エクステリア・デザインは、外部のフリーの工業デザイナーの佐々木達三(1906~1998年)にゆだねることになった。
佐々木は、もともと楽器作りを学ぶために東京高等工芸学校(現・千葉大学)に入ったものの、その学校には楽器のコースがなく、卒業後日本最大の客船「秩父丸」や「氷川丸」のインテリアデザインに携わった。その仕事をかわきりに黎明期の工業デザインで活躍した。戦後はフリーランスの工業デザイナーとして、大型バイク陸王(りくおう)のガソリンタンクや西鉄バスの大型観光バスのデザイン、カラーリングを手がけた。佐々木と百瀬は都内ではじめて顔を合わせたのだが、すぐ意気があい、互いを認め合う仲となった。佐々木はそのとき50歳。運転免許を持っていなかったが、すぐ免許をとった。自動車についての知識はなかったが、だからといってにわか勉強とばかり、世界の自動車のデザインのアルバムを眺める、ということは一切しなかった。伊勢崎工場に来ても、これまで百瀬が手がけたバスやP-1を見学しようともしなかった。やはり自分でハンドルを握り(おもに日野ルノー4CV)、クルマのデザインを自分の心のなかから導き出したかったからだ。
こうしてあの愛くるしい無駄のない、しかも飽きのこないユニークなスバル360のエクステリア・デザインがつくられたのである。