当時、専務だった鈴木修は、従来コンセプトで売り出そうとしていたクルマを1年間凍結。「もっと安く、もっと軽く、常識破りのクルマを作ろう」という合言葉のもと、コストカット! 徹底した工程の合理化と部品削減を断行。本当にお客様の欲しがるクルマ作りを練り直した。コストカッターといえば日産に乗り込み大ナタを振るったものの、トヨタの章男社長の3倍の10億円という年収を受け取るカルロス・ゴーンを思い浮かぶが、修氏の年収は同じ頃、2億円を切ったそうだ。
横道にそれたが、とはあれ・・・生まれたのがアルト。「全国統一価格47万円」という当時としては中古車並みの価格だった。当時はたとえば北海道のユーザーは輸送代5万円前後を払わなくてはいけなかったのだが、これを全国統一価格にした。それだけでなく、当時3~4グレードほどあったランクを1グレードにして量産性を高め、そのぶんコストを下げた。助手席のリクライニングシートを廃止するなど徹底した工程の削減と部品点数の削減をおこなった。
4ナンバーの貨物扱いで税金も少なくてすんだ。生活の足を求めていた消費者の心をつかみ、アルトはあっという間に月販1万台を軽く超え、ベストセラーに躍り出た。
以来アルトは、スズキの看板商品となり、デビューして30年で、世界規模で累計1000万台を達成。このアルトの成功でスズキはバイクメーカーから4輪車メーカーへの基礎固めができたのである。