耐久走行試験でもっとも難関だったのは、登板路でのオーバーヒートだった。
赤城山の上り坂は当時もっとも過酷な登板路とされた。かつてP-1の走行テストで関東一円の登板路走行試験をおこなった際、箱根や日光よりも赤城山の坂が折り紙付きの過酷な道。距離が長いばかりでなく、さまざまな種類の勾配があり、小さなカーブ少なくてスピードをテストすることもできた。なかでも、前橋郊外からの赤城山への登りは登れば登るほど傾斜がきつくなり「一杯清水」と名づけられたところは傾斜角13度。いったん停車すると再発進が不可能といわれ、当時の国産車でこの坂を登りきるクルマはいなかった。
スバル360で走行すると、たしかにフルスロットルで登板すると、すぐエンジンが焼きつきパワーダウンする。こころもちアクセルを押さえ気味に走ると最後までのぼりきった。そこでより冷却性能を高めるためにファンの設計を見直し、エアインテークが当初左側だけだったのを右側にもスリットを入れることで、冷却性を高め、大人4人でなんとか全開で急坂をのぼりきるレベルまでこぎつけた。東京から来た高級セダンのユーザーがエンジンフードを開け立ち往生している横を360のスバルが4人を乗せスイスイと走った。「ぽかんと口を開けた紳士の顔をいまも忘れられない・・・」当時のテストドライバーの語り草である。