その工場で、道雄は、3~4日がかりで、木鉄混製(もくてつこんせい)の足踏み織機を完成させた。足踏み織機の第1号機は、母マチに贈ったといわれる。これが従来の織機に比べ10倍効率がよいとして村の評判をとることにつながり、翌年には鈴木式織機製作所の看板を掲げ、本格的な織機製作に乗り出す。
それまでの織機は横糸の交換に手間がかかっていた。道雄はそれを自動でできないか? これができれば、格子柄を自在に織ることができるのだが…‥。4年後の1912年(大正元年)その後の織機産業に革命的な出来事となるメカニズムを具現化させる。
それが、≪杼箱上下器(ひばこじょうげき)≫と呼ばれる機構を付け加えたものだった。
「お客様の声に耳を傾け、実用的で本当に価値のある製品を創る」この現在のスズキに受け継がれているスピリッツをどんどん具現化していったのである。道雄は生涯こうして100以上の実用新案を取得、大正・昭和の激動の時代をモノづくりにささげたのである。
スズキの礎(いしずえ)はこうして築かれたのである。