スズキの会長である鈴木修氏によると、インドでの自動車ビジネスが始まったのは偶然の産物だった。
当時インドには、国民車構想というのがあり、インド政府直々に世界で自動車づくりのパートナーを求めていた。
スズキがこれに前向きな返事を送ったことから、インドから調査団がやってきた。ひいては日本の自動車メーカーを見学に来たのである。1982年3月のことだ。
ところが、ちょうどそのころ修氏はビッグスリーの一角であるGMとの交渉で北米に向かわなくてはいけなかった。とりあえず表敬訪問ということで、逗留する都内のホテルに向かい30分のつもりで調査団に合うことにした。この会談は、想定以上に話が弾み3時間の懇談となったという。北米から帰国後、修はインドの調査団は既に帰国したと思っていたら、修を待っているという。
当時の日本の自動車メーカーのトップは、北米自動車摩擦の対応に追われ、インドへの目線を欠いていたようだ。ひとり修だけが、結果として、インドへの何か熱いものを感じたのかもしれない。ビジネスとは単に銭儲けではないということだ。
●写真はインドでも生産された2代目カルタス1989年式。