション、ランプ類、ブレーキライニング、それにクラッチディスク、クラッチカバーである。当時は、まだ道路もさほど混雑していなかった。生まれてはじめておもちゃを手にした子供のように、好奇心たくましく、クルマをあちこち乗り回し走行キロ数が伸びるから、こうしたパーツの要望が劇的に増加したのかもしれない。
戦前のプレ・モータリゼーションは都会など人間が多く集まり局地的な車社会であったが、昭和40年からはじまった真性モータリゼーションは地方都市のみならず地方の町や村でもクルマが活躍するようになり、大げさに言えば日本列島全体が車社会に変貌したのである。
そこで大阪の福島界隈の余力のある自動車部品卸業者の多くは、中国地方、九州地方、あるいは山陰や北陸に営業に出かけた。なかには広島や九州に営業所を出す会社もあった。
平成4年(1992年)にSPKと社名変更した大同自動車興業は、その後国内に15以上の営業所を展開し、海外にもビジネス・ネットワークを構築している。
福島に戦前忽然と誕生した自動車部品のビジネス街は、戦時下、統制会社に集約されて壊滅的となったが、終戦後、灰燼となった大阪の町から再生し、モータリゼーション誕生をキッカケに急成長を遂げるも、時代に吹き飛ばされたのか、いままた何事もなかったように元の静寂さを取り戻そうとしている。