ダイハツの前身である発動機製造㈱は、こうした時代背景の中で産声をあげたのである。
事務所兼工場は、大阪駅北側約500メートルのところにあり、敷地面積は約7400㎡。工場の規模はさほど大きくはなかったが、なかに収まる工作機械類は充実していた。6フィートの旋盤が5台、8フィート旋盤が4台、10フィートと12フィートの旋盤が各1台、それに平削り盤(フライス盤)、正面盤、中ぐり盤(ボーリングマシン)など、それに10馬力の発動機などが揃っていた。この発動機は、英国のラストンプロクター社製のもので、吸入ガス機関タイプ。創業時、この地は大阪電燈㈱(現・関西電力)の電力供給区域外にあったため、自家発電装置を取り入れたのである。
スタッフの陣容はといえば、技師2名に約60名の工員、総勢約70名での船出だった。
このころ日本で使われていた内燃機関は、輸入品の石油発動機、もしくは動力ガスによるガス発動機。その国産化を目指したのは、5馬力と7馬力の石油発動機だった。
ところが、自社工場で使っていたのが英国製の吸入ガス機関で、性能のうえでも燃料性能のうえでも石油発動機を上回ることが分かり、急遽方針を変更し「吸入ガス発動機」(写真)の製作に着手した。この「吸入ガス発動機」が、発動機製造㈱のスタート時の売り物となった。