ところで、シトロエンの2CV(写真)は、実は百瀬たち当時の技術者に大きなインパクトを与えたクルマであった。第2次世界大戦が終わって3年後の1948年パリ・サロンで発表された2CVは、戦後のフランスの大衆に生活道具として大歓迎され40数年間で400万台を世に送り出したベストセラー。
設計開発を担当したシトロエンの3代目社長ピエール・ブーランジュは2CVのコンセプトを「こうもり傘の下に4つの車輪を付けたもの」と表現。375ccのOHV水平対向2気筒エンジンに1200cc並みの大きなボディは、軽量化のためなんの飾りもなく、ユニークなコイルスプリングによる4輪独立権が方式で、独特の乗り心地をもつ。「籠いっぱいの生卵を載せ農道を走ってもひとつの卵も割れることなく走行できる」「クルマのことを知らない主婦でも簡単に運転できる」など割り切ったコンセプトで大成功したクルマでもある。
K-1も、割り切り具合については2CVに負けてはいない!?
「大人4人を乗せる」という命題を実現するため、開発初期段階でタイヤの径を10インチとした。当時日本のタイヤメーカーが商品化しているのは12インチが最少だった。それより小さいとなるとスクーター用の9インチとなるため、10インチとなるとタイヤメーカーに特別誂えを依頼するしかない。百瀬は、軽量化と室内空間の確保を考えると、10インチタイヤが必然だった。